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「5年後も、僕は生きています ㊻瞑想を始める」

㊻瞑想を始める

2020年の4月くらいから、僕の中でちょっとした変化が起こっていました。

僕が2017年6月8日に経験した「サレンダー」。

あれは、一体何だったのか?

あのあと、約ひと月の入院中、そして入院後もしばらくあの感覚は続いていましたが、それは次第に薄れ、いつの間にか「記憶」という引き出しの中にしまわれていました。

あの感覚、あの周波数、あのフィールドにもう一度アクセスしたい

そういう想いが、だんだんと強くなっていきました。

では、どうするのか?

方法は?

やりかたは?

もう一度サレンダー?

っていっても…

そしてふと、思いつきました。

瞑想だ。

瞑想してみよう。

僕は今まで「瞑想」をほとんどしたことがありませんでした。

瞑想なんて、退屈。

そんなじっと座っているなんて、出来るわけないし、やりたくもない。

それが、今まで(ガンになる前)の僕でした。

なんたって「行動・Doing」が全ての人、でしたからね。

というわけで、2020年の4月くらいから僕は本格的に「瞑想」を始めました。

最初に参考にしたものは「マインドフルネス」の本です。

主に「藤井英雄さん」の本を中心に、初心者として瞑想を始めました。

始めてみて、分かったこと…

いかに自分の頭の中が、ぐちゃぐちゃなのか…

どうでもいいことを、頭の中でおしゃべりしまくっているのか…

そして、そのおしゃべりが、全然静かにならないこと…

本には「雑念」と書いてありました。

「雑念」…

まさにそのとおり。

どうでもいいこと、つながりのないこと、それがひっきりなしに頭の中に湧いてきて、そのおしゃべりに気を取られ、それが消えたと思いきや、また別の関係ないことが頭の中に湧いてきて、またそのおしゃべりに夢中になって…

この繰り返しなのでした。

「呼吸に意識を集中しましょう」

どの本にもそう書いてあります。

そして、やってみます。

すると…

5秒もしないうちに、いろいろなおしゃべりが湧いてきて、そのおしゃべりに頭を占領され、

あっ、と気づいて

またしゃべってたよ

だまれ、オレ!

と、自分で自分を抑え込もうとする…

あとで知ったことですが、これは上手くいかないやり方だったみたいです。

まあとにかく、始めたばかりのころはこの繰り返しでした。

こうやって手探りで始めました。

でも、でも「しつこい」ところが僕のエゴのいいところでもあります。

毎日座ろう

とにかく、毎日続けることだけを決めました。

瞑想タイムは朝起きてから一番です。

僕の日課は、毎朝起きてから軽くストレッチをして、、瞑想タイムに入ります。

このストレッチの時間も、頭のなかのおしゃべりを止め、身体、特に筋肉が伸びていく「感覚」に意識を集中します。

すると、瞑想に入りやすくなることを経験的に学びました。

後で知ったことですが、ヨガは運動瞑想なのですね。

上手くできなくても、頭の中が雑念に渦巻いていても、とにかく続けてみよう。

そのうちに、何かがつかめるかも知れないから。

以前読んだ本の一説に、こういうエピソードが書いてありました。

達磨大師(禅を中国に伝えたマスター)が、魏の武帝に会ったとき、武帝が聞きました。

「仏教の極意とは?」

魏の武帝は仏教寺院を国中に建立し、自身も経典を読み込んでいた大変な信仰家でした。

達磨大師の答えは…

「廓然無聖」(かくねんむしょう)

廓然無聖とは空っぽで何もないことです。

般若心経の「空」のことです。

「空っぽだけれど、そこに全てが詰まっている」

量子力学でいうところの「ゼロ・ポイント・フィールド」です。

彼は自分の功績や経典の一節を指し示して欲しかった、と言われています。

それを聞いた武帝は、その意味が分からずに聞き返します。

「(そんな訳の分からないことを言う)お前は、誰だ?」

達磨大師の答えは

「知らん」

そう、達磨大師が存在しているフィールドでは、そこに「私」というエゴは存在せんから、名前を聞かれても答えようがないのです。

ですから「知らない」と正直に答えたのです。

武帝は怒って、達磨大師を追い出しました。

達磨大師は次の国へさっさと旅立ちましたが、武帝は後でこの一連の問答の内容を理解して達磨大師の後を追わせますが、もうすでに国を後にしていました。

「廓然無聖」

空っぽで、なおかつ全てが満たされているフィールド。

老子も同じような事を「道徳経」の第1章で書いています。

無名天地之始
有名萬物之母
常無欲以観其妙
常有欲以観其激
此両者同出而異名

無は天地の始めと名づくべく、有は万物の母と名づくべきなり。
故に、常無にして以てその妙を觀んと欲し、常有にして以てその徼を觀んと欲せよ。
この兩者は同じきも、出でては名を異にするなり。

これを「天」あるいは「神」の視点、一人称で語ると、こういう表現になります。

私はこの世界の父であり、母であり、配置者であり、祖父である。
私は帰結であり、維持者である。
私は宝庫であり、不滅の種子である。
私は不死であり、死である。
私は有であり、非有である。
(バガヴァッド・ギーダー)

般若心経でも、同じ事が。

そもそも「般若」とはサンスクリット語で「向こう側」という意味です。

向こう側とは?

