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「緩和ケア」とは「自分らしく、より楽しく幸せに生きる」こと

今回、講演会を主催していただいたのは「 庄内プロジェクト」様で、「緩和ケア」普及のためのプロジェクトです。

緩和ケアと聞くと、僕もそうでしたが、終末期医療で、他にもうやりようがなくて、最後に痛み止めを打ちながら死を迎える、みたいなイメージでしたが、お話を聞くと全然違いました。

僕なりに「 緩和ケア」の意味を翻訳すると、「自分らしく、より楽しく、幸せに生きる」ということに尽きると思います。

ですから、大きい意味で捉えると、「緩和ケア」は 健康な人の枠組にも含まれると思いました。

というのは、僕たちは体が健康でも、心の中では様々な悩みを抱えています。

ブッダは「生きることは苦しみだ」と言っていましたが、まさにその通りです。

僕たちの頭の中には常に「生きる」「病気」「老いること」「死」という4つの苦しみがあるとブッダは言っています。

僕たちはこの4つの苦しみに頭の中をとらえられ、そしてその苦しみから気を紛らわすために、 ゲームやテレビなど様々な娯楽で日々気を紛らわせているのです。

これが本当の自分を生きずに、 偽物の自分で生きている、ということです。
そういう意味で捉えると、「より自分らしく、幸せに生きる」ということ自体、病気であろうとなかろうと、僕たちにとってとても大事なことだと思います。

ですから「 緩和ケア」 というものは、病気の終末期においてのみ使われるものではなく、 僕たちが「今ここで」 幸せに生きていく、と同じ意味だと思うわけです。

四つの苦しみを緩和する、もっと言い換えると、4つの苦しみから離脱する。

病気や 疾患で痛みや苦しみがある場合は、まさに「緩和ケア」の専門のドクターやスタッフ、あるいは施設があるわけで、 その部分はそこにいらっしゃる優秀なスタッフたちにお任せして、残りの「自分自身をどう生きるか」という部分に関しては、やはり自分自身でなんとかしなくてはなりません。

泣いても笑っても、自分の人生の責任を取るのは自分自身ですし、自分自身を幸福にするのも不幸にするのも、自分自身の内面・心次第です。

それにはやはり、自分自身の心を深く、そして静かに見つめること。

自分の心の中に起こる様々な「猿のざわめき」を 客観視し、現れては浮かんでくるものを手放し続けること、これを自分自身でやり続けるしかありません。

これを禅の世界では「水月(すいげつ)を捻得する」と言います。

本当の僕たちは、頭の中で騒ぎ続けている、おしゃべりを続けている猿ではありません。

それを静かに見つめている私、それを上から照らして眺めている私、それが本当の私なんです。

それを一緒に掴んでいきましょうね。
ただし、それをやるのはこれを読んでいらっしゃる皆さん ご自身です(^-^)



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