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鏡(アンドレイ・タルコフスキー)映画感想文

鏡(アンドレイ・タルコフスキー監督、1975)



なんと美しく静かな映画だろう。
雨、水溜り、炎、そして記憶の断片。
冒頭、柵に座って煙草を吸っている主人公の母。その母をカメラがじっと見つめている。そこに遠くから医者がやって来て道を尋ねてくる。医者も一緒に煙草を吸おうとして柵に座ると柵が壊れて二人とも転がり、医者が笑う。草が風で揺れている。
このシーンだけでも美しくすばらしい。
ただ絵的な美を追求するだけでなく滑稽味も入れる。軽いハプニングによる驚きも。そして大風を吹かせるという意味でのスペクタクルもある。たった冒頭のこのシーンだけで「映画」というもののすべての要素が完成されているのではないか。そして詩的に研ぎ澄まされている。
『鏡』は場所と時間があちこちに飛ぶ。だから難解だという人もいるかもしれない。でも人間の記憶というものは得てしてそうではないか。
過去の出来事、今の出来事、これから起きる出来事、それらを思う時、人は縦横無尽に自由に「場所」「時間」から解き放たれる。
過去は辛いことばかりである。悔しく恥ずべきことばかり鮮明に思い出せる。
タルコフスキーの映画で描かれることはいつもまことに辛い。しかしそこにタルコフスキー自らが意図した見世物要素はないように思える。
タルコフスキーは揺蕩うようにひたすらヒリヒリするような辛い出来事をスケッチしていく。そしてその目線はどこかあたたかくチャーミングである。だからこそタルコフスキーの映画は詩であると言い切れるのだ。

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