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トルストイの小説『戦争と平和』でアウステルリッツの戦いはどのように描かれているのか?

1805年12月2日、オーストリア帝国のモラヴィアでヨーロッパの歴史を左右する大きな戦闘がありました。モラヴィアの主要都市ブルノから東に20キロメートルほど進んだところにあるアウステルリッツにおいて、ナポレオンが率いるフランス軍がオーストリア・ロシア連合軍と激突したのです。文学者トルストイが数名のロシア人貴族の視点からナポレオン戦争の歴史を描いた『戦争と平和』で特に力を入れた場面ですが、見どころの一つは敗北するオーストリア・ロシア連合軍の捉え方です。

アウステルリッツの戦いは、数的には優勢だったオーストリア・ロシア連合軍がフランス軍に対して攻撃を仕掛けたところ、フランス軍に中央を突破されてしまい、大敗を喫した戦闘です。この敗北でオーストリアは甚大な損害を被り、フランスと講和を余儀なくされました。この講和でオーストリアはドイツとイタリアにおける権益を一挙に失っており、ロシアも単独では戦争を継続することができず、翌年に講和を締結しています。

トルストイのは、この戦闘でアンドレイ公爵というロシア軍の架空の青年将校を登場させ、史実のロシア軍司令官であるクトゥーゾフの副官としての役割を演じさせています。彼は物語の主人公ですが、戦況の流れに影響を及ぼすことはできません。それどころか、トルストイはアウステルリッツの戦いは始まる前にオーストリア・ロシア連合軍が敗北することが決まっていたという立場で物語を展開します。

「時計の中で無数の多様な歯車や滑車が複雑な動きをした結果は、ただ針がゆっくりと規則的に動いて時を示すことにすぎないが、それと同様に、総計16万に及ぶロシア軍とフランス軍の複雑で人間的な運動、彼らのあらゆる情熱、願望、悔い、屈辱、苦悩、ほとばしるようなプライド、恐怖、歓喜のすべての結果はただ一つ、アウステルリッツの戦い、いわゆる三帝会戦の敗北でしかなかった。つまりは人類史の文字盤上における世界史の針のゆっくりとした動きに他ならなかった」

『戦争と平和』2巻155頁

第一次世界大戦の戦争文学では戦争の悲劇的な側面を表現するため、破壊と殺戮の壮絶さを緻密に描写しますが、トルストイの戦闘描写の特徴は個人の無力さであり、大多数の兵士は自分が置かれている戦況をほとんど理解できないまま命を落としていくことが明確にされています。

戦闘当日の午前5時、まだ朝日も昇っていない時間にオーストリア・ロシア連合軍の将兵はそれぞれに宿営地を撤収し、忙しく戦闘の準備を始めます。将校は天幕から出て紅茶を飲みながら朝食をとりますが、兵士は乾パンをかじるだけで朝食をすませ、焚火に次々と不要物を投げ込み、廃棄物を焼却処分していきます。部隊が動き出すまでの記述は具体性に富んでおり、迫力がありますが、そこでも兵士がこれから何が起こるのか分かっていない存在として捉えられています。

「兵士たちは焚火のところから駆け戻って、パイプを長靴の胴にしまい、荷物袋を馬車にのせ、まとめてあった銃を各自受け取って整列する。将校たちは軍服のボタンをはめて軍刀と背嚢を身に着け、時々怒鳴りながら隊列を回る。輸送兵や従卒は荷車に馬をつけ、荷を積み込んで縄で結わえている。副官、大隊長、連隊長は馬に乗って十字を切り、最後の指令を与え、訓示を述べ、後に残る輸送隊に任務を授ける。すると何千人もの単調な足音が響き渡る。隊列はどこへ向かうのかも知らず、また周囲の者たちと、立ち上る煙と、深まる霧のせいで、今出ていく場所もこれから行く場所も見えないままに進んでいくのだった」

『戦争と平和』2巻、186頁

兵士が武装して整列し、指揮官の隊容検査を受け、連隊長の号令で兵士が一斉に行進を開始する場面ですが、トルストイはここで霧のために「十歩先も見えなかった」とも書いています。これは史実に依拠した記述ですが、一兵士の視点から見た戦争の実相でもあります。

表現的に興味深いのは、全体を俯瞰できる立場にあったロシア軍の高級将校が、当時の政治的事情のために、オーストリア軍の作戦計画にしぶしぶ従わざるを得ず、必ずしも戦いに乗り気であったわけではなかったように描かれていることです。「軍団長のうち誰一人、隊列に近寄って兵士と話そうとする者はいなかったが、にもかかわらず兵士たちは、戦闘に、とりわけ攻撃に赴くときにはいつもそうであるように、楽しげに歩んでいた」と記述されており、状況を俯瞰できる無気力な指揮官と、状況を知り得ない兵卒を対照させる面白い描写だと思います(同上、188頁)。

接敵前の段階からオーストリア・ロシア連合軍の作戦計画の破綻は静かに始まっていました。部隊が戦列に展開しながら丘を下り、低地に立ち込める霧中を前進していると、とつぜん停止を命じられます。すると「何かの無秩序と混乱が起きつつあるという嫌な意識が隊列に広がって」いき、ロシア兵の間では憶測が飛び交います。

「何で止まっちまったんだ? 道をふさがれたのか? それとももうフランス軍とぶつかったのか?」
「いや、そんな気配はねえ。ぶつかったならドンパチを始めるだろうよ」
「いやはら、あんなに急かして出陣させたくせに、いざ出陣してみたら、わけも分からず原っぱの真ん中で足止めかい。いつもごたごたさせるのはあのドイツ人の畜生どもだ。まったく役立たずな連中だよ!」

