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2月に読んだ本|最強のシスターフッドから、日本軍の組織的研究まで

今月も書けた。嬉しいです。

『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ 著


先月、村上春樹の文章を読み、物語に没入するという感覚を思い出した。没入、ほしい、だれを読めばいいだろうと本屋をさまよっていたら、ありました。カズオ・イシグロ。まだ読んだことがないもののなかでいちばんページ数が多かった一冊を選ぶ、レジへ。

カズオ・イシグロの十八番、完全な第一人称だけで語られながら物語が進んでいく。細やかな感情描写と人間関係。「物語に没入する」という点において、世界観にはいりこんでいくことにすこし困難感がある。第一人称だけで語られる小説の多くがそうだと思う。そのかわり、ページを進めるにつれ、少しずつ、主人公のルーシーを取り巻く世界の輪郭が見えてきて、足先から少しずつあたたまってくるように、ページをめくる手が止まらなくなる体験も、一人称で描かれる小説の醍醐味だ。そんな小説の醍醐味を十二分に味わえます。

「泣いていたのは、まったく別の理由からです。あの日、あなたが踊っているのを見たとき、わたしには別のものが見えたのですよ。新しい世界が足早にやってくる。 科学が発達して、効率もいい。古い病気に新しい治療法が見つかる。すばらしい。でも、無慈悲で、残酷な世界でもある。そこにこの少女がいた。目を固く閉じて、胸に古い世界をしっかり抱きかかえている。心の中では消えつつある世界だとわかっているのに、それを抱き締めて、離さないで、離さないでと懇願している。わたしはそれを見たのです」

『わたしを離さないで』


カズオ・イシグロ、全作品を読んではいないので多くは語れないのですが、デビュー作『日の名残り』でtraditionalを、伝統ある、古き良きものを、どのように現代に残せるのかについて書いていたと理解しています。最新作の『クララとお日さま』では、もうすぐにやってくる、AIと人間がともに生きることがテーマだった。
どの作品にも、圧倒される情緒的な細やかさと、その裏に、情緒的なだけではないテーマとが共存している。この作品の情緒的だけでないテーマは、ほどほどにSF感がある、「わたしたちが生み出した、ヒトとは言えない、けれど、ヒトでないと断言はできないもの」があるとしたら、彼ら彼女らに、どのようにfairnessを、倫理観を持ち得るのか、そのために、どんなふうに戦わなければいけないのかー。そういったものが描かれている。それはそのまま「わたしたちは、どこまで良心を保てるのか?」という問いだ。


テーマの描き方としてほんとうに秀逸!なのですが、もしかしたらそれ以上に秀逸なものが、ほんとうに細やかな感情描写だ。このレベルの細やかさで感情が描写されている小説はあまりないんじゃないかな。そこが、正直、ぼくには最初、物語に没入していくハードルになっていた。けれどこの全編通して描かれる細やかさがこんなふうに欠かせないものとして機能しているなんて。

人間が人間らしくいられる条件をあげるとしたら、共感をできるかぎり忘れないこと、そのことを戦いとして引き受けること、多くあるそれらのなかでも、おおきな一つだと思うのですが、自分自身の共感力を保つということ、それを、現実で保っていくということ。そのことは戦いで、こんな形の戦いがきっといままでも、これからも、多くされていくのだろうというレッスンを、この一冊から、カズオ・イシグロから、引き受けたい。

わかりあえなさから、そこから、はじめなきゃいけない。わかりあえなさはスタートだ。

オススメ 7/10 小説が好きなかたには、SFの手法を採用した倫理観を問う物語が好きなかたには、「良心を保つ戦い」を引き受けたい方には


『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』戸部良一 著


「組織論における名著」ということでタイトルは何度も目にしていた。古本屋さんを歩いていたときにいちばんうえに積まれており、タイミングだなと手に取る。

本書はむしろ、なぜ敗けたのかという問いの本来の意味にこだわり、開戦したあとの日本の「戦い方」「敗け方」を研究対象とする。いかに国力に大差ある敵との戦争であっても、あるいはいかに最初から完璧な勝利は望みえない戦争であっても、そこにはそれなりの戦い方があったはずである。しかし、大東亜戦争での日本は、どうひいき目に見ても、すぐれた戦い方をしたとはいえない。いくつかの作戦における戦略やその遂行過程でさまざまの誤りや欠陥が露呈されたことは、すでに戦史の教えるところである。
われわれが追求するのは、われわれを根底から規定する組織の特性である。

