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3年ぶりに韓国へ行ってきたら

コロナ後はじめて、ひさしぶりに海外に行った。行き先は韓国。いろいろ変わっていたけど、変わらないものもあった。

韓国行きの目的は8割が仕事、2割がコスメ、1割がタッカンマリ。あれ? 1割多いか。でも気持ち的にはそんな感じ。仕事っていうのはもちろん、ドレスをつくる仕事ね。

ソウル 仁川空港

韓国に行く理由

最後に韓国に行ったのが2019年の7月だから、じつに3年半ぶりくらいだ。

韓国はウェディングドレスの市場が大きいので、世界中から良質の生地やレースなどの素材が集まっている専門の卸市場がある。値段は日本とさほど変わらなくて、やはりイタリア製などの良いものはそれなりにお高いんだけど、とにかく種類が多い。

使うのが決まっている生地は、配送してもらうこともできるけど、リメイクの場合はそのドレスに合わせて(場合によってはドレスごとの経年変化の具合に応じて)生地や素材を選ぶ必要があって、それはやっぱり自分の目で確認するしかない。自分の目でみる。それがわたしの仕事の心がけでもある。だって、白って200色あるじゃない? (by アンミカ)

コロナ前は最低でも年に1回は韓国に行っていた。多いときは半年に1回。それがこのコロナで行けなくなった。その間は、手持ちの材料や日本で入手した素材でなんとか乗り切っていた。でももうさすがに限界! いよいよ韓国に行かないと。いつも韓国にいっしょにいくヘアメイクMは忙しいかな、いっしょに行ってくれないかな〜、と考えながら、駅までの道を歩いていた1月のある日のこと。

駅に着いてスマホを見たら、ヘアメイクMからメッセージが来ていた。

「ねー、2月に韓国行かない?」

行く。ていうかこわいんだけどわたしも今それ考えてて」

聞けばMの海外での仕事が急遽キャンセルになったのだという。というわけであっという間に韓国行きが決まった。話が早い。合う人とは合う。たぶんそういうことなんだと思う。

いま韓国に行くために必要な手続き

「なんかいろいろしなきゃいけないんだよね」

そう、韓国行きはすぐに決まったけど、Mが言うようにいま韓国に行くにはさまざまな手続きが必要だった。(2023年2月現在)

まず、ワクチンの接種証明書。ワクチンを3回接種しているか、搭乗前のPCR検査で陰性と証明できなければ飛行機には乗れない。それからK-ETAQ-コード

ワクチンの接種証明書(海外用)

これは3回ワクチンを接種したことを証明するアプリの証明書。海外用のものを申請するにはパスポートが必要。マイナンバーカードがあれば、スマホをかざして秒で入手できた。早すぎてこわいくらい。(マイナンバーカードがない人は、紙の書類を発行できる)日本でも、海外でも、アプリを表示すればいいので便利っちゃ便利。

K-ETA

K-ETAは韓国の電子渡航認証システム。パスポートと顔写真を登録しないといけなくて、スマホで撮ると写真サイズが大きいのでちょっと苦戦。撮影した写真をトリミングしたらできた。

K-ETA

Q-CODE

Q-CODEは検疫情報を事前に入力して自分の健康状態を証明できるQRコード。韓国の入国時に必要。

ブラウザによっては日付の入力がカレンダーからやりにくかった。端末やブラウザを変えてどうにか入力。ホテルの住所や郵便番号は、事前にメモなどにコピペしておくとスムーズ。必要情報を入力したら自動保存される。出発3日前になったら、保存されたデータを呼び出して健康状態を入力する。(出発3日目にならないとここは入力できない)

サイトは英語版と韓国語版があるけど、日本語版はない。自動翻訳を使うなら、英語版から翻訳した方がおすすめ。最初は韓国語から日本語に自動翻訳して入力していたのだけど、プルダウンで選択するときにハングル語だとどれなのかわからなくてあせった。

日本に帰ってくるために必要な手続き

日本に帰ってくるときにも必要な書類がある。ワクチン接種証明書、そしてVisit Japan Web、これは日本人であっても日本入国時に必要。

日本人にも必要だってわかっていなくて、関空に帰ってからあわてて入力した。でもそんなひとはけっこう多いようで、たくさんのサポートスタッフさんが空港に待機してくださっていた。すごい人員数。世界中のひとに対応しないといけないから語学のできるスタッフの確保も大変そう。PCRの検査場もまだあった。こういうのを見ると、まだまだ大変なんだなと思う。

日本への再入国審査場では日本人の列はガラガラだった。外国人の列は長蛇の列。ソウルにも日本人はまだ少なかった。ソウルでのマスク着用率は日本と同じ感覚だったのでホッとする。屋外でもマスクを着用しているひとがほとんどだったけど、してないひともいる。してないひとの割合が日本よりも若干多いくらいかな。

いま関西国際空港はどうなってる?

