自分が当事者になる前、うつ病は心の病気と思っていたが、実際には脳の故障だ。機能していたはずの信号が送られなくなる。
精神的に元気がなくなるというより、元気な時にできていたことが脳の機能不全できなくなる、が正しかったように感じる。

うつ病と診断を受けてから、自分でもネットで情報を収集してみたりした中で、やっぱり自分はうつ病というにはだいぶ元気なのでは？と休職初期はずっと思い続けていた。
眠れないとか、部屋が片付けられないとか、起き上がれないとか、そういった症状がなかったので、こんなちゃんと生活できてて休んでて大丈夫なのか？と問い詰めていたが、自分のうつ病をはっきりと自覚した日があった。

休みに入ってから少しして、朝起きて少し調子が良かったので久しぶりによく通っていたカフェに行った。
いつものホットラテと期間限定のケーキを注文し、お気に入りの席に座った。
席に用意されたラテとケーキを、いつもだったらウキウキしながら頬張るのに、その日は機械的にしか口に運べなかった。あんまり味がしなかった。

カフェ活をする日は、エリアを決めて、店から店までを散歩して途中で寄り道をしたり、偶然見つけた雑貨屋さんを物色したりして気付いたら一日で２万歩くらい歩く。私の定番の休日の過ごし方だ。

その日も味がしないラテとケーキをあっという間に食べ終わり、店を出た。
でも、どこに行ったらいいか分からなくなった。
試しにGoogleマップを開いて、行ってみたいとチェックしていた場所はないか確認しても、目的地を決められなかった。
店の前で立ち尽くしてしまった。散歩すらできなかった。
悲しくなってそのまま家に帰ろうかとも思ったが、家に帰ってもやることがない。30分くらい歩いた先に公園があるのでとにかく歩いた。周りの景色は何も目に入ってこなかった。公園に着いてベンチに座った。
何も感じられなかった。
この後どうしよう、と途方にくれて涙が出そうになったので、普段だったら余裕で歩いて帰れてしまう距離を電車に乗って家に帰った。その日はその後ベッドからほとんど動けなかった。

「あ、これが、私のうつ病なんだ」と思った。
元気な頃に持ち合わせていた人間的な感受性をまるっきり失ってしまった状態なんだと。

元気な頃の私は、文字通り結構元気な人だった。
フットワークは軽い方だったし、趣味のために使いたい時間が到底土日だけでは足りなかったし、珈琲写真旅行散歩アイドル映画読書お酒、好きなもので毎日忙しかった。

前職の退職時、繰り越し続けた有給がたんまりと残っていたので、退職後丸々2ヶ月間の人生の夏休みを堪能した。
大学の長期休みでさえ、バイトに勤しんでいたわけだから、丸々2ヶ月勤労を放棄し、尚且つ収入があるというあまりにも輝かしい日々だったように思う。

最終出社日から転職先への出社初日までの間、ほとんど予定がない日を作らなかった。
長年我慢していた海外旅行。夢見ていたひとり旅を決行し、国内外、行きたい場所にあちこち飛び回った。
平日にしか行けない喫茶店でコーヒーを飲みながら読書をしてみたり、人の少ない都会を満喫したり、行きたい場所・食べたいもの・会いたい人が尽きることがなかった。

どこに行っても、何を食べても、誰と会っても、色んな感情を沢山抱けた。

淹れたてのコーヒーが美味しいだとか、気になっていたパン屋さんに朝から歩いて行ってみようとか、今日も天気がいいなとか、風が気持ちいいなとか、太陽でキラキラ輝く海を見て深呼吸をしてみたり、公園で緑の匂いを吸い込んでみたり、友人の子供やペットに触れて温かさや愛おしさを感じたり、好きなアイドルを見て思わずにやけてしまったり、映画や本で違う世界に触れて視界が広がったり。

何も特別じゃなく、当たり前に生きていることで生まれる感情が沢山あって、すごく毎日が豊かだった。
欲しいものも沢山あった。
7年間頑張って働いたご褒美に、ずっと欲しかった鞄を買ってみたり、古着屋さんで一目惚れした少し背伸びした革靴を勢いで買ってみたり。

同じように「休み」として過ごしたこの2ヶ月間、空っぽのように過ごしてしまった感じがする。

好きだったコーヒーは、食べる量が減って空腹状態が長い胃には負担が大きくなった。
見たいと思う景色も、浴びたいと思う空気もなくなってしまったし、少し先の未来を見据えるということが難しくて、いつどこに行く、という前向きな計画を立てられなくなった。

自分が弱ったことで仕事を休んでいるということを肯定してあげられず、文化的に時間を過ごすことに前向きになれなかった。
自分でお金が稼げないのに、消費活動なんて出来ないと感じたりした。

沢山あった趣味が「お金がかかること」という無機質さに変わってしまった。
自分の脳が有彩色を失ってしまったような感覚に陥って辛くなる。

元気な頃に比べて、ものすごく自分の世界が狭まってしまった。
今は「元気になりたい」ではなく「できていたことできる元気を取り戻したい」と思いながら毎日療養をしている。