あおもり旅行記|津軽・五所川原 りんごをめぐる旅
旅にも一目惚れってあると思うんです。
昨年、はじめて青森にきたとき、そう思いました。
青森についてすぐ、空港バスに乗り込み、車窓からりんご畑が見えはじめたとき、りんごの町(※)で育ったわたしは、その懐かしさに胸がしめつけられました。はじめて来た場所だとは思えなかったのです。そして美しい岩木山を見た瞬間、わたしは青森に恋に落ちたのだと思います。
その旅でお会いしたこぎんの作家さんが、「はじめて津軽に来た人には岩木山は姿を見せないって言われているのに、あなたは3日間とも岩木山が見えたの?」と驚かれました。
はい、3日間ばっちりくっきり山頂まで見えました。りんごの町で育ったので、一見さんだと認識されなかったのかな? だとしたらうれしいな。
旅をしていても、なぜだかもういちどここへ来るような気がしてならなかった。不思議です。ほんとうにこうしてまた青森に来れることになるだなんて。
あおもり旅行記 #1 津軽・五所川原りんごの旅
そんなわたしが二度目に旅した「あおもり旅行記」です。今回は、津軽・五所川原の旅のお話。りんごをめぐる旅です。
青森到着
旅をしたのは、2023年9月12日から14日の3日間。神戸も青森も、まだまだ残暑が厳しい頃でした。今年の夏は青森もとても暑かったのだそうです。
FDA(フジドリームエアラインズ)で、神戸空港から青森空港へ。1時間40分ほどであっという間に青森に到着しました。思ったよりも近い!
神戸空港は市街地(三宮)から近いこともあって、ほんとうに「青森との距離が近くなった!」と思えてうれしかったのです。(感想がもはや遠距離恋愛のそれ)
今回は、FDA(フジドリームエアラインズ)青森ー神戸線の利便性を活かした、青森と神戸のビジネス交流を活性化するという目的のビジネスツアーでした。
さっそく貸切バスに乗り込んで、五所川原市へ。五所川原市は青森県西部、津軽地方にある市です。青森県の、日本海側の半島(津軽半島)の中南部に位置しています。
太宰治の出身地の金木(※)や立佞武多、最近では「中まで赤いりんご」で有名なところです。
五所川原市・木村農園さん
最初に向かった先は五所川原市の金木地域にある「木村農園」さん。
わたしたちがバスから降りると、りんご娘さんたちと、五所川原市役所のみなさんが、ぴかぴかの笑顔で出迎えてくださいました。すごいウェルカム感! もう大好き!
そりゃもう、この瞬間にこのまちが大好きになるよね。だってこんな笑顔で出迎えてくださるのですから。
ちょうどわたしたちが着く直前までどしゃ降りの雷雨で、着いたとたんに雨が止んだそうです。こんなことがあると、もしかしてわたし歓迎されてる? って勘違いしちゃう。そう、恋はいつだって勘違いから。
りんご園でりんご狩り
さっそくりんご園のなかに案内していただきました。空はすっかり晴れあがっていて、雨あがりを喜ぶ鳥たちの声がにぎやかに聞こえてきます。
木村農園さんは広い敷地内に、たくさんのりんごの品種を栽培されています。
いまは「つがる」という品種のりんごの時期なのだそうです。
ちなみにりんごは1年中スーパーにあるので実感がないかもしれませんが、りんごの旬は「秋」です。8月末〜11月の間だけ獲れるのです。春や夏に売っているりんごは、秋に収穫して貯蔵してあるものだと思います。
りんごは品種ごとに獲れる時期が違います。「つがる」は、りんごのシーズンが始まった最初の頃に獲れるりんごで、わたしにとっては「ああ、りんごの季節が来たのね」と思わせてくれる大好きなりんごです。
食感もシャキッとしていてみずみずしくて、青っぽく、若々しい香り。「つがる」は数ある品種のなかでも、わたしがいちばん好きなりんごなのです。
