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燃えたアマゾンと、もののけ姫のことば

 アマゾンの火災が話題になってますね。日本での報道が遅いという意見が上がり、JICAとアマゾンの歴史や、森を切り拓いて作った大豆を日本が輸入している事実に触れて「日本も片棒担いでる」と主張する記事も出てきています。どれも賛成できるという意味で、正しいと思う。でもそれ以上に感じたのは、当たり前の事実って非常事態が起こるまでホントに見向きもされないんだな、ということなんです。

日常にドラマはない

 恥ずかしながら、アマゾンの火災が起こるまで、JICAの開発ヒストリーや日本がブラジル産の大豆を輸入していることを、ぼくは知りませんでした。大豆=アメリカじゃないですか?大学生のころは節約のためにいつも「ブラジル産若鶏」を選んでいました。これで生態学をかじっていたんですから、自分でも呆れてしまいます。

 日本は食料輸入大国なわけです。18年度の食料自給率は、カロリーベースで37%と過去最低。つまり、日ごろの消費活動によって世界各地の場所や人と繋がって、大小の影響を与えていることは至極当然なんです。良い影響も悪い影響もあるでしょう。安い労働力を搾取していると外野が言っても、働く当人は「仕事があってありがたい」と言うかもしれない。あるいはペルーの違法鉱山での金採掘によって水銀が川に流出しているかもしれない。これは誰も得しない。

 でもそんな当たり前は、それこそ水銀が流出したり、森が燃えたりしない限り、なかなかニュースにならない。「日本、アラブから原油を輸入」なんて見出しは、読者の興味を引きません。ドキュメンタリーにもならないかもしれない。早起きしたカナダの木こりが、日本に輸出する木を切って、家に帰って疲れて酒飲んで寝る、なんて日常はドラマに欠けますよね。でも大抵の日常にドラマなんてないでしょ。だからこそ日常であり、当たり前なんですから。

もう終わりだ、何もかも。森は死んだ

 もちろん全部を知ることは難しいけれど、一つのことを深くしれば、違った世界が見えてくるかもしれません。輸入国の一員として「当たり前の事実」をぼくらは知っておいた方がいい気がする。その意味で、いくら早期に今回のアマゾン火災を報じたところで、それはすでに遅かったんだと思います。大規模な森林火災のような非常事態になって初めて、繰り返されてきた当たり前が表面化したわけです。でも、もう遅い。もちろんできること、やらなきゃいけないことはあるでしょうけれど、遅かった。アマゾンは、もう燃えてしまった。

 この感じって何かにあったなと記憶を振り返ると、それは「もののけ姫」でした。山犬に森の民として育てられたサンは、人間が森を破壊したときに言ったんです「もう終わりだ、何もかも。森は死んだ」。森の神であるシシ神が消えて、荒廃した山に緑が蘇ったあとでさえ「蘇ってもここはもうシシ神の森じゃない。シシ神様は死んでしまった」と吐露したんです。今回の火災で、もう一度「もののけ姫」を見返そうと思いました。

 映画の登場人物でいえば、ぼくらはタタラ場(文明側)で生きることを選んだアシタカです。アシタカはサンの言葉を受けて「シシ神は死なない、命そのものだから」と自分なりの解釈を示すわけですが、ぼくらも自然について体験を通じた熟考を重ねる必要があるのかもしれません。

 森林火災は自然発生的なものだから、ヒステリックを起こしちゃダメだ、という意見もちらほら見かけました。でもそれは、ぼくが感じていることからすれば本質的に重要なことではなく、事件と同時に発生した「これからすべきこと」の一つが、発生原因の検証だと思う。繰り返しになるけれど、ここまで書いてきたのは「当たり前を知ること」についてです。これを知らなければ、燃えるアマゾンを見ながら、国産大豆を手に取ることになります。

チリサーモンも「当たり前」

 ぼくのnoteを見てくださっている方々は知っているかもしれませんが、南米のチリという国でサーモンの養殖産業について取材しています。チリサーモンもすっかり日本に馴染んだ輸入品目の一つ。ただ、その養殖産業は素晴らしい野生を抱く「パタゴニア」で展開されています。幾多の生命が息づく大自然です。砕けたパズルのような地図を描くフィヨルドには氷河が流れ込み、通りすがるイルカをトドが岩場から見つめ、ペンギンは海面に浮かび下界を見下ろながら獲物を探しています。アマゾンの場合と同じく、チリサーモンの消費を通して、尊い自然環境と繋がっています。そしてチリのサーモン産業黎明期に、JICAが技術的な支援をしていたことも、共通しています。

 繋がりを持つのは、自然だけではありません。チリのサーモン産業には、養殖事業者に加え、周辺企業が数多く関わっています。飼料会社、ワクチン会社、生簀の製造会社、メンテナンス会社、トドが破った生簀を修理する潜水士など、多岐にわたります。現地の報道によると、現在サーモン産業に直接・間接的(周辺企業で)に従事する労働者人口は、約6万人以上。労働者それぞれに家族がいます。そして多くの人と同じように、いい意味で平凡な日常を送っています。そう考えるとJICAを批判していいものか、あやしいところです。

 すでに巨大産業になったサーモン産業をいたずらに批判するのは、建設的ではないと個人的には考えています。一つのプロダクトが持つダイナミズムを感じられることは、ときにワクワクすることでもあり、それは地域にとっての可能性でもあります。チリに滞在しながら、賛否両派の意見を聞き、養殖現場に滞在し、黎明期を知る人物も取材してきました。どう伝えるか、すごく迷いますが、やはり何かしらの物語は必要なのだろうというのが、今のところの考えです。それはあくまでアクセントであり、手段です。悲劇で当たり前を知るのではなく、物語として当たり前を読む。現地の人々や産業の歴史と直に触れ合ったことで知った物語を、何の変哲も無い事実と掛け合わせることで、それがどこまで伝わるか。拙い文章が足を引っ張らなければいいけれど。

※トップ画像は森のイメージです

 

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