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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run24

⭐2023年のスタートに向けた充電は偶然⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

久しぶりに松戸に来ました。松戸に用事があったわけではありませんが、今回の日本滞在は同じホテルに連泊する形で予約できず、昨日から数日間宿泊するホテルを松戸にしていたからです。

都内のホテルで4日間くらい連泊できて、値段も手ごろなものが見つからず、結局、見つかったのが松戸のホテルでした。しかし、なぜ松戸なのかと思われてしまうかもしれません。

私にとって松戸は大切な場所なのです。
松戸は色々な「初めて」の場所だったのです。

初めて「自分で賃貸契約」をして住んだ場所。
大学で上京しすぐに住んだ家は親同伴で契約した大学のすぐ近く。

初めて「電車通学」した場所。
上京してすぐの家は徒歩通学だったので電車通学への憧れ。

初めて「朝のラッシュ」と戦った場所。
現在ならラッシュなど、避けたいものなのに当時はそれも憧れ。

初めて「家庭教師」をした場所。
教育実習でボコボコにされ、指導経験の必要性を痛感。

初めての「ロフト付き」の場所。
ワンルームだけど空間が分かれていて、とてもオシャレだと感動。

初めて「しっかり挫折」した場所。
大学院入試の内部試験は受けずに、東大の院一本で勝負して見事に敗北。

初めて「浪人生活」を過ごした場所。
大学の同期がみな社会人になる中、自分は何者か自問自答と焦りの日々。

初めて「塩コショウ」に感謝した場所。
生活を切り詰めても食費が足りず、飢えをしのぐため塩コショウをなめる日々。

初めて「就活」をしてみた場所。
修士2年のとき、博士の道は険しく、教員になれるかも分からず、とりあえず応募。

初めて「採用」されて引っ越しとなった場所。
卒業間際の2月下旬、何とか非常勤が決まり勤務校近くに引っ越し。

せっかくなので、かつて住んでいた家の方へ行ってみました。
すると何度も行き来した道を歩いていて、記憶の蓋がフルオープン。
本当に色々な「初めて」が松戸にあったことを再確認しましたね。

そうして、当時の気持ち(初心のようなもの)が充電された気分になれました。
何となく教員を続けられていて、勘違い・慢心・麻痺みたいな自分への冷や水にもなりました。

占いなど、さほど信じないタイプなのですが、都内のホテルが高すぎて、たまたま決めたのが松戸のホテルであったのは何かの導きのような気がしてきました(都合の良い解釈だけど)。

今回の松戸訪問で思い出させてもらった「初心とか原点」を材料にしながら、今の自分、そしてこれからの自分の在り方について、もう少し真剣に考えなさいという「神の啓示」ではないかと勝手に思い込む自分。

「是非初心不可忘、時々初心不可忘、老後初心不可忘」
これは室町時代の能楽者である世阿弥の言葉です。彼の言葉として「初心不可忘」の部分が取り出されることが多いのですが、彼の著書『花鏡』では上で記したように書かれています。

世阿弥は「初心」というものを、単に、過去に根差した「原点(出発点)」と解釈しているわけではないようです。3つ示されている初心のうち「是非の初心」では、未熟だった頃の自分を忘れず、常に「反省」を欠かさずに努力することの大切さを説いています。次に「時々の初心」では、芸は年齢に応じて求められるものが変化し、その時々で取り組むことになる芸はそれまでの経験だけでは測れない未知の領域があるので、その都度自分は初心者であると考え、常に「謙虚」を欠かさずに努力することの大切さを説いています。最後の「老後の初心」では、どれだけ年齢を重ねようとも芸に完成というものはなく、自分は十分に学んだといえる段階はないので、常に「向上心」を欠かさずに努力することの大切さを説いています。

そう考えると一般的に使われる「初心不可忘(初心忘るべからず)」における「初心」は、どちらかと言えば「原点(出発点)・原理・原則」などの意味で使われるものであり、それは松尾芭蕉の「不易と流行」の「不易」に近い気がしてきました。そして世阿弥の「是非の初心」もこれに近いと思います。ただ、世阿弥は人間の取り組みに完成はないと考えているので、何かに取り組み始めた時点で「原理・原則」のようなものが確立していると考えてはいないと考えるべきでしょう。だから「是非の初心」と、「一般的な初心」は、取り組み始めの未熟な状態を含めた「原点(出発点)」という部分では一致していると思います。

それから、世阿弥の「時々の初心」と「老後の初心」については、その都度変化するものを意識しているので、芭蕉の「流行」に近いような気がしますね。

とにもかくにも、今回、松戸に降り立つこととなった偶然の重なりは、かつての自分と今の自分の時間の重なりで、当時の自分が思い描いていた人生の線と、実際に描かれてきた人生の線の「交点や接点」について考える機会といえます。2023年のスタートに向けて大切な気づきが得られたと思います。

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