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新入生一同をドン引きさせる

みなさん、部活動紹介というイベントを体験したことはあるだろうか?
学校によってはあったりなかったりするのだろうけど、僕の中学校ではあった。

これはつい先日までランドセルを背負って、よいしょ!よいしょ!と頑張って小学校へ通っていたピカピカの中学一年生、それも全一年生の前で各々の部活がその活動ぶりを遺憾なく発揮し、発表する!という行事だ。

例えばサッカー部ならリフティングリレー、バスケ部なら3on3、美術部なら絵画発表、家庭部なら裁縫作品を……など、各自の持ち前を発表し、部員集めに精を出すのであったが、なんとこの大イベントを二年もの間バックレ続けている不埒な連中が集まる部活があった。

その部活こそ、僕が所属していた「文化活動部」である。

何をする部活かと問われたら、囲碁や将棋を嗜み、(一応)夏休みの囲碁大会に向けて切磋琢磨するのが建前であったのだが、僕らの代がそれをぶち壊しにした。

中学一年の頃に「囲碁や将棋はつまらないし頭に入って来ないからパズルもいいと思いまーす」とおじいちゃん顧問に相談し、夏休み前には「ゲームも文化活動のひとつだと思いまーす」とゲーム機とテレビを部室に持ち込み、挙句の果てに「パソコンも文化活動になると思いまーす」と、視聴覚室にあったパソコンを導入してインターネット(Win95の頃よ)に励み、行く行く煙草を吸い出した仲間内の連中が一服しに出入りするようになると狙い通り僕らにとっても心地の良い「放課後の溜まり場」と化した。

要は社会不適合者予備軍の集まりなのであった。

ぶち壊しにしなければ今頃、藤井聡太に「俺がSHOUGIを始めた頃、おまえはまだ精子だったっけなぁ!HAHAHAHA!!」と心中で叫ぶ五十万人くらいいそうな大人の一人にはなれていたかもしれない。

閑話休題。

僕らの部活がやることと言えば池と職員室前の水槽の魚に餌をやるという愛護ルーティーン、そして冬季にプールに放っていた池の魚を夏前に釣る、という魚関連の二本柱。
あとは何をしていても自由であったし、部活に誰も来ないなんて日もザラにあった。

中学三年になった春、顧問のおじいちゃん先生が困った顔で僕らに相談があるのだが…と肩を落としながら屁をこき、その音に驚いた顔をしながらこう言って来た。

「今年の部活動紹介な、うちもやることになった。やらなかったら、廃部にするってよ」

それを聞いた僕らは一斉に「ズコー!!」と叫び、口々に顧問に対して文句とアイデアをブチまけた。

「おいハゲ!釣りでもしろってのかよ!」
「え、え、え、エロ本のコレクション発表でもいいの!?」
「馬券予想でもいいなら、俺はやるぜぇ」
「ミッシェル・ガン・エレファントを一時間みんなと一緒に聴くっていうのはどう!?」

何せ廃部が掛かっているからみんなも必死だったし、顧問も悩んでいた。
けれど、僕らには「これ」というものが何一つなかった。
あると言えばさきほど述べた餌やりと釣りの二本柱。
うーんと悩んで悩んで悩んだ挙句、顧問は手前のハゲ頭をぴしゃりと叩き、明るい顔で言った。

「俺も競馬好きだかんなぁ!競馬で行くんべぇ!」

マジでズコー!な展開ではあるが、これが大マジだったのである。
しかし流石にこないだまで小学生だった子供らに競馬のうんちくを垂れても伝わらんだろう……ということで、顧問と僕らで話し合った結果、競馬の魅力を伝える!という、その一本に絞ることに決めた。

忘れてはならないが、本来は大会に向けて囲碁・将棋を嗜む為の部活である。
その部活が決めた発表が「競馬の魅力を伝える」という、最早意味とか理屈とか、そういったものは一切通用しない世界に足を踏み入れていたのは間違いない。

しかしながら口には出さないが「不条理であることがカッコイイ」とさえ心の中で思っていた、後にも先にもない一番イタイ世代特有の発想であることも確かなのだと思う。稲中とおしゃれ手帖がバイブルだったのだ。

部活には良くも悪くも怖いもの知らずや度胸のある連中が多く、その割に僕以外の連中はめちゃくちゃ成績だけは良かったから学校側も厄介だったのかもしれない。人に危害を加えないことを条件に、学校側は何をしても良いとしてくれた。おまけに「さっさと卒業して欲しい」と、激励もしてくれた。

そして発表当日がやって来た。
会場の体育館裏で、選抜メンバーが朱色の墨で

「競馬」

とデカデカと書かれた風に揺れる新聞紙を手に、緊張の面持ちで佇んでいた。
競馬の文字を書いたのはおじいちゃん顧問で、しかも古典の教師であり書道の達人でもあったから文字だけ見れば気合いの入り様が尋常ではなかった。

競馬の文字に託された想いを胸に、僕らは先に発表を行っていた女子バレー部をじっとり、ねっとりとした視線で眺めていた。

「もう少しケツのラインがクッキリするユニフォームにしないのは何故だ……」
「いや、胸が揺れるのは確認出来るから俺的にはアリだ」
「ふーむ。小生は足さえ凝視出来れば満足なのですが……」
「それ以前の問題だろう。ブルマー廃止を決定した者を、俺はいつか殺害したい」

