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社会人1年目から見ている夢のお話


正直にいうと、これから社会人1年目を迎える若い人たちに何か助言できるかと言われれば無理に近いと思う。私が大学を卒業してからもう11年が経過し、今の若者とは社会も常識も全く違うだろう。何かを言おうとすればするほど空虚な言葉にも感じてしまう。

でも1つだけ。助言とかではなくて、僕が社会人1年目から今までずっと抱き続けている夢の話をしようと思う。


僕は学生時代、建築という分野で学び、大学院を含めると6年間も学生生活を送った(お父さんお母さん本当にありがとうございます)。実は学部を間違えた事もあり(プロダクトデザイン学科で学ぶ事が本当に自分がやりたい事だった)3回生途中までは遊び呆けるまさにダメ学生だった(お父さんお母さん本当にごめんなさい)。

でもある社会学の授業を受けた時に少子化の問題と出会い、そこから自分で社会の問題を見つけてきてそれを解くという思考実験のような勉強方法にはまり始めた。その甲斐もあって4回生の時には見違えるような成績を残していた。ちなみに卒業設計と卒業論文という2つの課題を提出しなければ卒業が認められず、どちらも奨励賞という賞を受賞した。その中の卒業設計が少子化問題を建築で解決できないかと考えたものだった。

私の卒業設計

その後「学科を間違えたのでもう少し学びたい」という先生を怒らせるには十分な言葉を引っさげて大学院へ入学(笑)。入学できたのは4回生の時に先生の受託研究を一人でこなしていたからという事実はここだけの話にしておこう。

大学院に入学後すぐに昨今よく目にする第3次テクノロジーブームの夜明けと出会う。まさに衝撃だった。まだ当時はビックデータという言葉がなかったが、人間がデータ化できれば建築をもっと合理化して、設計に関しても一般人にもできる時代がくるのでは?・・・なんていうまた先生を怒らせるには十分な言葉を誰にでも投げかけていた。

そして大学院の卒業時に提出した修士設計では大量の情報(ビックデータ)を活用して津波に対応できる都市計画を提案し変人扱いされる(笑)。だって3.11前だったし「情報を活用?」「津波?」「は?」という感じだった(笑)

でも1つだけ確信できる事があった。それはこれから建築は必ず変容する、という事だった。僕の夢はここからスタートする。まさに作家性を超えた、誰にもできない、むしろ進化したテクノロジーの力を使わなければ建設できないような建築物をいつか作ってやる!と考えた。

でも読んでわかる通り、全くの妄想だし具体性もない。そのまま卒業して社会人1年目を迎える。ここから良かったのは、僕は社会人1年目辺りに持ってしまった夢を今でも忘れる事がなかった点だと確信している。まさにその夢は今も続いている。

卒業後設計事務所で働き、すぐにフリーランスとなり、その4年後の28歳の時に夢の建築物となる模型を完成させた。それがこの模型だ。

建築関係者でなくても「は?」と思った方は多いと思うが、一応建築コンクールで構造家の江尻憲泰先生の個人賞をいただいている(先生、夢を繋いでくださりありがとうございます!)。

その後も夢は途絶えず、大阪グランフロントで行われた35歳以下の若手建築家の展覧会でも満を持して展示した(32歳)。まぁ批判の的になった事も良い経験となった。


さて、私は社会人1年目の24歳の時に持った夢を今も追い続けているわけだが、もう11年も経過する。当時は誰も理解者はいなかったし、情報発信して共感者を得る事もできなかった。SNSといえば身内で使うmixiくらいだった。ブログもちょっと使ってはいたが、こんなテクノロジーの話を信じてくれる人もいなかった。

でも今は違う。個人がメディアになる時代。まさにこのnoteだってそうだ。若者に寛容な時代にもなっているし女性にだって優しい人が増えた。副業だって国が推奨している。私が経験した社会人1年目とは状況が全く違うと言って良い。

だからこそ、今、若いうちに持った夢を叶える事を忘れないでほしい。若いうちに持った夢は確かに現実離れしているかもしれない。でもその純粋な思いが分野や世界を変えるかもしれない。多くの人のためになるかもしれない。そして君自身を救い続けるかもしれない、私が経験したように。

私は若い人たちの夢を応援し続ける。嫉妬や妬みなんかない。

もし今君に仲間がいなくても、 #社会人1年目の私へ 贈る言葉と同じ言葉を贈りたい。


さぁ、勇気を持って一歩を踏み出そう。

大きな夢を心に持って。



竹鼻良文/TAKEHANAKE

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