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閉鎖空間の犠牲『Another/綾辻行人』


大抵の事は、ある程度操作された確率だったり、自分の実力・行動で引き起こる『結果』としての些細な出来事ばかりであると、私は考える。

だが、全ての人に当てはまらないにしても、こういうことはないだろうか。

宝くじを買う時、『大安吉日・一粒万倍日』に買う。
試験に絶対受かりたい時、天満宮にお参りに行く。
ガチャでSSRキャラを爆死せずに引きたいので、聖地へ願掛けをしに赴く。
試合の日のカレンダーの『仏滅』の文字が気になる。
普段使いの皿が割れで嫌な気持ちになる。

何故このような行動や思考に走るのだろう。
根底には何が潜むのだろうか。

『~すれば…になるだろう(やってないよりマシだろう)』
『~したから…になるかもしれない(身代わりかな?お祓いかな?)』
『みんなが~してるから、自分もやっておこう』

少なくとも無意識的であれ、意識的であれ、『不確定な未来への「不安」に対する「対策」を行ったという「安心感」』が欲しいのではないだろうか。

そのために、目の前で起こった『予想も出来ない現象』に対して、普段から無意味に勝手な関連付けを行っていないだろうか。
誰かの根拠のない『噂話』と、こじつけてはいないだろうか。

あなたの目の前を『黒猫』が横切ったとしよう。

何も思わないだろうか。

『黒猫が横切ると不吉な事がおこる』

はたしてそうだろうか。

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この物語を『ミステリー作品』として確実に紹介すべきか少し戸惑った。
個人的に『ホラー』の要素が強いのではと感じたからである。
(主人公がホラー小説を読むという先入観感からかもしれない)

しかし、この時代のこの時期、あえて紹介したい作品。

綾辻行人先生のミステリー小説『Another』

『ミカタ』を知らない限り、人は誰かを『てき』にすることでしか、心の安寧は得られないのだろうか。


あらすじ・・・

時は1998年 春。
本作、主人公・榊原恒一さかきばらこういちは、父親の仕事の関係と自身の病気の療養も兼ねて、『夜見山』と呼ばれる場所へ、亡くなった自身の母方の祖父母の家に預けられることとなった。

後に主人公が通う事となる『夜見山北中学』の『三年三組』にはあるいわく・・・があった。

それは26年前、急死したクラスメイト「ミサキ」を想うからこそ・・・・・・『みんな』で始めた『善意』から始まった『呪い』。

―――――『三年三組』には、『死者』が1人紛れ込んでいる。
その影響で『クラス』の関係者が次々と『不可解な死』を遂げる。

それは《現象》と呼ばれる災厄。
不定期に不確定に訪れる災厄を止める唯一の方法は、『クラスの誰か1人を「いない者」として扱う事』

主人公が出会ったクラスメイトの少女―――――見崎鳴みさきめい
彼女こそが1998年の『三年三組』における「いない者」であった。

主人公・恒一が「いない者」である見崎鳴と交流を持った時。
『絶対に守らなければならないクラスの約束ジンクス』を破った時―――――――――――――――――――惨劇の幕が上がる。


「気をつけたほうが、いいよ。もう始まってるかもしれない。」


日本人は『和』を重んじる民族。
それは別の見方をすれば、閉鎖的とも言える。
この物語『Another』も、同じく常に『閉じられた』世界なのである。

それ故、物語には常に重く鬱蒼とした息苦しい空気が漂っている。
(ビビりの書き手はたまに夜中に読んで物音でビクつく)

物語の冒頭も、主人公の榊原恒一が見崎鳴と最初の邂逅する場所も『病院』から始まる。常に定められた『生』と『死』が閉じられた世界。

恒一と鳴が通う『夜見山北中学校・三年三組』。
『対策』を講じているとはいえ、『呪い』の影響で、誰かが犠牲になるかもしれないという不安定な『生』と『死』が閉じられた世界。

物語最後に登場する合宿の館。
完全に四方を塞がれ『死』に閉鎖される世界となる。

見崎鳴の家は『夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。』という人形店を人形師の母親が営んでいる。『生きているのか』『死んでいるのか』うつろを閉じ込めた存在を扱う世界。

主人公の榊原恒一自身も『自然気胸』という持病を抱える。
言われのない事で抱えてしまった、いつ発生するとも分からぬ持病――『生きるか』『死ぬか』という不安を自身の内側に閉じ込めた世界にいる。

