目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(27)

<2018年2月>

 決定的とはいかないながらも、妻の意外過ぎる覚悟を知った私は、一層の決意で社会復帰への道を急ぐ、そんな想いを密かに抱きながら、母の運転する車で遠路1時間半程走り、リハビリセンターに到着した。
 早速どんな課題を課されるのか、はたまた、自力でスタスタと歩行し、普通に受け答えもできている自分の現状を見れば、寧ろ病院側が驚いてリハビリ不要とGoサインを出してくれるのではないか、そんな淡い期待と不安の入り混じった状態で、まずは約束していたソーシャルワーカーとの面談を行った。すると、その日は、色々な資料の提供とその後の診察の流れに関する説明、私の事情や健康状態などのヒアリングが行われただけで、診察も検査も無いという事だった。この事に私はひどく落胆した。せめてもと、復職を早くしたい事、確かに脳に影はあったのかもしれないが、脳梗塞などの脳そのものの病気と違って、自分の場合はその影も消えていたし、身体的にも心理的にも極端な後遺症があるとは思えないという事、すなわちハイペースで終わらせてもらえるとありがたいと希望を伝えて、病院を後にした。数日後、初回の検査日が2週間も先だと知り、更に社会復帰が遅れる事に、私は一層落ち込んだのであった。

高次脳のコピー

 自分に問題がないことを証明し、何の後ろめたさも無く社会復帰を果たす為にも、とにかく私はリハビリが進展する事だけを待ちわびて、自宅療養を続けた。朝起きると、母に代わって朝食を作り、食後少ししてから課題のドリルをこなし、地元のスーパーに買い物に行く。夕方までは家事に読書や映画鑑賞。そんな毎日を過ごして暫くした頃、私は自分の中にちょっとした変化が起き始めていると感じた。

 私は時間があることを幸いとし、まず、人生を回顧する記録を綴った。幼少期の頃からの事を思い出しながら言葉を紡いでいくと、脳が活性化されていく感覚を覚えた。ドリルも進める中で、 ああそうだったという感じに、関連する他の事も芋づる式に頭に浮かんできた。妻には、例の携帯の契約時の話や、自分の入院中の問題行動の背景や見ていた夢、妄想の話なども説明し始めた。妻は、怒涛の勢いで話す私を見て、また、私自身が自分の状況を少しずつ理解し、変化を感じ、前向きな姿勢を示している事に、安心感を持ってくれたようだった。そして、私が記録をまとめたりする事に賛同し、家族会でも何でも、もっと社会に伝えられるようになったら良いのではないかとも言ってくれた。私の最悪の状態の時に、妻自身がリアルな情報を欲していた為だ。
 私は、こう言ったやり取りを通して、自分が元の世界に近づいている事に喜びを感じると妻に伝えた。一方で妻は、私自身がほとんど記憶に無い寝たきりの状態の時には、もう自分の寂しい悲しいなどの気持ちに、決別してしまった所があると教えてくれた。母親として、子ども達の未来をどうして行くかが一番大事だと。そして、私にもそういった現実的な事を、また一緒に考えて欲しいと言った。

 その後も、家事や育児に精力的に動く私を、妻は認め始めてくれたのか、徐々に距離感が縮まり、 以前の様な関係を取り戻しつつあると感じた。

〜次章〜ジレンマ

ありがとうございます!この様な情報を真に必要とされている方に届けて頂ければ幸いです。