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』一章 失敗の事例研究 より

作戦の中止を「私の顔色で察してほしかった」中部軍司令官 河辺 正三

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』一章 失敗の事例研究 より


「これ、ぼくたちのことじゃん・・」と、こころあたりがありすぎる箇所がいくつもあった。「日本人の特性」という点を広く、時間軸長く捉えている。ので時間の経過で褪せることがない本なのですね。組織論の名著と言われる理由が十分に理解できた。こことか、もう、個人名をあなたの上司の名前に置き換えて違和感ないひとが多いんじゃないかな。

なぜこのような杜撰な作戦計画がそのまま上級司令部の承認を得、実施に移されたのか。これには、特異な使命感に燃え、部下の異論を抑えつけ、上級司令部の幕僚の意見には従わないとする牟田口の個人的性格、またそのような彼の行動を許容した河辺のリーダーシップスタイルなどが関連していよう。 しかし、それ以上に重要なのは、鵯越作戦計画が上級司令部の同意と許可を得ていくプロセスに示された、「人情」という名の人間関係重視、組織内融和の優先であろう。そしてこれは、作戦中止決定の場合にも顕著に現われた。 このような人間関係や組織内融和の重視は、本来、軍隊のような官僚制組織の硬直化を防ぎ、その逆機能の悪影響を緩和し組織の効率性を補完する役割を果たすはずであった。しかし、インパール作戦をめぐっては、組織の逆機能発生を抑制緩和し、あるいは組織の潤滑油たるべきはずの要素が、むしろそれ自身の逆機能を発現させ、組織の合理性・効率性を歪める結果となってしまったのである。

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』一章 失敗の事例研究より



「組織論」で限定すると、現在には応用できない、この本だけで組織をつくってもアジャストできない部分はもちろん多いとは思うが、それでも、基本的なOSを組織論の観点から知る一冊としていまなお非常に優れている。

あともうひとつ個人的に、沖縄戦を事実ベースで時系列に知ることができたことが良かった。組織として極限だったことが理解できる。沖縄戦をテーマに描かれるコンテンツでは、無能にも見えてしまう沖縄防衛の現地トップだった牛島満中将、組織と現場のあいだに挟まれ、これはそりゃなにもできないぜ・・ということがわかる。そのなかでむしろ、獅子奮迅といっていいはたらきをされていたことが察せられる。現場レベルは非常に優秀だが、組織として間違いがあったときにそのことを受けとめ、分析し、変わっていくことができないということ、米軍の日本軍分析に何度も登場する文言だ。そしてこの「変わっていく土壌がない」ということが、日本軍にとって決定的だったように感じる。間違いは必ず起きる。
これ、ほんとうに1945年の話だろうか?


沖縄戦のこと、自分のためにまとめておきます。

オススメ 7/10 組織を主語に、かつ、論理的に考えたいひとには特に


『炉辺の風おと』梨木香歩 著


朝起きると、梨木香歩さんのエッセイを本棚から取り、少しずつ読みすすめる。
梨木さんが八ヶ岳の山小屋に暮らした時期のエッセイ、「夏中つかったエアコンで痛めつけた身体をあたためるのに時間がかかる暖炉の炎」、「前の人がひらかれながら住んでいた八ヶ岳の山小屋のこと」、「どうしても取り壊したくなかった神学者の自宅」、「八ヶ岳の山小屋に訪れる動物たちのこと」、そして「父を看取った神話の時間」。また、コロナ禍で現れる「民主主義に憧れ続けよう」ということ。