その大好きな「つがる」のりんごの収穫体験をさせていただきました。
りんご狩りなんて、保育園ぶりくらいかも。地元にいたら案外やらないものなのです。
りんごをもぐときは、利き手でりんご、もう片方の手で軸の付け根あたりの枝を持ちます。軸あたりの枝を軽く持ったまま、利き手で持ったりんごを軸ごと回して、上の方へ回し上げると、ポキっと小枝が外れてとることができます。これは楽しい。
ポキっと外れるのが気持ちよくて、ついついたくさんとってしまいました。(大切に持ち帰ってぜんぶ美味しくいただきました)
中まで赤〜いりんご「御所川原」
この木村農園さんが、いえ、五所川原市が力を入れておられるりんごが「御所川原」という品種のりんごです。小ぶりのりんごで、皮だけでなく、果肉まで赤いのが特徴だそうです。
たしかに中までじわっと赤い果肉です。
普通のりんごジュースは黄色っぽい白色ですが、中まで赤い御所川原は赤いりんごジュースになります。
ひとくち飲むと。
いままでのりんごジュースの常識を覆すかのようなお味。酸っぱくて、甘ったるくなくて、どこかブレッドオレンジジュースのような、もしくはさらっとしたトマトジュースのような爽やかな風味。ちょっと辛口なりんごジュース、なのに香りはちゃんと豊かなりんごの香り。なんじゃこれ美味しい!
甘い飲み物が苦手な人にも、ものすごく受ける味だと思います。お料理にも合わせやすそう。りんごジュースの概念がガラッと変わりました。びっくり。
中まで赤いりんご「御所川原」は、枝も、葉っぱも赤いのだそうです。不思議ですね。
たしかに葉っぱも枝もほんのり赤みがさしています。ポリフェノール、アントシアニンを木全体でたっぷりとりこんで小さな実にギュギュっと凝縮させました! っていう感じ。
りんごの樹の下で
「こちらにどうぞ〜」との声に振り向くと、りんご娘さんがりんごの樹の下に素敵なお茶会スペースをご用意してくださっていました。なんなのこの世界観、まるでメルヘンの世界です。ほのぼの。
素敵なテーブルを用意してくださったのは、津軽鉄道の本社1階にあるコミュニティカフェ「でる・そ〜れ」のスタッフの松野さん。(トップ画像のりんご娘さんの左側に写ってらっしゃる方です)
「でる・そ〜れ」は津軽鉄道の津軽五所川原駅の前にある、地域のみなさんで立ち上げられ、運営されているアットホームなカフェです。そして地域の大切なコミュニティースペースでもあります。
さらにでる・そ〜れは「ストーブ列車」と「走れメロス号」で有名な津軽鉄道の「津鉄ファン」たちが集う聖地でもあるのだとか。太宰ファンそして乗り鉄のわたしとしては興味しんしんです。(津軽鉄道について語ると長くなるのでまたこんど別の記事で話しますね)
さあさあ、りんごの樹の下のテーブルに集まりましょう。
りんごづくしのテーブルです。
このコンポート、さっとお砂糖を振ってレンジでチンしただけでこんな風になるのだとか。とにかく色がすごくきれいだし、とっても美味しい。
中まで赤い「御所川原」は、生で食べると酸っぱくて、ちょっと渋みがあります。その酸っぱさと渋みが、お菓子にするとほんとうに美味しいのです。このジャムとクリームチーズの美味しさにはやられました。
じつはわたし、甘いものと甘い飲み物があまり得意じゃないのですが、これはかなり美味しい! と思いました。甘すぎないので、うまくすればたぶんお酒とかにも合うんじゃないかな。
そしてなんといっても、中まで赤いので、どのお菓子も見た目がきれいで写真映えがします。映えはだいじですからね。
素敵なお菓子とテーブルをありがとうございました!
