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24年という月日


24年前の朝5時46分、兄と僕は箪笥の下敷きになっていた。

駆けつけた父親が今ではなぜできたのか分からないという力で箪笥をどけてくれ、僕たちは運良く助かった。

リビングに行くと、当時飼っていた犬が恐怖から失禁し、開かなくなってしまった玄関ドアを父親が必死に蹴っていた。

部屋は真っ暗で、なんとか開いた玄関ドアから住んでいたマンションの階段室が見え、そこは逃げ惑う人で溢れていた。


「この懐中電灯を使い!!」


いつも話すことのない上階に住む住人が父親に懐中電灯を渡したのを見た。そしてその光と逃げ惑う人々を頼りに近くの小学校に避難した。母親は当時市役所の水道局で働いていたから、水漏れしている道を見てはこれから自分がやらなければならないことを話していた。


小学校の体育館にはまだ人がまばらで、僕はマンションから漏れるガスの匂いで気持ち悪くなり、体育館の板間の上で横になっていた。犬が心配して顔を近づけてきたことを覚えている。


少しすると、いつものように日が昇り、1時間ほど前に何が起こったのか、分かるようになっていった。


日に日に増えていく新聞の一面を飾る数字。水の重さに驚き、自衛隊員の活躍を見ていた。砂の入ったおにぎりも食べた。箪笥の下敷きになった際に胸を打った可能性があれば突然死があると言われた。


そして大切な人を失った父が天井を見ながら涙している姿を初めて見た。


あれから24年。


僕も父になり、あの時の両親の思いを考える。災害は避けられるものではない。だからこそ、あの時の経験を、悲しみだけではなく納得できる経験にしたいと思う。あの経験を活かし、子どもたちが同じ思いをなるべくしないようにしてあげたいと思う。


最後に、震災によりお亡くなりになられました方々に、心より哀悼の意を表します。


竹鼻良文

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