そう、この「3次元世界」の向こう側のことです。

4次元から先の、もっと先の、向こう側。

最新の物理学、量子力学ではこの世界は11次元と言われています。(M理論)

般若心経の最初の言葉「般若波羅蜜多心経」(サンスクリット語では「プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ)

プラジュニャーとは、向こう側、つまりこの3次元から先の次元。

パーラミターとは、「渡る」という意味。

フリダヤ・スートラとは、「ありがたい教え」

つまり、般若心経とは「3次元世の向こう側に行くための、ありがたい教え」という意味なのです。

全ては「空」

でも、空は「空っぽ」ではなく、全てが詰まっている「空間」。

全てはそこから発生し、そこへ消えていく。

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦

超えていけ

超えていけ

エゴを超え

次元を超えていけ

もしかして、サレンダーのとき、ここにかすったのか?

次元を超えるのは、外側じゃない、内側に入るんだ。

そんな世界があるなら、僕も体験したい。

そんな想いから、瞑想を続けました。

あるとき読んだ本に「四念処」という言葉話を見つけました。

僕的な解釈(いつも私訳です)だと、瞑想する時に意識する4つのもの。

一つ目は「身体の感覚」。

身体が痛いとか、座っているときの「重心」や「骨・筋肉」の感覚。

二つ目は「エネルギーの感覚」。

身体の中を通っている、流れているエネルギーの感覚ですね。

手や足先がジンジン・ピリピリする、とか、身体の中心、背骨のあたりがジ~ンとするとかそういう感覚です。

三つめが「思考」「雑念」です。

これが一番やっかいです。

ひっきりなしに湧いてきて、頭の中を走り回ります。

仏教では「心猿(しんえん)」と呼ばれています。

お猿さんが頭の中を走り回っているのですね。

思考は「言葉」と「映像」でやってきます。

いつの間にか、その言葉を頭の中でしゃべり、その「映像」を見ているのです。

そしてその世界にどっぷりとはまり込んでしまいます。

そして4つ目が「観察者」。

それら3つに囚われずに、山のてっぺんから下界を見下ろすように、静かに全てを観察している「目」、あるいは「視点」です。

先程の「思考」はよく映画のスクリーンに例えられます。

映画館に行って映画を見ているとき、その世界に夢中になりますよね。

映画の世界に没入します。

それが「思考」に頭の中を占領されている状態です。

でも映画館の席に座って見ている「私」。

それが分かって「見ている私」。

それが「観察者」です。

「観察者モード」に到達すれば、ある意味での一つのゴールです。
そうやって3~4か月ほど経った頃でしょうか、次第に頭の中の「思考」「雑念」のおしゃべりが減ってきました。

頭の中が、だんだんと静かになってきたのです。

言い換えると「静かな時間」が増えてきた、という事でしょうか。

それにともなって、瞑想の時間も最初は15分が限界でしたが、少しづつ長く座れるようになってきました。

そしてあるとき、ふと何も湧いてこない瞬間が唐突に訪れました。

無音

静寂

目をつぶっているので目の前は真っ暗なのですが、その闇・黒がさらに深く、濃くなったように感じました。

そしてその「真っ黒な闇・空間」を見つめている僕がいました。

その闇の中を「思考」が湧いて来ると、それはまるで山のふもとでなんやらごにょごにょと誰かがしゃべっているようですが、はっきりとした言葉は聴こえません。

なんか言ってるな…

というレベルです。

そして、それが消えていくのを眺めている…

瞑想が終わったとき、気づきました。

ああ、これが「観察者モード」なんだ!

こうして僕は初めて「観察者モード」を体験することが出来たのです。

そしてさらにそれから少し経ったころでした…

いつ頃かは定かではないのですが、不思議な体験をしたのです。


第1話から読みたい方は、こちらから読むことが出来ます。


肺ガンステージ4からの生還体験記です。
とりあえず、ベストセラーになりました。

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「読んだら人生が激変する」とご紹介頂けるほど、ご推薦いただいて感謝しかありません。10分ほどの画像です。よろしければ見てくださいね。


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いわぶちゆういちさんの「ぶちの気ままライブ」出演させて頂きました。「さとりをひらいた犬」を書き始めたきっかけ、書いていた時の想い、感じたこと、その体験などを中心にお話させていただきました。よろしければ、ご覧くださいね。


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