もう、生活の幹にまでなっている文章なので、フラットに語れない。今月はこの本を少しずつ読みすすめていたのだけれど、ここにも沖縄のことが書かれていた。その部分だけ共有させてください。

佐喜眞美術館は、ナビが最初案内してくれた場所とは正反対の、海と基地を見下ろす高台にあった(もしかしたらあの高みへの行程を、一気に経験させてやろうというナビの心算があったのかもしれない)。 館長の佐喜眞道夫さんは、東京にお住まいだった頃、丸木位里・丸木俊夫妻の 「沖縄戦の図」をご覧になり、この絵をぜひとも沖縄へと熱望された。だがそれを引き受けてくれる美術館も記念館も、当時沖縄にはなかった。なかったら作ろう、と美術館設営を志される。それまで美術畑とは無縁のお仕事をされていたのに、である。すごいことだと思う。一枚の絵のために、一から美術館を建てる。自分の一生を、その絵に捧げるようなものだ。 「沖縄戦の体験は繰り返し立ち返る必要があります」。佐喜眞さんはおっしゃる。 「沖縄の精神に『丸木芸術』が加わることで、沖縄のバックボーンはさらに強固になるだろう、と考えたのです」 「沖縄戦の図」は、単なる絵であることを越えてそこに在る。 折り重なった遺体、追い詰められ、家族に手をかける場面、炎の中を逃げ惑う人びと.......。徹底的に蹂躙された沖縄。だが、絶望的で凄惨な場面でありながら、どこか包み込むような画家の「手」を感じるのは、爆撃に砕け散った体は完璧に揃ったものとして、裸の体には琉球絣の衣服が着せられて、 在ることに、せめても、といういたわりが見えるからだろう。 悲惨な体験に寄り添うようにして(寄り添うとはこのようなときに使う言葉だろう)、沖縄本島や近隣諸島を回り、戦争体験を聞き続けた丸木夫妻の慟哭が、ひたひたと満ちている。鎮魂の絵であり、人間の尊厳を守ろうとする絵なのだ。目をそらさず、正面から受け止めてまっすぐに観ればきっと、この絵に込められた丸木夫妻の、寄り添う覚悟と平和を希求する強靭な意志が感じられるはずだ。 この美術館建設を志された頃、佐喜眞ご夫妻は、ご長男を死産され、悲しみの底にあられた。ご自分たちの命の火すら消えてしまいそうな不安から、当時、赤いスポーツカーを購入し、ドライブをした。そうお話を聞き、スポーツカーでドライブする、という世間一般の晴れやかなイメージからはほど遠い、死と隣り合わせの寂しさと、それでも生きなければならないという切実な思いが伝わってきて、そしてそれが「赤」くなければならなかった必然も、痛いほど感じられ、陽の傾いてきた部屋で、私は目を伏せた。

自分の気持ちが亡くなった方々から離れていては、単なる「歴史的な場所巡り」と同じになってしまう。けれど、亡くなった方々と同じ気持ちになることはできない。また、なれたと思うことは冒瀆であろう。私が長い間沖縄に来られなかったことの核心の部分には、この気持ちが、ずっとあったのだった。

『炉辺の風おと』南の風 より



じぶんの人生への願い、いくつかありますが、梨木さんのように日々を見たいということがずっと、それは、とてもおおきく、あります。

オススメ 9/10 文章が好きなかたには、物事から意味を見出したいと願うひとには


『神さまのビオトープ』凪良ゆう 著


『流浪の月』がメガヒットした、凪良ゆうさんの著作。最愛の旦那さんを失くした奥さまが主人公。


ここにいるのは幻の夫。 けれどそれでいい。 いけない理由がわたしの中に見当たらない。 わたしは笑って、この「普通の毎日」を死守しようと決めた。鹿野くんは死んだ。けれど戻ってきた。鹿野くんがわたしの前に在り続ける限り、こちらがわたしの現実だ。 わたしは昂然と顔を上げ、こちら側で生きていこう。 誰がなんと言おうと。 後ろ指をさされようと。 たとえ世界から切り離されようと。 わたしは、鹿野くんがいれば、それでいい。

