事業承継マニュアル「トイレを手で磨くということ」から見えること

http://www.saitama-np.co.jp/news/2017/12/18/09_.html

この記事にある運動はかなり広く展開され支持を受けています。

この項では特にその運動の是非については言及することが目的ではなく、創業者にありがちなメンタリティとその強さについて触れること、そしてそれが事業承継の場面においてどのようなことに繋がりがちであるかを述べることが目的であることを最初に申し述べておきたいと思います。

このトイレを手で磨くということでイエローハットの鍵山さんは人として、そして経営者としてとても大事な何かをつかんだのだろうと思います。謙虚さであったり人の嫌がることを率先してやることで生まれる人徳であったり。

そしてそれは人として経営者としての成長の糧となり「今日の自分と会社があるのはこのおかげである」という「自分なりの成功哲学」の完成に至ったのでしょう。

この哲学を発見し、それに忠実に進むことで成功が築けたことはとても素晴らしいことで、これを発見もできず、発見しても実行し続けられずに成功に至らなかった大多数の人たちはここから大いに学ぶべきです。

ここでひとつの問いが生まれます。

私たちがこの事例から学ぶべきことは何なのでしょうか?

「では私も同じようにトイレを手で磨いてそこから何かを感じ取ろう!」という考え方ももちろんあると思います。少なくとも成功事例というエビデンス(実証事例)があるのですから他のなんだかわからないことをやるよりもずっと成功する確率は高いと思われます。

また別のアプローチもあるでしょう。イチローと同じルーティン(本番前の決まって行う予備動作)をやったら同じように打てるかといったら違うので、自分なりの集中力を高め、パフォーマンスを高めるルーティンをクリエイトする必要があるかもしれません。

芸事の世界には「守破離」ということばもあります。伝統を重んじて型を守りつつ、型にアレンジを加えていく、最後には型を尊重しつつもそれから自由になって自分のオリジナリティを創り出すことです。

前置きが長くなりましたが、事業承継における創業者と継承者の間にもこれはよく起こり、かつこれが故にもめる源になります。

創業者にありがちなことは、自分の成功哲学への思いが強いあまりに、そして後継者に失敗してほしくないという気持ちが強いあまりに、自分の成功哲学をそのまま実践するように求める傾向が強いということです。最初は「参考程度に伝え」始めるのですが、徐々に自分と同じ実践レベル、つまり自分のコピーになることを要求し、最悪な場合にはコピー行動が実践できないと「この人は後継者として能力がない」と大きな勘違いをして否定にかかり始めることが往々にして起こります。

忠実なコピーマシンが「こいつは信頼できる、仕事ができる」という評価になり、少しでも守破離の「破」や「離」のそぶりが見えるとダメのレッテルを張ってしまう。後継者候補も優秀なコピーマシンになることが評価につながると学習するとそれを自分でどんどん強化して率先してコピー行動を皆の前で実践する。

後継者候補のタイプによっては違うことも起きえます。先代の成功哲学の効果については理解しているが、今のご時世、経営環境でそれが本当にベストの方法なのか考えたい。もし今のテクノロジーやトレンドを反映させたらもっといい方法を、もっと効率よく学べるのではないかと考える人もいます。

それも確かに一理あります。創業時から今まで会社をつぶすことなく安定的に成長させることに機能したことと、これからの会社の発展に寄与する要素が同じ場合もあれば違う場合もあります。もう今となってはそこに価値は残されていないかもしれない。

この成功哲学の持つ保守性とブレイクスルーを志向することによる葛藤が事業承継における大きな争点のひとつになります。

親子間の承継では「まだまだあいつには任せられない。まだ自分の域に達していない」とコピー行動基準で承継タイミングをなかなか迎えられなかったり、もっと悪いと「あいつはできない。後継者としての適性がない」とあきらめたり、違う子供に継がせようとしたりします。どちらにしても基本的に居座ります。

非親子間の承継では後継候補として意中の人だと思って迎え入れた人にいつしかコピー行動を要求し、それが叶わないと「期待はずれだった」として辞めさせてしまいます。実績のある人が強力なオーナー企業に後継候補として入社していながら途中で会社を去るパターンは半分はこれです。これを何人も出入りを繰り返している企業もあります。

どうしてこんなことが起きるのでしょうか?これを回避する方法はないものでしょうか?

ここで大事なことが「抽象化」という概念です。

「俺はトイレを手で磨くことで今日の自分と会社の発展をもたらしたのだから、君もその通りにやりなさい。まずはいろいろと考えずに騙されたと思ってやってみることが肝心だ」という事例と現象の再現を求めると受け取る後継者は「やるか、やらないか」の二元論しか選択肢がありません。

一方で「私がトイレを手で磨くことで得られたことは何だと思うか、それを君が気づき、手に入れるのに自分で一番効果的な方法は何か?」を問うのが「抽象化」です。抽象化が上手な経営者は人を育てることがとてもうまいですし、実際に多士済々な会社ができあがります。創業者のコピーではなく自分なりの創意工夫をすることが認められ、評価され、そこを伸ばしていくからです。

大事にすべきところ、はずしてはいけないところを現象面でとらえるか、抽象化してとらえるかは大きな違いがあります。

人には固有の学習パターンというものがあって、同じことでもAというやり方がフィットする場合もあれば、Bというやり方が効果的なケースもあります。

「いやいや、自分のやり方は王道であって誰にでもあてはまり実践すべきことだ」とおっしゃる方もいるかもしれません。

しかしながら世に残っている成功哲学というものはある程度、抽象化されていて単一の行動や現象を繰り返すことをもって成功哲学とはなっていません。そもそも哲学ですから抽象化されていて当然なのですが・・。

最悪なことは前述のように現象面のコピーを求め、その出来栄えで後継者の資質や能力を図ってしまうことです。

創業者自身が事の本質を見極める抽象化能力を見失い、現象レベルの再現が目的化してしまう。自分の言った通りのことができるか、やろうとするかだけで判断してしまう。この傾向が強くなったら実は承継のタイミングであるともいえます。既に事の本質が見えなくなっているという最たる証拠だからです。

創業者自身が「こうあるべき」から自由になって抽象化した本質を考えるところから事業承継の準備は始まります。それができていない創業者とその企業においては後継者どころか人が育つ土壌がないからです。


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