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重く抑圧された世界の中で、『夜見山北中学校・三年三組の呪い』。
もとい《現象》が、主人公を始めとしたクラスメイト・関係者を襲う。

ただでさえ学校という閉鎖的な空間。
目に見えない、しかし少し気を緩めたら確実に死へと葬られる『空気』のような『敵』と共存しなければならないという事実。

中学生という多感な時期に、たとえ一年間だけであったとしても、人としてそのような状況に耐えられるだろうか。

招かざる1人の為に『閉鎖空間の犠牲』とも言える存在となった見崎
鳴。彼女がクラスメイトの誰とも関わらないお陰で秩序は保たれていた。

しかし主人公の介入で、狭い空間の『安寧秩序』は崩れた。
追加で「いない者」を増やしても、止まらない《現象》の魔の手。

そうして、三年三組の生徒たちが、ずっと抱えてきた『恐れ』や『不安』は『他者への攻撃』として物語後半、《現象》を止めるための合宿のシーンに現れる。

印象的な話がある。
作中『赤沢 泉美あかざわ いずみ』というキャラが出てくる。

作中《現象》を止めるための「対策係」の彼女が、自分の不手際で《現象》を止められないことを謝罪するシーンがある。
一方で『いない者の役割を果たさなかったから』という事を理由に、クラス全員に迷惑をかけたとして、鳴に謝罪を求めるシーンがある。

誰のための、どういう目的での謝罪なのだろうか。
『規則を知らずに破った者(主人公)』より、『規則として機能しなかった者』をより強く罰する。勿論、鳴が謝罪したところで「《現象》による誰かが不幸に見舞われる」事実は変わらない。

根本的な問題解決にもならない、クラスの平穏を守りたいという名目上の、
自分の心を守りたいだけの『見せしめの謝罪』。

原作でもアニメ版でも、このシーンは「茶番劇だな。」と思い、嘲笑した記憶がある。読み手の世界にも『見せしめの謝罪』は存在するからである。

アニメ版は『館内放送』から更に、鳴だけでなく恒一までをも暴力を持って排斥しようと追い打ちをかけてくるので、もう嗤うしかないのである。

「アナタさえいなければ。」
「アナタさえちゃんとしていれば。」

この考えが、まだ世の中にある限り『閉鎖空間の犠牲』は止まらないのだろうか。むしろ、みんなの安寧秩序の為に存在している方がいいのか。

私は、理不尽な理由で他者を排斥する事でしか己の心の安寧を図れない、その醜い考え方がこの世から消えてくれることだけを願う。

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同級生、近親者―――――最悪、自分自身。
姿の見えない『呪いの連鎖反応』によって起こる犠牲の物語。

しかし一つだけ、『Another』という作品は本当に『呪いと狂気と混沌』に満ちただけの作品なのだろうか。

三年三組 担任の久保寺先生は単に呪いの影響で発狂してしまったのか。
恒一が居候する祖父母の家の九官鳥は何故あの鳴き声で鳴くのか。
鳴の母親『霧花』は、何故人形を作り続けるのか。
主人公たちと交流を持ってもなお、どこか独りであり続ける見崎鳴の抱える「世界」とはなんなのだろうか。
何故、急死したクラスメイトを「いる者として」扱ってしまったのか。

『つながる』という事は引き止め続けておくことなのだろうか。

「死者を死にかえす」


少なくとも私には、現代のどこにでも起こり得る物語として受け止めた。
街角であれ、SNS上であれ、多分今もきっと同じような『狂気』と『孤独』『犠牲』が生まれているのだろう。
ただ、この物語だけは読み終わった後に、どことなく闇が晴れ、晩夏の香りがするのである。

『ABSOLUTE VALUE/中谷美紀』作品の最後の一文を飾る歌詞が掲載されている。


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結局のところ、幸も不幸も全て自身の行動・心のあり様なのであろうと、私は考える。所詮、ジンクスもおまじないも、都合のいいように人が伝えて都合のいいように受け取るのだろう。

というわけで、黒猫ちゃんは私の目の前を思う存分横切ってほしいと願う。

『黒猫が横切ると幸福な事がおこる』


ネコちゃんはかわいい。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
また別の記事でお会いできることを願って。




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