『神さまのビオトープ』プロローグ 秘密Ⅰ より



狂気を、こんなにもやわらかく描くところ。あとひとつ、流浪の月につながるエッセンスがたくさん見られたところがおもしろかった。村上春樹は長編をひとつのマイルストーンとし、そこに至るまでに、まずは翻訳をたくさんし、そのなかから次の作品の自分にとってのチャレンジを決め ーたとえば『ノルウェイの森』のチャレンジは「徹底的に、プリミティブなことを現実的な描写だけで書く」だった、そのテーマを織り交ぜた短編を実験的に書き、長編を書き始めるという、ときには10年ほどをまたぐリズムを持っているのだという。

凪良ゆうさん、ひとのほんとうにinnosentなものを、世間と隔絶された状況で描くという点で当代一の書き手だと思うのですが、彼女の長い時間をまたぐリズムのようなものが察せられてとてもよかった。

オススメ 6/10 凪良ゆうさんが好きなかたには、innosentな純愛小説が好きなかたには


今月のベスト本|『光のとこにいてね』一穂ミチ 著


今月のベスト本。読み終えたとき、10分ほど涙が止まらなかった。珍しいことなんです。通奏するテーマはシスターフッド。わたしが抱える弱さを、「彼女がいるからこそ」というプロセスで、抱きしめていく2人の女性の物語。


引用したい文章がたくさんありすぎて困る。ほんとうに文章がみずみずしい。全編をとおして抜群にいい。本筋とはまだ少し遠いところを一節だけ。

光のとこにいてね、という言葉で私を縫い止め、行ってしまったあの子。私は今でも、自分の一部が、あの小雨の夜の中に取り残されている気がする。まだ馴染みのない街の夜の街の夜景が、うっすら溜まった涙で滲む。 街灯を通り過ぎるたび、私を置いて駆け出した果遠ちゃんの後ろ姿を探してしまった。

『光のとこにいてね』第三章 光のところ


あえて粗を探すのなら、大人になってからのふたりそれぞれの殻への閉じこもりかたが尋常じゃないところだろうか。幼少期の描写になにも違和感はない。自分の力で選べることがあまりにも少ない、その感覚を思い出す。けれど、もちろんわたしを大切におもうひとのエンパワメントを受け取りながらですが、葛藤を、だからこそ社会との接点として生きている友人がぼくのまわりには多い。だから、結珠さん、果遠さんの、徹底的に、自分自身のちからは「わたしの感受性だけを守る」という姿勢が大人になってからも、いや、大人になってからより強くなっているように見える部分には共感できなかった。けれどそれを補い余りある物語の力。affection ー。

一穂ミチさん、調べてみるとBL小説にバックグラウンドを持っているみたい。凪良ゆうさんも確かそうだった。BL、嗜好がマイノリティで、だからこそできる、濃密な「ふたりだけの世界」を書くにものすごく豊かなバックボーンとなるんですね。

すべてが光の中にいた。思い出しても涙がでる。自分の葛藤を、諦めず抱きしめながら、けれど、他者へのaffectionを忘れないこと。

オススメ 10/10 小説が好きなすべてのかたに


今朝起きて窓を開けると春の匂いがした。うれしい🌸

NHKスペシャルでやっていた、ロシアによるウクライナ侵攻開始から72時間を証言をもとに辿るドキュメンタリー、固唾を飲んでみていた。ほんとうに綱渡りのような瞬間がたくさんあったんですね。


meaningfulなことがたくさん起きる。近くでも、遠くでも。良いことも、そうはまだ思えないことも。良いことがそうは思えないことを圧倒的に上回っている。なんてたくさんのエンパワメントをうけているんだろう。

良心を守りたい。ですし、調子に乗らずに過ごします。



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