見出し画像

殺して欲しいと願った日

数枚の小銭が重なる感触を何度も確かめ、駅の構内を歩き続ける。
早々とシャッターの下りた店先には先客が段ボールの上にボロボロの毛布を敷いて、何かに感づいたようにこちらをギロリと睨みつけている。
先客の脂で絡まった髪には埃やゴミが付いていて、冬だと云うのに焼けた肌は乾き切っている。
しかし、その目の奥には生半可に生きることを決して許さないような、強い意志が秘められている。

自分はどうだろう。段ボールの上に身体を横たえ、腐臭を放ちながら人々に蔑まれ生きることは出来るだろうか。
いや、出来るはずがない。
身体が匂いを放てば、洗い流したくなるだろう。寒さに凍えたならば、風呂に入りたくなるだろう。腹が減ったら、ゴミ箱を漁ることなく食卓を真っ先に頭に思い浮かべるだろう。

現実はどうだ。

仕事はない。寒い。腹が減った。家には帰りたくない。全財産は百五十円。とにかく、金がない。充電もそろそろ切れそうだ。
なのに、彼らと同じように日常から抜け出した場所に身を委ねることは叶いそうになく、未だにどうにかなるのではないかと心の隅の灯りに、期待をしているんじゃないだろうか。

もう、いっそ殺して欲しい。本当に、誰でも良いから殺して欲しい。
万分の一の確率でしか会えない、通り魔と目を遭わせたい。
人殺しのニュースを目にして、羨ましいとさえ思えて来てしまう。

他人と同じように並べない子供だった。
それは大人になってからも変わらず、誰かと同じ道を歩くことに不可思議なほど違和感を抱き、離れたくなった。
こちらを向いて仲良くしたいと笑う顔に、反吐が出そうになった。
しかしその反面、女にだけはこちらもその顔を向けるのである。

その女でさえ、もう誰もこちらを見向きもしなくなった。
まだ周りにこちらに笑顔を向けようとする者はいないか、何度も辺りを確かめる。
もう、ほとほとよしてくれ。いい加減にしてくれ。愛想なんか振るわないでくれ。助けてやろうなどと、思わないでくれ。
欺く為だけに、俺は愛想を振りまいて安堵を持ってやってやるから、ホッと溜息を吐いてどっかへ消えてくれ。
こっちを見るな。誰も俺に触るな。無関係、無関心でいてくれ。

いっそ、頭が狂ったと思われて見放してくれたらどんなに楽だろうか。
ストレス、ストレス、ストレス、ストレス、ストレス。
道を歩いているだけなのに、すぐに他人の溜息にぶち当たる。
いや、違う。それはさっきここを通った時に吐き溢した俺の溜息だ。

もう、何もかもが嫌になる。生きていることが、理解の限度を超えている。
早く、殺して欲しい。誰でもいいから、もう終わりにして欲しい。

構内で寝転んでいた男が「百円くれよ」とこちらへ向かって叫んだ。
ダメだ。この百五十円は駅の中へ入って、家へ帰るための片道切符なんだ。
絶対に、ダメだ。
死にに来たのに、帰ることを考えているんだ。
もう、訳が分からない。
百円をやる代わりに、殺してくれないだろうか。

「おい、やるから殺してくれよ」
「はぁ!?」
「百円やるから、殺してよ」
「おまえ馬鹿なんじゃねーの!? あっち行けよ、気持ち悪ぃ」

物乞いの腐れホームレスにさえ、邪険にされた。
百円をやるから、ただ殺して欲しかっただけなのに。
この命には、まだ百円以上の価値があるとでも言うのだろうか。いや、違う。百円を恵んでもらって殺すにはリスクがあり過ぎるから、断られたんだ。面倒だ。どいつもこいつも、マジで面倒だ。

早く、誰か殺して欲しい。
通り魔でいいから、不安定なこの息の根を止めて欲しい。


はい。毎日のようにこんなことを想っていた日々から十五年ほどが経ちました。
今は「殺さないでええええ!いやあああああ!」と秒で全裸になって無抵抗を見せつける(見せつけるのです!)ほどになりましたが、自分でさえも一体どれほどの激変があったのかと疑ってしまうほどです。

というのも、若い頃は今よりもずっと自分そのものと自分の心の距離が近かったんだと思います。
言うなればエヴァが自分そのもので、パイロット(心)がシンジくんでしょうか。
つまり、シンクロ率が爆発的に上がっていたんです。

暗く死ぬことばかりを遠ざけた結果、今がある訳ではありません。
どちらかといえば、飽きるまで向き合ってみた結果こうなっています。
若かりし頃の自分が今の自分に身を置き換えたなら、ひょっとして、いや、ひょっとこして口がひん曲がって自殺している可能性だってあります。

老けました。体力もなくなりました。かつてはイケメンでしたがイケメンも引退しました。仕事で身体を動かすことでマウントを取っていましたがヘルニアになりました。頭も衰えて感情も薄くなり、おまけに唯一のアイデンティティであると感じていた創造性まで枯渇し始めています。

さぁ。若い頃の僕よ、どうでしょう。
死にたくなって、金もないのにまた街をふらふらしたくなったんじゃないか?

あの頃救ってくれた人も、いました。
友人であったり、かつての音楽仲間であったり、様々な人がいっしょに笑ったり、笑ってくれたりしていました。
心の隅では「笑ってんじゃねぇよ」と思いながら、きっと言えませんでしたね。

今はどうでしょうか。先回りして自分を落としてしまったり、負けたりすることを受け入れてる自分がいたりします。
きっとそんな真似、小賢しくてしたくないでしょう?
でもね、今はしています。そりゃあもう毎日のようにヘラヘラへこへこしています。
夢グループの社長ばりに申し訳ない顔して謝ったりもしています。

もちろん、そんな様相なのでもう昔みたいにイケメン!とか言われることはありません。
そんなもん、とっくに返上しました。人はね、誰だって老けるんです。痩せ型気取ってますけど、腹だって気を抜けばすぐにポッコリちゃんします。

でもね、今はたまに人から「素敵ですね」って言われる事もあります。
その相手は何も女性だけじゃなく、時に若者だったり、おじさんだったり、お爺さんだったりします。

そう思うと、闇落ちして死にたがりになってるよりもずっと楽で羨ましい気がしませんか?
え?ラウドネスな感じがしないから、しないって?

なら早く死ね!!!!

というのは冗談で、殺して欲しいと願った日々を歩いていた僕は今日も生きています。
その頃よりもずっと遥かに楽に、肩の力を抜いて生きています。
でも不思議と、作るモノや作品はより暴力的に過激になっている気がします。
それでも、引き算の暴力なのでその頃の僕が想像するような分かりやすいダイレクトな暴力ではないでしょう。

安心して下さい。
歩き続けていると、何も考えなくてもなんとかなるモンなんです。
時間が解決するっていうけど、それは少し簡単に要約しすぎてますね。
解決するだけの時間と向き合ったからこそ、結果になったんじゃないのかと思います。
ただ放っておいたら、きっと心が腐りきってしまいます。

だから、ずっとその死にたいばかりの日々と向き合い続けて、街を彷徨い続けて下さい。
その百五十円でキセルをして、僕は結局家へ帰ることになるのです。
まったく、未練がましくて弱くて、愛しい奴です。
いつか、今の僕と出会える日を信じています。

殺して欲しいと願った日の僕へ。
なんとかなった今の僕より。

サポート頂けると書く力がもっと湧きます! 頂いたサポート代金は資料の購入、読み物の購入に使わせて頂きます。