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社会は黒いのか白いのかそれともグレーか

もし自然主義文学を悲観的かつ否定的なものと捉えるなら、現実社会を色眼鏡なしで直射することなど到底できない。理論家や有識者は現実社会を不平等であるという考えを持って常日頃、活動しているがそれはあくまでも前提であり覆ることのない理屈であることは皆、理解している。よって、人間は現実社会で人間が定めた成功を追い求め、人間が定めた障害に立ちはだかれる。もし、現実社会が悲観的なもので哀れで無悲な環境すなわち自然主義思想だとしたら、これは真実に近いものであるのか。自然主義文学とは架空性を排除し真実を追い求める文学思想だが人間が創り上げた社会いわゆる悲観的な環境と果たして同質なものであるのか。日本の自然主義文学は社会の再認識・再検証だが、ほとんどは日本社会や一個人の内面が悲観的に描かれている。それでは自然主義思想とは社会や人間を醜悪なものと捉えているということだろう。だがこれは言葉の通り、世の中を自然にありのままに書いていて、社会や自然、人間を悲観的に表現している。実社会が暗いがために自然主義という観点から社会が批判されているが、自然主義の概念が懐疑的なものとして固定されることはない。自然主義文学が批判的なのはあくまでも世の中がさびれているからだけであって、難しいだろうが仮に貧困や不平等が取っ払えられると自然主義は明るい文学思想になるだろう。作家たちによって直視され、理想化せずに描かれたこの世界は淋しいものではあるが、自然主義という考え方が暗いものと位置付けられているのではなく現実的な描写であることがわかる。よって、少なくとも社会の改善は自然主義文学の変化へと繋がるのでないか。

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