など、固唾を飲んで彼女達バレー部の活躍ぶりについて嫉妬したり、あそこにカワイイ新入生がいるぞ、と神妙に話し合ったりしていた。
バレー部の発表が終わり、文化部のコーナーの一発目で僕ら「文化活動部」が呼ばれた。

「さぁ、次は文化活動部のみなさんによる部活動紹介です。お願いします!」

体育館の中へ向かって、僕らはよーいどん!で走り出す。
手にしている新聞紙が翻る感覚を手の中に感じながら、あらかじめ決めておいたポジションに等間隔で、僕ら選ばれし文活五人衆が並ぶ。

司会者も、一年生も、他の部活動の連中の目も、横一列に並んだ僕らを向いている。
僕らはそれでも、何も言わない。何の説明もしない。
これは競馬好きのKの発案だった。

「漢(オトコ)ってのはよぉ、ベラベラ講釈打つよりよぉ、黙って語る方がカッケェんだよぉ。ブチ(長渕剛)の背中もそう言ってんだよ」

ほーう、何言ってるか一ミリも分かんねぇけど、考えるの面倒臭いから任せたわ!の結果である。

登場して数秒は溜めに溜めて何も言わない。とにかく、緊張を作って注目を集めさせる。
このやり方が後にアドルフ・ヒトラーの演説の手法と同じだったと知ると、文化活動部は一歩間違えたらナチスやオウムのようになっていたのでは、と思案することがたまーに、十年に一度くらいあったりする。
※文活には当然のように軍事オタクもいた

緊張がピークに達した瞬間、一番初めに言葉を発するのが僕の役目だった。
何故なら「人間の空気が一番読めそうだから」というのが理由だった。
まるでゴブリン系モンスター森の会議で決まったような話しだが、悲しいことに本当の話しなのである。

僕は目についた「何となくこいつ動きそうだぞセンサー」を会場の隅々まで走らせ、司会者がマイクを胸元に上げた瞬間、あらかじめ決められていた台詞を絶叫した。

「競馬!!」

そう叫び、「競馬」と気合の入った墨が書かれた新聞紙を広げ、その場でスクワットを始める。次に、左隣に立つDが「競馬!」と叫び、新聞紙を広げてスクワットを始める。それを一番右まで五人、全く同じセリフと動きを行い、全員で

「競馬!」「競馬!」「競馬!」「競馬!」「競馬!」

と叫びながらスクワットを行う。隣の者が座ればこちらが立つ、隣が立ち上がったら今度はこちらが立つ。競馬と連呼しながら「競馬」と書かれた新聞紙を持つ五人が交互にスクワットしている光景は、フランス映画に憧れる三流監督がエゴで作った悪夢のようである。

一分ほどやった所で、「せーのっ」で止める。
そして、最後の決め台詞を五人で叫んだ。

「また来週!見てねー!」

そう言って手を振り、僕らの部活動発表は終わった。
競馬の魅力どころか、何の部活動なのかも一言も伝えないまま終了した。

会場内は誰も笑いもせず、かと言って怒る者もなかった。
体育館に居たほぼ全員がぽかーん状態で、彼女とディナーをしていたら突然テレポーテーションしてしまい、そこがヤクザだらけの場末のサウナであることに気付いた彼氏の顔、みたいな恐怖と困惑で引きつった顔があちらコチラに浮かんでいた。

あと、生まれて初めてUFOを見た時の顔や、家の鍵を確実に掛けて出たはずなのに、鍵を回したらドアノブに鍵が掛かった瞬間の顔とか、つまり全体的によろしくない顔ばかりなのであった。

何が「また来週」なのかも不明であれば、来週僕たち私たちは何を見れば良いのでしょうか?と言わんばかりの一年生達の顔。
何せ、こないだまでランドセルを背負っていた子供達である。強烈な衝撃で脳がパニックを起こしたのか、泣きだしそうな顔を浮かべている下級生まであった。

司会者が「以上です」とも何も言わないので、僕らは無言で手を振りながら会場をさっさと後にした。

そんな意味不明な発表でも、下級生から入部志望者が約一七〇人中、二名もいたから不思議だ。
それ以上に不思議だったのが同学年のそれまで部活動を真剣に頑張っていた者からの入部者が相次ぎ、結果として最後の年の文化活動部はとても居心地の良いものとなったのは意外な収穫だった。

「あれは競馬部だったんですか?」「応援団ですか?」と、うっかり先生に聞いてしまう新入生もいたらしいが、間違えるのも無理はない。

発表を終えた僕らは逃げるようにして帰り支度を始めたのだが、顧問のおじいちゃん先生に声を掛けられた。
おまえら、ふざけ過ぎだぞ!と怒られるだろうなぁと覚悟していると、腕組みをした顧問は僕らを眺め、苦み走った表情で

「おまえらなぁ!最後な、出て行く時にケツを振りながら出て行ったら、もっと良かったんじゃねぇか?」

と見当違いのダメ出しをして、これまた僕らを盛大にズコー!させたのであった。

最後に、教師引退後に周りから「選挙出ちゃえよ!」とノリで言われた顧問は本当に選挙に出馬し、ロクに街宣もしなかったのにぶっちぎりでトップ当選を果たすというズコー!も与えてくれた。

さらに、その昔は授業中でも竹刀で生徒をぶち回し、生徒はおろか同じ教師でさえも怖れるほどの鬼教師であったことを大人達から聞かされた時は、分かっていた上で赦してくれていたんだろうなぁと後になってから反省した次第であった。

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