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ただの1日なのか、楽しかった1日なのか

昔から「松本人志のすべらない話」が好きで、毎回よく観ていた。

ちょうど先日もやっていて、わたしはひとり、部屋でそれを観た。夫はその日はまだ退院していなかった。

観始めにふと、思った。

芸人さんの日常には、「楽しい」が詰まっている。毎日ぎゅうぎゅうに、楽しいことだらけだと。

でも、だんだんとそれは違うことに気づく。

「日常をどう切り取るか」なんだなと。


それを1番感じたのは大吾さんのお父さんのエピソード。

大吾さんは確かとても田舎の島出身で、ご実家も貧しかった。

2つほど話したその頃のエピソードは、きっとその頃だったら笑えていないほど切なくて、胸がぎゅーっとなるお話。

でも、芸人となった今、それらの想い出は笑いに変えられている。

聞く側のこちらとしても、笑っていいんだと許してもらえて、気が楽になる。お笑いの力って改めて不思議だ。


日々、色々なことがある。

それは心地良い刺激の時もあれば、辛い刺激の時もある。

家から一歩出れば、割とその繰り返し。

けれど、どっちの記憶を切り取って1日の思い出とするかは結局自分次第。

楽しかった1日なのか、そうでない1日なのか。


毎日が楽しかったと言えればそれは素敵なこと。

だけど、どうしてもそれを塗り替えるほどのキツイ出来事があったときは、そうでない1日だったと思うのも悪いことじゃない。

きっと、交互にくるから麻痺しない。

楽しい感覚を、人の痛みを感じられる感覚を、味わえるのではないかなと。


どちらも正解で、正解はない。

アンニュイな日々を、ただ生きるだけでもいいんだと思う。

\ご覧いただき、ありがとうございます!/ 拙い言葉を紡いでいきますが、これからも読んでいただけたら嬉しいです!