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コロナによって、日本の人々が気付き始めた”非効率”とは?

 コロナウィルスが発生してから、半年以上が経過して…。すでに完全には直近でなくならない、という事は大半の人たちが自覚していると思われます。

 で、今回のことで悪い事ばかりじゃないな…と思ったことがこの日本社会でもかなり起こってますが、私が見るに

1 働き方に対する変化

2 価値観の変化

が大きくあげられると思いマス。今回は2の方を書くことにしましょう。というか、1のことって要するにテレワークなどの、

何がなんでも会社に来るべき

みたいな時代遅れのやり方に対してだけですからね、ほとんど。(苦笑)

 2については、私から見て今の日本社会に突き付けられた良い現実として…

物事に100%を求めすぎるのは、かえって非効率

という点。これが、今までの日本社会だと中々受け入れられなかったと思っています。

 例えば、不良品もゼロ。ラッピングなども破れてないようにする。定刻・定時に電車が来る。などなど…。完璧主義といえば聞こえが良いですが、全てがそれだけというのは選択肢がないのと同じ。こういう考え方が、育ってこなかった。

 しかし私の場合は、幸いアメリカに生活していたことがあったので…

コスト安はリスク高

という当たり前の世界を見てきた。そういうモノがあった方が、選択肢としてもいいのでは?と思うようになりました。

 というのも、無理に全部100%にしてしまうと…

それ以外は価値がない

という二択だけの世界になる。判断としては楽ですが、そこに送り出す側のうまみがあるか?といえば困難になるでしょう。実際、不正事件が発覚した際には

数字をごまかしていた

ということになっていますしね。

 コレ自体は他国でもあることですし、食品など生命活動に関わる内容に関しては100%主義でもいいかもしれない。でも、何でもかんでもすべてに適用するのはおかしくないですか?というのがずっとあった。

 それが、今回のコロナでハッキリ出ました。スナワチ、

100%収束するというのは当面ない

状況の中で、

我慢しさえすれば完全に元に戻れる

約束事とリンクしないのだから。

 こうなると、ずっとは我慢ができない人、律儀に守れる人、個人差が出てきます。諸外国では個人が優先される所だったり、規制をかけられるだけの強制力を持たない国だと、中々うまく言ってない所も散見されますし。

 日本でさえ、長引く状況の中で廃業・自殺など暗い話題がニュースとしてにぎわすことが多くなってきている。俳優さんの自殺騒動や、麻薬などの心をいやす誘惑といった事件なども、無関係ではないでしょう。

 であるなら、一律や100%といった前提条件が崩れているのも同然。戦前の

ほしがりません、勝つまでは

と同じことはもうできないのですしね。そもそもその時だって負けちゃってるし。(笑)

 こうなってくると、カギになるのは

個々の判断力と決断

です。リスクゼロは無理な現状で、ゼロを求めて全く外出しない、という選択はない。自宅からでなくて済んでも、外部から来てもらう必要がある。その際に接触がどうしても避けられない。空気や空間が混交する以上、無菌室でもなければリスクゼロにはできない。

 そもそも、普段見えてないだけでリスクというのはゼロにすることは不可能です。でも、

ゼロになってる

と思える安心感という環境や価値観に身を浸しているだけ。だから、日本の場合は多数が不安になると途端にみんな不安になりやすい。不安になると、当然ながら楽観的ではないので、悲観的になる。悲観的になると、この悲劇的な状況の原因を求め始める。で、誰かのせいにしたがる。あるぇ?なんかこの話、どこかの大統領選挙の誰かさんみたいですねぇ?(笑)

 ブラックジョークはさておき、こうしたことからも私は今の状況というのは全部が悪い事とは思っていません。ピンチはチャンス、というのはこういうこと。いつもが続くなら特に意識しなかったものが、変化によってその弊害に気づく。そこから、変わるキッカケをもらって変化に手を付ける。

 現在の日本の変化はコレまでの歴史の通り、

外圧や外からのキッカケ

によるもの。奇しくもそうなったので、私としては良い機会だなと思っていました。本来なら自分から変えられる方が良いのですが、大半の皆さんは

そのままの方がイイ

という人でいらっしゃいますので仕方ないですねといった感じ。皮肉半分、本気半分ですが。

いぢょー。

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