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教員としての節目を迎えて

本日付で,5年間お世話になった開成中学校・高等学校を退職しました(4月より都内の大学で特任講師として働きます)。たいへん優秀な生徒や素晴らしい同僚の方々に恵まれ,よい環境で働かせていただきました(授業では,およそ1,000人の生徒と関わりがありました)。授業で一緒になった生徒の皆さん,教職員の皆様,改めて,心より感謝申し上げます。

関係機関に差し障りがない程度に,この5年間の自分を振り返ってみたいと思います。

非常勤講師として

元々,私は別の私学でフルタイムの教諭として13年間働いていましたが,5年前に開成で非常勤講師として英語を教えはじめました。週に14〜15コマを担当していたので,実際はフルタイムの先生と同じくらいの数の授業を担当しました(出講は週4に抑えてもらっていました)。並行してフルタイムの仕事をゆっくりと探していましたが,少なくとも開成で中2から担当している生徒たちが卒業するまでは今のまま働きたいという思いもあり,今日まで至りました。

この5年間は非常勤講師だったので,他のお仕事との掛け持ちもしました。大学で非常勤講師のお仕事をいただいたり,英語の発音矯正のオンラインレッスンも1年間ほど担当させていただきました。

開成で英語を教えていて,自分には「英文の構造を明示的に説明する力」が足りないなと感じるようになり,予備校の英語教育にも関心を持つようになりました。2020年4月から2年間ほど大手予備校の英語科でもお世話になりました。

こんな感じで仕事を増やして抱え過ぎてしまったこともあって,最終的には開成と大学の非常勤講師のお仕事だけで収まるようにしましたが,どれひとつをとっても,教員としての自分の成長に寄与するかけがえのない経験だったと思っています。関係機関で関わってくださった方々,ありがとうございました。

自由な校風に触れて

フルタイム教諭であった前任校を退職したのは,大学の系属校であったこともあり生徒も教員も細かい規則が多く,1人の教員としてその場で判断してできることが限られているなと感じたことが大きな理由でした。いつからかより自由な校風の学校で働いてみたいと思うようになり,開成のような学校で働いてみたいという気持ちも強くなっていました。

開成は前任校のと雰囲気が全く異なる学校で,働いた当初,毎日が(詳しくは書きませんが)その自由な校風ゆえ,驚きの連続でした。

授業では,先取り学習をしている生徒が多かったため,授業を聞かなくなってしまう生徒が増えてしまったことに頭を抱えたこともありました。私が担当した授業では,教材選定や授業内容に裁量が与えられていたこともあり,1年目の後半から担当していた中2の授業の教材を映像教材に切り替えました。想像以上に反応が良かったので,その後に担当したすべての授業で映像教材を採用し,リスニングがメインの授業を継続しました(リスニングがメインとはいうものの,スクリプトを印刷してリーディング教材にもしていました)。

授業担当者自身も本当に楽しいと感じられる授業実践をやらせていただきました。定期考査のリスニング問題をすべてAIの音声で作ったり,かなり自由にやらせていただきました。こんな自由奔放な私に協力してくださった同僚の先生方にも感謝が尽きません。

進路選択の間で

4月からは大学の教員になりますが,いろいろと悩んだ末にこの道を選びました。この5年間「あなたは最終的には何を目指しているのか?」と聞かれることがありましたが,そのたびに「中高の教員であり続けたいです」と答えていました。荒削りの中高生のエネルギーや無邪気さが好きでしたし,この世代の若者と接することっで「この国の教育に深く関わっている」という感覚を持つことができていました。

開成で教えるようになってから,自分が最終的にやりたいことを決めるのが難しくなっていました。超進学校などと呼ばれるような学校ですので,生徒たちの高い能力や志に触れることで,自分自身が教員のキャリアで求めることの内容も高くなっていました。大学教員を目指すべきなのだろうか,とも考えましたが,開成の生徒たちを教えることで得られる以上の刺激はなかなか得られないのではないか,という思いが強くなってしまい,選択肢がかなり狭められてしまいました。

恵まれた悩みであると同時に,苦しい選択を迫られていたということでもありました。キャリアを考えながら生きていくためには必要なこととはいえ,非常に悩んだ時期でもありました。

長く教えてきた生徒が卒業するタイミングで,4月からは自分自身で納得できるより安定したポストに就けることになりました。リベラルアーツ教育を主軸に置いた大学で働きます(大学の非常勤講師のお仕事もいくつか継続します)。授業や業務などはすべて英語で行い,自分にとっても大きな挑戦になりますが,英語使用者としての能力を磨くことができる上,今まで以上に学生の英語力向上に深く関わることができ,教員として大変やりがいがある環境に身を置くことができるのではないかと思っています。

反省とこれから

開成で担当した授業は,多くが週1回の授業であったことから,できることが限られていました(平均4〜5回の授業を経て定期考査へ突入)。また,合計で700人ほどの生徒を担当していたり,他の仕事も掛け持ちしていたので,パフォーマンス評価を伴うようなアウトプット活動をしてあげることができませんでした(一種の大人の言い訳ですね…)。

同僚の先生と授業について頻繁に話す機会も恵まれ,たくさんのことを参考にさせていただきました。特に,同じ学年を教えていた現代文の先生が,作文教育に力を入れられていて「気持ちのこもった文章は,理屈抜きでいい文章になる」とおっしゃっていたことがとても印象に残っています。それを体現していたのが,5年間担当した卒業生が綴った卒業文集でした。多くの気持ちのこもった文章が書かれており,彼らにとって学園での生活がかけがえのない時間だったということがよくわかりました。文章のいくつかを読み,言葉とはなんて美しいのだろう,と涙を覚えるほどでした。

学校教育においてきわめて基本的なことであるのかもしれませんが,私はこの学園で働き,改めて「言語化することの重要性」を学びました。そのためにはまだまだ勉強が足りないなと思わされました。よりよい教育を実践していくには,他人が書いたよい文章をたくさん読まなければなりません。そして,自分自身でたくさんのよい文章を書き,それらを人に読んでもらわなければなりません。これから私が歩む教員人生に,こうしたことが少しでも多くなるよう心がけていきたいなと思いました。

昨今,教員を目指す人が少なくなってしまいました。働き方など,課題は多くあるものの,やり方次第で十分魅力的な教育実践ができる時代になってきたのではないかと思います(若い優秀な方々,ぜひこの業界へ!)。

最後に,学園で発行している通信に寄稿した私の駄文(=退職挨拶)を添付いたします。この学園のよき風土と生徒のよさが少しでも伝われば幸いです。

ありがとうございました。

開成学園「学園だより 第89号」p. 28より

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