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やがて青に至る

ゴールデンウィークが何処もかしこも混んでいるのをニュースで観て、やはり家でぼんやりして過ごそうと決めた。
とはいえ、休みは昨日と今日の二日だけ。ならば本でも読むかと思い、歩いて三分もあれば着く小さな図書館へ向かった。

なんとなく写真集のコーナーへ立ち寄り、レコード漁りのように次々に本を棚から引き抜いて行く中で、とある一冊で手が止まった。

「チロ愛死」

たまたま見つけたこの写真集は、写真家アラーキーこと荒木経惟氏が愛猫「チロ」が生きた最期の三ヶ月間を撮影した写真集だった。

高校の頃、何処に居ても心が落ち着かず、家を出ると学校へ向かわずに図書館に通い詰めていたことがあった。
その時に色々な本を読み漁っている中で、心が激しく動いた本がアラーキーが亡き奥さんとの最期の日常を撮影した一冊だった。

写真はどれも「夫婦愛」なんて言葉ひとつでは済まされない程、静かで品のある、けれど情熱的な描写で埋め尽くされていた。
この世との別れを告げ、棺の中で眠る奥さんの写真に胸を動かされた。
けれど、一番悲しみに溢れていると感じたのは自宅屋上の写真だった。

奥さんが存命中だった頃の屋上の写真はそこに活き活きとした生があり、彩のある季節の光があった。
奥さんが亡くなった後、屋上はまるで祭りの後のような散らかり様になり、置かれていたものは朽ちて行った。
ページを捲るたびに経過する時間の中に、悲しみの中へ徐々に沈んで行く深い痛みと愛情を感じた。

ありとあらゆる「死」を捉えた写真がこの世界にはあるけれど、この時ほど確実に「死」が伝わった写真というのは、それまでも今までも出会いがない。
愛する人が死ぬ。という事がどれほどの痛みを伴うものなのか、そして、どれだけの愛を残すのか。
そんなことを高校生の僕は学校へも行かず、図書館の中でぼんやりと考え続けていた。

その写真集の中で、愛猫のチロはまだ幼猫を脱した辺りの活発な家族の一員として登場する。
荒木夫妻には子供がなく、夫妻がどれほどチロを可愛がっていたのかが写真を通して伝わって来たりもする。

そのチロは中々の長寿で、奥さんが亡くなった後も二十二歳になるまで生き続けた。
借りて来た写真集を開くと、老猫となったチロの姿に猫好きの僕はたまらず笑みがこぼれそうになった。
前~中盤までは時々、女性とチロが性の対比のように描かれている。
アラーキーの撮るヌードモデルは美しいものもあれば、腹が年齢なりにたるんで出ていたり、生活臭を漂わせるような趣の写真もあって、「性」としての裸を切り取っている訳ではないんだなぁなんて改めて感動したりもした。

猫としてのチロは大変可愛らしく、おせちが並んだテーブルの上に乗ったり、丸まって眠る姿や、何かを警戒しているのようなしぐさで宙を眺めるチロの姿にたまらず微笑ましい気持ちになる。

チロが段々と弱り始めてからの日常写真を捲って行くうちに、レンズに向けるチロの眼差しにふいに泣きそうになってしまった。
なんというか、とんでもないくらい愛に溢れているのだ。飼い主(と猫は思ってないだろうけど)への信頼や安心感なんかがチロの弱った瞳に沢山詰まっていて、チロは本当にアラーキーが大好きなんだなぁと感じた。
寝転がってレンズに眼差しを向けながら、もしかしたら甘えたいのかもしれないし、遊んで欲しいのかもしれない。けれど、身体を存分に動かす体力はチロにはもう、残ってはいない。
それでも、眼差しだけでそれを必死に告げているように僕には思えた。

ページを捲って行くと、チロの最期が唐突にやって来る。
小さな棺の中で、花に囲まれながらチロは眠りに就いている。
その隣のページには、過去に撮影した棺の中で花に囲まれ、眠りに就く奥さんの姿が描き出されている。

骨となったチロ。
そして、小さな骨箱を持ってエレベーターの前に立つアラーキーの姿は、なんだかたっぷり叱られた後の子供のように明確な悲しみが浮かんで見えた。

死というものは、分かっていてもいつも突然なのだ。
小さな頃は人が死ぬなんて考えられなかったし、想像もつかなかった。
でも、大人になって幾つもの死に出会って来た中で、人がゆっくりと受け入れられるような死というものはただの一つも無かった。
誰かの死というのは個が消えるだけではなく、景色や風景までも道連れとなって行く。
それは続きがない最終回みたいなもので、再放送も二度と出来ない。

そんな容赦ないものと人は向き合って生きているし、中にはそれらを忘れ去ろうと努力する人もいる。
けれど、確実にそれはこの世界に溢れている。生きている限り、いつか絶対に死は訪れる。

チロが亡くなった後、写真は空となって悲しみを伝え続ける。
死後、空の写真が終盤まで延々と続く。

悲しくて寂しい空の色は言葉で語るよりずっと写真の方が伝わるんだと痛感して、小説ってものはなんだか言い訳がましくて仕方のない物のようにさえ思えて来る。

季節が少しずつ、柔らかに変わる空の色を見詰めている内に、悲しみという感情は最も優しい感情なんじゃないかと思えた。
深い悲しみを携えながら生き続ける中、陽を浴びた季節が青くなろうとするその時まで悲しみというのは飽きもせず、感情となって心の傍に立ち続けてくれている。
話し掛けることもなければ、話し掛けられることもないその感情がページを捲るたび、本当に少しずつだけれど遠くなって行く。

最後の一枚は光を弾くような緑の葉をつけた木の写真で、空は白く透明になりそうなほど青い初夏の青だった。
写真の日付は偶然にも今日と同じ五月五日で終わっていた。
だからなんだよって話しだけれど、少しだけテンションが上がってこの記事を書きだした次第なのでした。

チロが生きた日々が見れたことを、改めて嬉しく思います。
悪筆、乱文お許し下さい。

それではまた。

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