出発の日、関西国際空港は思ったより混んでいた。

全体的に若いひとが多い印象。旅行に出かけるひとが戻ってきたように思ってうれしくなっていたけど、じつは日本人はまだまだ少なかったのかもしれない。出国検査場の入り口はひとつに統合されていて、長蛇の列。両替所にも列。旅行するひとが戻ってきたというよりも、窓口を少なくしているから混んでいる感じ。

チェックインカウンターのそばにあったエスカレーターはなくなっていて、(改装中?)出国前にはあったレストランやお土産物屋やドラッグストアやさまざまなショップなどが見当たらない。エレベーターで2階に降りるとたくさんあったレストランはフードコートになっていた。そして搭乗ゲート前のコンビニは長蛇の列。コーヒーをあきらめて自販機で水だけ買う。

ソウル行きのJINAIRは日本人よりも圧倒的に韓国人の方が多い印象を受けた
ラジカセを肩に背負うひとなんて、いる?

いまソウルはどうなってる?

コロナ中、韓国ブームが世界中にやってきた。エンタメ、ファッション、フード、コスメ…。イギリスのV&A博物館では韓国ポップカルチャーがテーマの展示もしているし、韓流は大人気。


トイレのデザインが韓国っぽい

コロナで行き来ができないこともあって、日本国内で韓国の食べ物もコスメもなんでも手に入るようになったのはありがたいけれど、いまのリアルなソウルはどんな感じなんだろう。

東大門

ホテルに荷物を置いて、東大門まで行ってみた。東大門は夜から朝まで営業するファッションビルや、卸売り市場が並ぶ問屋街だ。東大門総合市場をはじめ、靴、かばん、帽子、服、生地、アクセサリー、化粧品などいくつもの専門卸売り市場がこの地域にある。

DDP(東大門デザインプラザ)

この日は日曜日。今までは市場の空いている平日に到着してそのまますぐに市場に行っていたけど、平日の便が減便しているのでしかたない。昼間に東大門ショッピングエリアを歩くのは初めてかもしれない。

昼間だからか、日曜日だからか、少し閑散とした影響を受けた。夜はそれなりに賑やかだったけど、コロナ前ほどの活気はやはりみられない。パワフルに夜中じゅう人がガンガン働いている感じや、配送業者が大きな荷物を抱えて行き交うあの激しい搬入っぷりがないのもさみしいような歩きやすいような。

イートインでひとやすみ
甘くておいしい

お腹が空いたので軽くトーストサンドを食べる。卵サンドだけど、日本みたいにしょっぱい系じゃなくて、ちょっとハニーバターのような甘めの味付けが韓国っぽい。ニャムニャム。

いつも行く生地市場のなじみのお店はお元気で営業されているのかしら、と心もとない気持ちになった。甘いあじつけの卵のように、やさしいようなものたりないような、そんな韓国ソウル初日。

2日目の朝

市場のあく月曜日。生地市場は朝9時からなのに、はやる気持ちをおさえきれずにふたりともずいぶん早起きをしてしまった。しかたないから市場かホテルの近くで朝ごはんを食べようとカフェを探す。

ホテルは市場にほど近い、世界中のバイヤーや観光客たちが集まるエリアにある。かつては周辺のホテルの一階にもそのとなりにも多くのカフェがあって、たくさんのひとたちで賑わっていた。いまはカフェどころかホテルも営業しているのかどうかあやしい。そりゃそうだよね。仕事にしても買い物にしても、コロナのあいだに技術が発達して直接来なくてもよくなった。でも来たいんだよわたしたちは。

結局うろうろしても適当なカフェは見つからず、コーヒースタンドを見つけてカフェオレを買い、ホテルに戻って朝ごはん。

やっと見つけたコーヒー屋さんでカフェオレをテイクアウト
それも楽しかったりする

9時前になって、生地市場へ向かった。例のウェディング専門の生地や素材、資材を集める市場だ。

3年半ぶりの再会

初日の東大門市場では不安にもなったが、ウェディングの市場のほうはあまり変わっていなかった。なじみのショップはあいかわらずそこにあったし、生地屋さんもたくさんあった。うれしい。

そしてなによりもいちばんうれしかったこと。家族ぐるみで営業されているおなじみのドレスの生地屋さんがあいかわらずそこにあったこと。

そして、お店のおじさん、おばさん、軍隊に行っていた息子さんも、みんないらっしゃった。

わたしたちを見て、おばさんがすぐに気づいてくれた。

そして、「わ〜!」と再会を喜びあった。

ひとしきり盛り上がったあと、「あなたたち、韓国語わからないんだったっけ?」とおばさんが聞いてきた。(たぶん、ニュアンスで)「わからない」と言った。(ジェスチャーで)

