目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(32)

<2018年4月>

 いよいよ運転の実技を審査される段階となり、まずはシミュレータを受けた。若い頃の記憶が呼び起こされた。この試験はいわゆる危険回避がテーマで、有り得ないバイクの横入りや歩行者の無茶な横断を予測して、事故を回避する訳だ。その記憶がきちんとあった私は、まず難なくこの課題をクリア出来た。あの平面的な絵を見ながら運転し続けるので、多少胃酸が込み上げる様な感覚はあったが、ただそれだけの事だった。
 予想通り結果は問題なく、次は1、2週間程の間に教習所での実地試験を指示された。どうせなら自宅の近くで受けられないのかと聞いてみたが、提携先でないとならないと言われて残念ながら受け入れざるを得なかった。リハビリを途中で免除されないかなど、初回から色んな担当者に問い続けた結果、全く検討してもらえた様子は無かったので、ここではそう言った例外事項や特別待遇はどうあっても実現しないのだろうと、この時には既に悟っていた様なところもあった。

 この時には妻子も自宅で一緒に生活し、私の判断力も家族には充分再評価されていた。そうした訳で、3ヶ月程私の子守を再びする事になった母は、ようやく安心して郷里へ帰ることが出来ていた。

 そして、私はそのかなり遠くにある教習所へ、普段は決して使う事もない経路で、5ヶ月ぶりに独力で電車バスを乗り継ぎ赴いた。
 最後の関門となる構内及び路上の教習と一発試験にこぎつけたのだ。その日は、生憎しとしとと雨が降る春の負の面を映し出す様な寒い日だった。
 リハビリセンターから指導員が2名、私の審査役と撮影役として付き添ってくれる事になっていた。私は指示されていた事前アンケートなどの事をすっかり忘れていたので、「しまった!記憶に問題ありとされないか、、、」と、内心焦ってしまったが、指導員は、まぁ良いですよと言ってくれた。その一方で、私が愛用のワークブーツを履いているのを気にして、普段からそういった靴を履くのかと聞いてきた。私は、初めて免許を取る時にも同じような事を言われたのを思い出した。時は、ギャルの厚底ブーツブームで、よく教官が注意喚起してたっけと。私は普段から履いているし、毎月結構走っているが免許を取ってから無事故無違反だと答えた。すると、今度は私の運転環境の話になり、交通量は、トラックはよく走るか、細い道は、抜け道は使うか、自分の車には歩行者検知機能や自動ブレーキシステムはあるか等と聞いてきた。
 私の職業上、トラックの往来は当たり前にあるエリアを走るし、抜け道裏道何でもあることを伝えた。それを聞いた指導員が、患者にとってはあまり良いものではないと受け取ることが分かっていたので、とにかく安全運転を心掛けて、慣れるまでは良い道を使って疲れていたら無理に運転しない、休むなどのリスクヘッジも考えていると付け加えた。

 この時、脳障害を受けた人間が、とりわけ運転に関して言えば、どの様に社会的にリスクを持った存在として見られるのか、まさに身を持って体感した気がした。

 構内運転では、30m手前、3秒前などの教科書通りの基本を復習しながら、何周か横に乗る教官の指示通りに運転した。20年ぶりのS字クランクや車庫入れには、さすがに緊張したが、ノーミスでクリアした事に教官も驚いていた。ここでも、恐らくもっと後遺症の重い方ばかりを見ているのだろうという推察が出来た。

 路上講習の一発試験では、路上にうっすらと書かれている速度制限30kmや一時停止、見通しの悪い交差点、大通り、様々なケースを試されたが、こちらはこちらで毎日何十キロと無事に走行している自負もあり、只々慢心しないように、またあらゆる面でリスクヘッジを念頭に置くように心掛けた。何とか気を張って、運転しながらも教官やリハビリ担当者と会話を積極的にし、自分の脳に問題が無く、同時に色々な事が出来る事を証明せねば、そう考えて、まさに神経を張り巡らせて、良いリラックス状態で集中していた。

 そのまた2週間後、長い道のりを経て、とうとう結果報告を受ける所まで到達した。 

「お疲れ様でした。多少疲れましたか?」

 リハビリセンターの精神科医は、指導員から私が運転に関しては卒なくこなし、 尚且つ教官に指摘された細かい点についても、自覚と今後の対応すべき点を充分に理解していたと報告があったと教えてくれた。同席していた妻もホッとした様子だった。
 私は、流石に20年振りに人に評価されながら運転した事には非常に疲れたが、同時に運転や会話を楽しめる気持ちもあったと話した。ただ長い時間集中していると、それこそ脳が必死にフル回転している感覚があり、まだ長時間運転は避けた方が良いと感じたとも付け加えた。
 それについては、主治医からも、伝えたいことを私が既に自覚していて、対策を自発的に考えていること自体を高く評価しているし、社会生活を行う上で何も問題や不安は考えられないとのコメントをくれた。

 つまり、それは後遺症が無いと正式に診断されたのだった。

 私は、それまでの葛藤や意地を思い起こし、妻に対する証明、男として父親としての責任を果たせたことを心の底から喜んだ。

 社会復帰すると頑張りすぎてしまう人が多いと忠告してくれた医師は、既に私が上司と復職の具体的なプランをすり合わせ、当初1ヶ月ぐらいは半日から終日を混ぜるなどして様子を見て、その後、通常勤務に戻す事にしていると話すと、リハビリが終了したその日に、もうそこまで話が進んでいる事に驚いた様だった。

 ともあれ私は、晴れて医師から脳障害による後遺症は無い、特に自立支援の必要も無いとのお墨付きを得て、社会全般での行動について、元通り、自分の責任範囲で行う事を認められたのだった。

〜次章〜日常


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