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死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!(『僕は、死なない。』第5話)

全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則

5 サバイバルのはじまり


 翌日の9月3日、僕は妻と2人で近所の陶板浴に足を運んだ。陶板浴はがんに効くと以前聞いたことがあったからだ。幸いなことに車で20分ほどの場所に陶板浴を見つけることができた。
 扉を開き、中に入って受付をする。
「がんに効くって聞いたのですが……」受付にいた優しげな女性に話しかける。
「ええ、とてもよく効くと言われていますよ。がんの患者さんもたくさん利用されています。あの失礼ですが、がんなのですか?」僕があまりにも元気そうだったので不審に思ったのだろう、その女性が聞いてきた。
「ええ、肺がんのステージ4です」
「ええ? そんなにお元気そうなのに? いつ診断されたんですか?」
「えっと、おとといの1日ですね。9月1日」
「え? おとといですか?」
「ええ、自分でもびっくりしてます」
「まあ……」女性は言葉を詰まらせると、目を赤くした。そして気を取り直したように言った。
「心がお強いんですね。普通はがんと診断されると1~2カ月は落ち込んで何も手につかなかったりするものなのですけど……」僕もつられて涙が出そうになったが、ぐっとこらえた。
「いえ、強くなんてありませんよ。ただもう、必死なだけです」ごまかすように笑った。
「奥様も、本当に大変ですね……」
「ええ、はい」妻は遠慮がちに微笑んだ。
「ここはがんの患者さんであれば、1枚のチケットで朝晩の2回利用することができます。もしお時間があるのならば、ぜひ2回来てください。体温を上げることががんの治療につながるのです。実際にここに通っていた方で、胃がんステージ4の患者さんが完治した例もあります」女性が指差した先に実例が書かれたポスターの張り紙があった。読んでみると、確かに陶板浴だけで胃がんステージ4のがんが完治したらしい。
 よし、僕もここで治してやる。治して、この人の横に僕の実例を張り出すんだ。むくむくと意欲が湧いてきた。
 負けねえぞ、がんになんて、負けるもんか。絶対に治してやる。
 着替えて浴室に入ると、こげ茶の陶器の板が敷いてあり、人が寝るスペースに木枠が並べられていた。そうか、ここに寝るんだな。バスタオルを敷いて横になると、床からじんわりと熱が伝わってきた。
 聞いた説明によると、床の温度は約50度。バスタオルを敷いているからそれほど熱くは感じなかった。この陶板には特殊なコーティングが施されており、室内にマイナスイオンが充満しているのだそうだ。薄暗い部屋の中でも空気が澄み切った感じがしていた。
「深呼吸をしてください。マイナスイオンに満ちた空気を肺にたくさん入れてください」受付の女性が言ったことを、僕は実行した。
 大きく空気を吐き出す。めいっぱい吐き出す。すると自然に空気が身体の中に入ってきた。ちょっと熱めの、でも、何かエネルギーに満ちた空気。隣を見ると、妻も横になっていた。ああ、なんだか幸せだなと、僕は深呼吸をしながら思った。
 がん細胞は42・5度で急速に死んでいくらしい。最近読んだ本のどこかに書いてあったことを思い出した。
 よし、身体の温度を上げて、がんを焼き殺してやる!
 僕は自分のがんがある左胸を下にして、床に押しつけた。じんわりと熱が伝わり始めた。3分もすると、額から汗がしたたり始める。
「がんも苦しいんだ。こんなことで音を上げてたまるか。がんと僕の根比べだ。絶対に負けねえ」
 僕は自分に言い聞かせた。消してやる、消してやる、がんを消すんだ。一つ残らず消し去ってやる、見てろよ、がん細胞め! 死ね! がん細胞! 消えろ、がん細胞!
 僕は制限時間45分、ギリギリいっぱい使って、左胸を暖め続けた。浴室を出るとき、さすがに少し疲れを感じたが、この程度ならボクシングの練習のほうがよっぽどキツイ。全然大丈夫だった。
「どうでしたか?」受付の女性が心配そうに聞いてきた。
「はい、とても気持ちよかったです。これから毎日来ますので、よろしくお願いします」
「ええ、ぜひ来てください。お待ちしていますから」
 妻と2人で挨拶を済ますと、車に乗った。
「どうだった?」僕が聞くと妻は答えた。
「うん、気持ちいいね。すごく効きそうだね。よかったね、近くにこんないいところがあって。私は仕事があるから毎日は行けないけど、行けるときは一緒に行くから」
「ありがとう。僕は、朝晩2回行くことにするよ」
「うん、それがいいね」
 翌日から僕は毎日朝晩2回、この陶板浴に行くことにした。

 そしてまた、夜がやってきた。
 今日も眠れないのか……。
 電気を消すとまたいつもの恐怖が襲ってきた。昼間はやることがあって気がまぎれるので、この恐怖と直に向き合わなくて済む。しかし布団に入るとやることがなくなる。すると途端に恐怖が襲ってくるのだった。

 死にたくない、死にたくない……。
 怖い、怖い、死ぬのが怖い……。

 ああ、これで3日目だぞ。こんな毎日で身体は持つのだろうか?
 3日目にもなると、少し冷静な自分もいた。そしてふと、気づいた。
 そうか、自分の中で暴れまわっている恐怖を外に出せばいいんだ!
 僕も一応、心理学をベースとした研修をやっている身で、少しは知識があった。トラウマや抱えきれない感情を身体の外に排出することで、心が落ち着きを取り戻すということを知っていた。身体の外に排出するというのは、叫んだり、叩いたりといったことだ。
 僕はとっさに枕に顔を力いっぱい押しつけた。そして身体の中で暴れまわっているものを吐き出すように口を大きく開けた。
 うわーっ?  あーっ!!!
 最初に出てきたのは、言葉にならない叫びだった。声が外に漏れないように布団の中にもぐりこみ、顔を押しつけた枕に大声で叫ぶ。

 わーっ!!!
 いやだーっ!!!

 叫びとともに、あふれるように言葉が出てきた。

 死にたくない、死にたくない、死にたくない!!!
 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだー!!!
 なんで僕が、なんで僕が、なんで僕が、なんで僕が、なんで僕なんだ!!!
 怖い怖い怖い怖い怖い怖い、怖いようー!!!
 枕が涙とよだれでべちょべちょになった。それでもかまわずに叫び続けた。

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだー!!!
 死にたくない、死にたくない、死にたくない!!! 

 うわぁー?
 いやだーっ!!!

 どのくらい叫んだだろうか、叫び疲れて声が嗄れた頃、全てのエネルギーを使い切ったように手や足から力が抜け、身体がヘナヘナになった。
 ああ、なんか出ていった……。
 身体から何か圧縮された大きな黒い塊が抜けていったように感じた瞬間、僕は深い眠りに落ちていった。この日を境に僕に眠れない夜が訪れることはなかった。

次回、「6 新しい治験との出会い」へ続く


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