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オッサン天使

小さいオッサンに憧れた時期がある。

とある女優さんが、とあるスピリチュアルブームの先をいった番組で、語った話である。
小さいオッサンが見えるのだと。

ジャージ姿で、落ち込んでいるときには励ますように、悲しい時には癒すように、現れるのだそうだ。


私は、残念ながら出会ったことはない。
だが、この話を聞く前から、なんとなくその存在を知っていたような気がする。すんなりとその存在を受け入れ、出会ってみたいものだと思ったのだ。

ジェイコブスラダーという映画が好きだった。
ベトナム帰還兵である主人公が、心身共にその後遺症に悩まされている。虚実入り混じる幻覚と、身体の痛み。通っている病院でさえ、その痛みと不安は取り除けない。
彼の唯一の味方といっていい存在が、カイロプロテクターである、マッチョなオッサンである。
狂気へと振り切ってしまいそうな彼を、度々助け出すのだ。
そしてやすらぎの方向へと導く存在なのである。

何度も観ているうちに、このオッサンは、実は天使なのではないか、と思うようになった。

本当の天使は、必ずしも一般的に想い描くようなファンタジーな姿ではなく、一見いかついオッサンのような風体をしているのではないかと、どこかで認識していたのだろう。

なので、小さいオッサンの話を聞いた時、ああ、そりゃ天使か妖精ですわーと合点したのである。

それから何年も経って、オッサンの天使に出会った。

40歳を少し過ぎたところで、結婚することになった。

白馬の王子様を待っていては来ないのだと悟り、相談所に入会して出会ったので、当然相手も結婚の意志ありという認識だったのだが、それは思い込みに過ぎなかった。

何となくとか、まさか本当に結婚するとはとか、特に深く考えもせずに、踏み出してしまう輩もいるのである。
それが、現在の夫である。

今となってはそのことが、言動の端々に見え隠れしていたことに気がつくのだが、私の方も年齢的に後がないと思い込んでいたこともあり、見えていなかった。
後年、そのことはメッキが剥がれるように私を混乱させたのだか、それはまた別の話としよう。

とにかくなんとなくでも、こちらは結婚の意志ありと思い込んでいるので、当然のように話を進め、結婚式はしないで、まずは同居をはじめることにしたのだった。

新居が決まり、一人暮らしの私の方が先に引越しすることになった。
悩んだのだが、彼の方の職場や実家の近い立地を選び、彼の方を立てたつもりだったのだが、そこへの感謝もなく、さらに端々に煮え切らない他人事のような態度があって、なんだろう?と軽くイラッとしていた。
(そこで立ち止まってなぜ確認しなかったのだ⁈私のバカヤロウと、今なら言ってやりたいところだが)


年齢も年齢なので、私も中間管理職であり、仕事の合間を縫っての準備と引越しである。

その当日、カーペットの荷受けを彼に頼んだのだが、めんどくさそうな返事をされた挙句に、引越しのトラックが現地に到着するかしないかの時間に、電話をしたらまだ実家にいるというのだ。
前もって時間と段取りを伝えていたにもかかわらず、謝罪の言葉も何もなく、急ぐ様子もなく、である。

現地に向かうタクシーの中で、私のイライラは頂点に達した。
しかし電話では急いでほしいこともあり、それ以上は言えずに一旦切ってしまった。
切ってから、さてどうしてやろうか?どう追及してやろうか、これもいってやろう、あれも言ってやらなくちゃと怒りが煮えたぎっていた。
グツグツと音がするほどにである。

その時、タクシーの運転手さんが、すごく間延びした感じで、

今日は本当にいい天気やねぇ、、、

と声をかけてきたのだ。

ハッとして空を見上げると、真っ青な空に、ちょうど通りがかったお寺の塔の相輪に陽が反射して金色に、色鮮やかにそれはそれは美しくキラキラと輝いていたのだ。
あまりの美しさに、さっきまでの煮えくりかえるような怒りは一瞬で消え失せた。

現地で彼と落ち合い、荷受けにも間に合い、それから落ち着いて苦情を申し述べたのだった。

後で聞いたところでは、電話で一髪触発の感じだったので、結婚に乗り気ではなかった彼は、そのまま喧嘩別れにするつもりだったらしい。
まだ籍は入っていなかったが、引越しまでさせておいて、無責任なと思うのだが、元々結婚向きのタイプではなかったのだろう、今ならわかるのだ。

ところが、あのキラキラにやられてしまった私は賢者と化しており、妙に落ち着いて苦情は述べたものの、喧嘩越しの挑発には乗らずに、この人は分かってないだけなのだと思ってしまったのだ。
(今なら、引き返すところだろう!と言ってやるのに、私めー)


もしもあの時、タクシーの運転手さんが声を掛けなかったら、煮えくり返ったままに会っていたら、そこで破談となっていただろう。

同居を始めて、籍も入れ、それから間もなくお腹に娘が入った。42歳の春だった。奇跡と言っていいだろう。
娘がいなければ、これまた私たち夫婦は早々に破綻していたことだろう。

あの運転手さんは、天使だったのだ。

ただのオッサンのように見えて天使なのだと、私は思っているのである。

あれから、12年が過ぎ、私たちはかろうじて家族を形成している。ほんとうに砂の城のようにかろうじて、である。

しかし、私と全く正反対の夫といることで、一人では気付けないことに気付き、娘に出会うこともできたし、私はこのかろうじて家族が嫌いでも不満でもないのだ。
一瞬よそ見して、振り返ったら崩れてしまっていたとしても、それはそれでいいやと思えるのだ。

泣いて怒って暴れて、なんでわかんないの⁉︎と思い続けた結婚生活だったが、今いる境地は、そこを通らないと至らなかったのだろうと思う。

今は、オッサン天使に声掛けてもらわなくても、私は空を見上げる。美しいと思う。

どんな物語になっても、それはそれでいいやと思う。

ただ、小さいオッサンには、一度お目にかかりたいものである。


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