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未来の農業を育む野菜選びをしよう。

農業人口の高齢化・農業人口が減少しているなどなど、日本の農業の未来は正直、笑えないぐらいに全然明るくないと思っています。もちろんTwitterを見ていても個々に素晴らしい想いをもった生産者さんはたくさんいるのも事実ですが、産業として捉えた時にどうだろうという話をしています。

我が国では個人で農業を営んでいる人は現在約140万人。ちなみに5年前と比べると約30万人減少しています。一方で新規就農者は毎年6万人程度いるにも関わらず5年以内に3割の人が離農しており、定着しているのは約1万人なのが現状なのです。

まあ農業人口の減少が一概にも悪いとはもちろん言いません。そもそも少子高齢化社会によって食べる人が減っていくじゃないかという話もあるし、機械やAIの力を使って効率化を目指せばいいじゃないかという声も聞こえてきそうです。

しかしながら、何かしらの変化がこの産業に起きない限り、農業人口が減り続けるのはもう目に見えてわかることだと思うのです。

今後、持続的で力強い農業構造を実現するためには、基幹的農業従事者と雇用者を合わせた農業就業者が90万人必要と見込まれており、これを60代以下の年齢層で安定的に担うには、青年層の新規就農者を毎年2万人程度確保していく必要があります。
(引用:担い手の動向、農林水産省)

この間兵庫県庁の農政課の方々とお話した時に新規就農者の離農の原因は何かを尋ねてみました。新規就農者は就農するにあたって2年間の事前研修を経てから収納する仕組みになっているので「やっぱり農業が向いてなかった」という理由で辞める人は少ないそう。基本的には農業をやりたいと思って新規就農したけれど生活が難しくて離農するというのが大半を占めるそうです。

農業のやり方が変わってきている

私は流通の人間なので生産を甘くみているのかもしれませんが、基本的には農業はちゃんとやれば儲かると思っています。ただし、今までの農業のやり方では通用しなくなってきているのは事実で、時代に合わせて変化しないといけないと思います。今の卸売市場の制度なんて昭和2年(1927年)の制度なわけです。そこから時代は大きく変化し、野菜の売り方も変わってきています。

なんて言いながら先に弁明しておきたいのですが(笑)、私は市場の機能は偉大だと思っていて、これがないと都市部の人口の食卓を支えることができないし、食材の安定供給も不可能です。なので市場が要らないと言っているわけではないことをご理解の上お付き合いください。

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私が学生の頃、印象的だったことの話を1つしましょう。農学部での勉強をしているとき、実習の先生が言った言葉があります。

「良い農家とは、形の綺麗な野菜を作れる農家だ。じゃないとそもそも売り物にならないからね。」

市場では「規格」が設けられています。ブロッコリーは直径15cm以内、ズッキーニは180g未満(地域差あり)と言ったように、野菜の大きさ・形・見た目で基準を設けられ、それによってランク付けがされています。これらの規格を満たさない野菜は「規格外野菜」として市場では買い取ってもらえず多くの場合は畑にすき込んで廃棄しているのが現状です。(なぜ規格が存在するかなどは長くなるのでまた別の記事に書くことにしましょう。)

ようは、その規格通りに作れなかったらそもそもお金にならないのです。そんな背景があるから、実習の先生はあんな言葉を放ったのでしょう。

しかしですよ、当時の学生竹下は思うわけです。

「いやいや、良い農家って、安心安全・おいしい野菜を作れる農家じゃないの?」

これが食を考える上で最も大切なことだと、いまだに思っています。ここから先は統計的にというより私が生産者さんとお話する中で感じていることですが、若い方で農業を頑張ろうとしている方(新規就農者の方も含め)の多くは有機無農薬の栽培に挑戦しようとするし、おいしい野菜を作ろうとしている人が多いと思います。

しかし、有機無農薬栽培で規格通りに作るなんてほぼ不可能なわけです。なので結局売り先に困り、良いものを作ろうとしているのに売れずに、農業人生を終えなければいけない。そんな負のループが現場では起きているのではないかと私は感じています。(実際に離農している人も周りで見たりしています。)

農産物流通が変わらなければいけない

情熱を持って農業に取り組んでいる方は、特に「やりがい」を重要視されるケースが多いと思います。ただただ物質としての野菜を作ってどーんと販売するよりは、手をかけて良いものを作ってなんなら消費者の顔が見えるぐらいの距離で販売する方が好まれる。

私が今作りたいと思っている流通は、そんな情熱を持って生産されている農家に寄り添う流通です。あー、話せばどんどん長くなるのですが、形の綺麗な野菜を作ろうと思ったらそもそも品種選びから影響してきます。

トマトも私らでも把握できないほどの品種があるわけなのですが(よくある桃太郎トマトもあれは1品種じゃなくて、桃太郎トマトの中に何種類もあります)、何が違うかというと、例えば形が丸く作れる品種、味はイマイチだけど大きく育つ品種、寒さに強い品種、形は悪くなるけれど味はとっても良い品種などなど。ようは、形が綺麗なトマトを作ろうと思ったら味で妥協が必要だし、味がおいしいトマトを作ろうと思ったら形に妥協が必要なのです。

農家がどの品種を選ぼうか考える時に、八百屋のタケシタがあるからおいしい野菜を作れる品種を選ぼうとなってくれたらいいなと、まずひとつ思っていることです。

形・重さよりも味・安心安全感。野菜の評価軸を後者に変化した流通がこれから必要だと思っているし、そんな流通が日本中に広がれば情熱を持った農家は生活していける。さらにはやりがいを感じることに繋がるのではないかと思っています。

イチ消費者に何ができるだろう

地元の野菜を食べよう!農家から直接買おう!なんて言葉は、なんか良さそうだけどなんで良いかわからない謳い文句だなと思っているわけです(もちろん私なりに良いと思っている理由はあるのですが)。

最近私が考えていることは、自分の身体のことを想って良い野菜を買おうとか、おいしい野菜を食べたいからという理由ももちろん大事だけど、やっぱり未来の農業を創っていくために、情熱持って農業に取り組んでいる農家から野菜を買う(=応援)ことが私たちにできることなのではないかと思っています。

ベクトルを自分に向けた野菜選びと、ベクトルを社会に向けたときの野菜選びが合致してたら最高じゃないですか。食の難しいところはこれが後者だけだと成り立たない(情熱溢れる農家だけど作る野菜が全然おいしくない、みたいな)のですが、そういう農家が作る農産物は大体まじでおいしい。笑

最近はネット販売のサービスもあるし、私らみたいな地元で生産者と濃く繋がっている八百屋だってきっと各地にいるはず。消費者が野菜を買う場所を選ぶための選択肢は増えてきている。

なので私は提案したい。
野菜選びを通して、未来の農業を一緒に作ろうよ、と。

竹下友里絵