さて、このりんご娘の右側の方、じつは、こぎん刺しの作家さんでなんと五所川原市の伝統工芸師さんなんです。人気のこぎんさし作家「三つ豆」の工藤夕子さんです。
工藤さんは中まで赤いりんごで草木染めができないか、木村農園さんに相談されに来られていたところ、わたしたちが来るということで特別にりんご娘さんとしてお手伝いしてくださったのだそうです。わ〜、ありがとうございました! 中まで赤い「御所川原」りんごは草木染めにも使えるだなんて、なんてかしこいりんごでしょう。
りんごの樹の下で、名刺交換
りんごの樹の下でお茶会をしたあとは、名刺交換と自己紹介タイムです。すっかり忘れていましたが、この旅はビジネスツアーだったのです! あわてて名刺交換です。
ふふふ、でもりんごの樹の下で、名刺交換って。かわいいかよ。
津軽
名刺交換の後、参加メンバーみんなで自己紹介をしました。わたしもただの青森好きとして、青森愛を語りました。あ、じぶんの仕事の話も。(←ついでみたいに言うな)
そして、木村農園さんのおとうさんとおかあさんにもひとことずつお言葉をいただきます。
いちばん最後に、おかあさんの番になりました。
「や! 富士。いいなあ」
とつぜん、おかあさんが何かの暗誦を始められました。
「『や! 富士。いいなあ』と私は叫んだ。富士ではなかった。津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮かんでいる。実際、軽く浮かんでいる感じなのである」
ハッとしました。もしや、こ、これは…。
そう、これは、太宰治の『津軽』です。しかもわたしが、『津軽』に出会ったきっかけとなった文章です。
おかあさんはスラスラと暗誦を続けます。
「したたるほど真蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある」
太宰が故郷の岩木山を描写した一節です。ふるさとの愛に溢れた美しい描写を、その土地に暮らすひとから聞けて、わたしはうれしくて泣きそうになりました。
津軽で、ここで、その文章に、ほんとうの意味でのその文章に、わたしはいま出会ったのです。太宰治の『津軽』に。
生きていました。太宰が。
そして、愛されていました。
おかあさんの暗誦を聞き終えると、りんご畑にみんなの拍手が響き渡りました。
『津軽』を知らない人にも、スッと心に染み入るような、それはそれは美しく、情感のこもった暗誦でした。それはたぶん、この津軽の土地に住んでいる人にしか発せないことばだと思いました。
太宰治の津軽
わたしは昨年、弘前市立文学館の展示でこの『津軽』の一節に出会い、心を打たれ、そしてそれをきっかけに太宰治の『津軽』を読みました。
『津軽』は、昭和一九年、太宰治が36歳の時に書いた、ふるさと津軽の旅行記です。この『津軽』という太宰の紀行文は、「じつは太宰治の作品のなかで一番好き」と言うひとも多い名作です。わたしも太宰の作品のなかで『津軽』が一番好きです。
太宰が歩いたりんご畑
おかあさんに聞くところによると、『津軽』のなかにりんごの花のことを書いた文章があり、それはなんと、このりんご畑を描写したものだそうなのです。
この辺りを、太宰は歩いたのだそうです。
うそでしょ、うそみたい。信じられない。
昨年、青森に来て、太宰治の『津軽』に出会って、感動して、太宰治の作品のなかで『津軽』が一番好きだと思いました。もう何回読んでも泣けます。読むたびに泣いています。
その津軽に、いま、わたしはいるのです。しかも、五所川原市に。
太宰の生まれた、金木町のすぐそこに。
そんなことがあるなんて。
果たしてそんなことがあるでしょうか。文芸を学ぶ大学生でもあるわたしが、太宰治のふるさと五所川原市に、なんと仕事で来させてもらえるだなんて。しかもきょうは五所川原市のホテルに宿泊するのです。こんな機会は滅多にあるものではありません。
わたしの胸にある決意が生まれました。
バスの中から岩木山
木村農園を後にして、次の目的地である五所川原市中心部に向かうバスの窓から、岩木山が見えました。
残念ながら山頂は見えませんでしたが、岩木山の姿が見えたとき、わたしの決意は固まりました。
明日の朝、ひとりで金木まで行こう。
津軽鉄道の始発に乗って、
たったひとりで、
太宰に会いに行こう、と。
(つづく)
次回は、
旅とブンガク|太宰治の津軽・金木町編 です。
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ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!