目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(29)

 妻たち一行が自宅に到着して、一番にドアを開けたのは義母だった。私の車が既にあるのを見て驚きながら、私の母がもう戻ったのかと聞いてきた。
 私自身で取りに行って運転して帰ってきた事を話すと、何してるのかと私の行動を否定した。続いて入ってきた妻も義父も、驚きとも呆然とも取れる様相で、溜息をつきながら私を見据えていた。

「何がダメなんですか」

「別に俺、免許剥奪された訳じゃないんだよ?」

「別に違法でも何で もないし!」

 私は、苛立ちを隠せずに反論した。

 呆れ顔の妻が、時間も無いし、ともかく向かおうと話を遮って、私たちは、義父の運転で目的地に向かった。高速のインターに近づくと、助手席に座る私に、義父が抜け道を聞いてきたので道案内をした。これまで何度もして来たのと全く同じ様に。そして、高速に乗ってからも、ハンドル周りにあるスイッチ類の使い方をレクチャーした。それについては、若干忘れがちな所もあったが、 ちょっと試している内に記憶を取り戻してきて、私自身も安心した。
 無事に用事を済ませたものの、妻は酷くダルそうな様子だった。帰り道も後部座席で、ずっと目を閉じて項垂れていた。妻がその調子だったので、私以外は、そのまま実家に戻る事にした。

 別れ際に義母が、私は大変な病気をしたのだし、リハビリも終わっていない間に、何かあったら保険も下りないかもしれないと、改めて運転はしないようにと忠告してきた。
 私は、それぐらいの事は分かっていたので、それまで自分でも運転してみたい気持ちを抑えながら過ごしていた事、それでも子供たちを楽しませたい、自分だって普通に出来ることを見せたい、そういう気持ちだった事を伝えるとともに、たかだか5分の距離の運転で今回に限っての事だったと、また反論した。

「何か皆、俺の事をボケ老人みたいに扱うのやめてくんねえかな!」

「俺はただ、今の自分を見て欲しいんだ!」

 私は、退院後、周りが何もかも曖昧にしか伝えて来ない事に、内心嫌な気持ちになっていた。リハビリは任意と書いてあるにも関わらず、そうまで私を危険視する事、また健常者とされる他の人間が忘れてしまうような道案内も、以前と変わらぬ様に完璧に出来ている自分を、医者に何か言われたからと言って、私に対してバイアスをかけた見方をしている事に、ひどく不満を募らせていた。
 それまでは、自分の中で 、(相当心配や迷惑をかけたのだから仕方ない。自分はそうゆう病気をしたんだから。自分がまぁいいやと思えば上手くいく。穏やかになれた今のこの自分を保っていこう)、そんな風に自分の中で、徐々にくすぶり始める感情と上手く付き合う様に心掛けて努力していた。だが、この時ばかりは、自分の責任感や好意が無にされ、何より家族が、私自身よりも医者やネット上の情報を重視していて、まるで自分の事をその眼で、しっかりと見てくれていない気がして、 只々寂しい気持ちで一杯になり、それが怒りと悔しさの入り混じった感情となって、一気に表に現れたのであった。 

 その晩、私は妻に真意を伝えたいと思うと同時に、誤解されたままではいたくない気持ちから、直接電話で話す事にした。
 妻は、私が感情的に反論したことに、自分自身も両親もどう対応していいか分からなかったと言った。将来一緒にうまくやっていけるのか、自信を失ったと言うような言葉もあった。
 私は、自分が何も間違った事は言ってないと主張した。皆のために出来ることをしたい、その気持ちゆえの行動なんだと説明した。

 妻が、押し黙っていたので、私は“離婚”についてまた聞いてみた。

「やっぱり、、、こういうことだから離婚なの?」

 妻は、返答に少し困りながら、そもそもの再発の要因に、家族を養う負担や育児のストレスが関係しているのではないかと思ったこともあったと、以前聞いた時と同じことを語った。だが、その後、私の回復を見るにつれ、じきにまた元通りに、家族で一緒に暮らせると思うようになっていたと答えた。だが、そんな中、この騒動が起き、本当にやっていけるのか、また気持ちが揺らいでしまったという。

 電話口の向こうで、妻のすすり泣く声が聞こえてきて、胸がギュッと締め付けられる想いがした。同時に、今ここで、きちんと自分の想いや覚悟を伝えないとダメだ、そう焦る気持ちに気圧されて、言葉をつないだ。
 私は自分がちゃんとやれるということ、妻と子供たちがいれば何もいらない、ちゃんと頑張れる、そういう気持ちをストレートに伝えた。

「結局1人になっちゃうんじゃ、戻って来た意味が無い」

 私は、退院してからの周囲とチグハグになる感覚や、どうもシンプルに喜ばれていない気がしてしまう状況に、何だかよく分からなくなる悶々とした気持ちを抱えていた。自分なんて死んでしまった方が、色々とスッキリしたのか、などと考えてしまうこともあった。
 ただ、命を繋いでもらった以上、皆と以前のように楽しく顔を合わせたい、その気持ちの方が断然強かった。妻が、私の悲惨な状況や、一部とは言え能力の欠落があることを目の当たりにして、私たちの将来はもとより培ってきた絆への信頼、安心感が薄れてしまったことは、当然のことだとも思った。

 暫く離れてる間に、妻も皆も、どう私の事を信じて扱って良いのか分からず、まだ治りきっていないのではないかと疑心暗鬼になっていたのだ。 それだけ皆にとって私の再燃状況は、衝撃的だったということ。だからこそ、私は、お互いに傍にいれば、きっと理解して貰えると思う。そうすれば、自然と元通りの日常が進み始める。そう妻に想いをぶつけた。そもそも自分が無鉄砲な事をしなければ良かったのだが、私は私で、早く何でも良いから貢献したい、認められたい、社会の一員として復活したいという気持ちが強く、こういう行動に出たのだと説明し、また、男としてのプライド故に、 能力をアテにしてもらえない事に、どれだけ傷ついたかも伝えた。

 責任感が強く負けず嫌いの性格が働き始めたということで、すなわちそれは、元の私に近づいていると言うことでもあったのだ。

 妻は、黙って私の言葉に聞き入っていた。 信じていないと言う訳ではないが、あまりにも不幸な出来事によって強烈に刻まれた、その記憶のせいで、私の言葉を素直に信じるべきか、いやあれ程の事があった病因をそんなに簡単に自分の中で解決してしまって良い のか、自問自答しているようでもあった。

 その心理状態を察して、私は更に、近々始まるリハビリに真剣に臨み、必ずや妻を安心させる結果を出してくると宣言した。

 すると、漸く妻が声を発し、信じていない訳ではないが、やはり何かあってからでは遅いし、専門的な検査、審査を受けて、治っているということを確実なものにして欲しいと言った。

 私は、妻の願いを聞き入れ、確固たる決意を胸に電話を切った。

〜次章プライド〜


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