おばさんは残念そうにしてた。たぶん、おばさんにも聞きたいこと、言いたいことがいっぱいあったんだと思う。

わたしたちにもいっぱいあった。「お元気でしたか、ご家族みなさんお変わりありませんか?」と聞きたかった。

「いつか軍隊に行かれる息子をお見送りすると言ってお店を閉められたことがありましたよね、次の日、おじさんがさみしそうな、複雑そうな顔をされていたのが印象に残っています。その息子さんも無事に兵役を終えて戻って来られたようでよかったです」それも伝えたい。でも伝わらなくてもどかしい。

だからただワーワーとよろこびあうだけ。

ほんとうは「コロナでいろいろ大変だったけど、またこうしてウェディングの仕事ができて、ドレスの生地を買いにここにこれたこと、そして元気でみなさんとお会いできたことがうれしいです」と伝えたかった。

でも、そんなこと、会った瞬間にいっしゅんでわかりあえたのだとも思った。ことばは通じなくても、会えば気持ちはつたわる。

もちろん、高い生地を買ってくれるお客だから、商売上愛想よくしてくれているというのもあると思う。それはわかっている。でも、それだけじゃないものもたしかにあるような気がする。

おじさんは英語ができるので、商品の説明や買い付けはお互い英語でやりとりする。わたしは英語は堪能ではないけれど、ドレスに関することだけならなぜか理解できるという特殊能力を持っている。

それは語学じゃなくて、なんだろう、同じウェディングドレスに仕事で関わるもの同士のつながりというか、仲間意識のようなもの。みなまで言わんでもわかるよ、みたいな。そこにはドレスという共通言語がたしかにある。

同じ仕事でつながるものには、たぶん国境はないのだと思う。それは以前もいまもきっと変わらない。

コロナという共通言語

それにもうひとつ。

わたしたちには、じつはコロナという共通言語もあるのだと思う。

同じ時代に、同じ困難に立ち向かったもの同士の、共通感覚。お互いあのときは大変だったよねぇ、というような。いまを生きている世界中のひとたちに、その言語が存在している。辛いことではあったけれど、それってある意味すごいことではないかとも思う。世界中のひとたちが一時期いっせいに同じ体験をしたのだ。それは一方で分断を深めもしたけれど、別の見方をすれば、共感性を持ってつながることもできるはずだ。ほんとうは、きっと、できるはずなのだ。

ここでAirDropしてたらみんなとうっかり写真を共有してしまえるんだよね

仕入れを終えて

必要な素材を購入して、保留にしていたレース生地をどうするか考えながらも、まずはお昼。

平日昼間の食材市場はいままで通りだった。いや、いつもよりもひとが多いかも。すごい活気。

賑やかな食材市場
揚げチヂミ

屋台の店先にこんもりと盛られたお惣菜も、きちんと整列されたつやつや海苔のキンパも、なぞのソーセージも、ほかほかと湯気をあげるマンドゥや揚げチヂミも、以前と何も変わらない。

トックとマンドゥ(水餃子)のスープ

酸っぱ辛いキムチを食べながら、「やっぱりこうでなくっちゃね」と思う。

「韓国のキムチって酸っぱいのがいいよね」

「うんうん、マシソヨ」

「我が食欲に悔いなし」

Mと口々に言い合いながらお腹いっぱい食べた。

韓国の食べ物は日本でも買えるけど、この市場の活気と熱量だけはここに来ないと味わえない。

匂い、味、温度、触感、そういった感覚もこれからはバーチャルで再現できるようになるのだろうな。それで生活がうんと便利になるひとも多いだろう。でもその場に来ないとわからない感覚も、まだまだ残っていてほしい。

「え、旅行って、まだじっさいに行ってるんですか?」

いつかそんな時代も来るのかしら。だったらわたしは古い人間のままでいいなと、しゅわしゅわしたビールマッコリをアルマイトのカップで飲みながらふわふわ考えていた。

アルミ製のマッコリカップ これで飲むとおいしく感じるのはなぜ?


3年ぶりに韓国に行ったら

3年ぶりに韓国に行ったら、いろいろ変わっていたけれど、変わっていないものもたくさんあった。

そして、わたしたちのもつ共通言語に気づけたりもした。

行ってみないとわからない。生地の色も、質感も。ひとも。
会わないとつたわらない。


やっぱり旅はいいな。



ああそうだ、韓国行きの目的のひとつだったコスメとタッカンマリについてはまたべつの記事で。

東大門の卸売り市場のしくみについてはまたくわしく「いとへんの旅」でも書きます。(「いとへんの旅」シリーズは有料記事ですが、メンバーシップでも読むことができて、メンバーシップのほうがちょっとおトクかもしれません)


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ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!