(同上、188-9頁)

それぞれの兵士は目の前の状況しか見えていませんが、トルストイは読者にこの混乱の原因が作戦計画の根本的な欠陥によるものであり、接敵機動を開始した後になってから左翼に展開していた騎兵が掩護すべき中央の歩兵と離れすぎたことから、経路を急遽変更したために生じたと戦術的な説明を与えています(同上、190頁)。しかし、当時その状況を把握した者はおらず、混乱を収拾できないまま、戦場のところどころではフランス軍の散兵と小競り合いが始まってしまいます。

各部隊指揮官は予想外の場所で敵と交戦することになったため、作戦計画に従って行動することができなくなり、攻撃の勢いは完全に失われました。クトゥーゾフに付き添うアンドレイ公爵の視点に戻ると、午前8時の時点で第四軍団が陣取るプラッツェン高地にいましたが、深い霧が立ち込める低地の戦況を見渡すことができていませんでした。そのため、クトゥーゾフは騎馬で第四軍団の先頭に立ち、低地に向かっていた軍団に続くことにしましたが、これが勝敗の分岐点となりました。霧の向こう側では、ナポレオンがロシア軍がプラッツェン高地を最優先の攻撃目標と見なし、敵が動き出す瞬間をじっと待ち構えていました。

クトゥーゾフは第四軍団と共に低地に降りてみると、そこで足止めされている味方の部隊を目にしました。苛立ちながら味方の将軍に「貴官はなぜお分かりにならないのか、敵に向かっていくときに、このような村道のあい路で隊列を伸びきらせてはいかんということが」と叱責しています(同上、197頁)。わずかな発言ですが、クトゥーゾフが堅実な戦術能力を持っていたことを示唆する記述です。味方の部隊があまりに密な状態になっているため、クトゥーゾフはアンドレイ公爵に先に進んでいるはずの第三師団の位置を調べ、敵に対してすでに散兵を立てるように確認せよと命じます。アンドレイ公爵が馬を走らせると、クトゥーゾフが懸念した通りで、味方は視界が乏しい中で極めて危険な状態に置かれていました。

このような混乱の中で騎馬で現れたのがロシア皇帝のアレクサンドル一世であり、彼はクトゥーゾフに早く攻撃を進めるように命じました。ここでクトゥーゾフは大胆にも作戦を中止すべきだと失礼を承知で意見具申しましたが、結局は命令に従うしかありませんでした。再びクトゥーゾフは部隊を前進させるようと悪戦苦闘しますが、アンドレイ公爵の視点から見ても、それは上手くいっているようには見えません。霧が晴れてきた9時頃、ロシア軍の将校はようやく敵の位置を捉えましたが、その瞬間に彼らは敵部隊の主力が目の前で展開を完了しており、すぐに戦闘を開始できることに気が付きました。

「将軍二人と副官たちが奪い合うように望遠鏡に手を伸ばす。皆の形相ががらりと変わり、どの顔にも恐怖が浮かんだ。2キロ離れたところにいると思われていたフランス軍が、不意に目の前に現れたのだ。
「あれが敵か?・・・・・・」「まさか!・・・・・・」「ほら、見てくれ、あれは・・・・・・きっと・・・・・・」「あれはいったい何だ!」様々な声が飛び交った」

同上、207頁

それからはあっという間の出来事でした。アンドレイ公爵はクトゥーゾフの位置から敵部隊までわずか500歩の距離に前進してきていることに気が付き、すぐに騎馬でクトゥーゾフの駆け寄りました。聡明なアンドレイ公爵はこの戦局を挽回する手を打つための策を編み出し、それを提案しようと発言しますが、その発言は敵弾によって遮られてしまいました。

「「アプシェロン連隊を止めなくてはなりません」彼は叫んだ。「総司令官閣下!」
 しかしその瞬間、あたり一面にもくもくと煙が上がったかと思うと、近くで一斉に射撃音がして、アンドレイ公爵から二歩ばかりのところで「ひゃあ、みんな、おしまいだ!」と他愛ない驚きの叫びが上がった。するとその声があたかも命令のように働いた。これを聞いてみんなが逃げ出したのである」

同上、207頁

味方の敗走が始まると、クトゥーゾフは大きな人流に飲み込まれ、アンドレイ公爵も押し戻されました。アンドレイ公爵は混乱の中で、ある連隊の連隊長が銃弾で足を負傷し、その傍にいた特務総長が連隊旗を手放してしまったのを見るのですが、アンドレイ公爵はとっさにその旗が地面に倒れないように下馬して駆け寄り、無我夢中でそれを立て直します。軍旗を地面につけないことは軍人にとって当然の行動ですが、そのままアンドレイ公爵は軍旗を両手で支え、「全大隊が後についてくるものと固く信じて、前方に駆け出し」ます(同上、210頁)。

この直後にアンドレイ公爵はロシア軍の砲兵がフランス軍の歩兵に蹂躙され、格闘が起きていた李、火砲を奪われているのを目にします。「アンドレイ公爵は大隊に混じって、もはや砲から20歩の距離に来ていた。図上には絶え間なく弾丸のうなりが聞こえ、右でも左でもひっきりなしに兵士たちがうめき声をあげて倒れていく」(211頁)ここで砲兵の描写が出てくることに疑問を持たれる読者もいるかもしれませんが、ナポレオン戦争の時代の砲兵は、歩兵の後方から射撃するのではなく、歩兵の前方に展開して敵を直接照準し、射撃していました。そのためフランス軍の急襲を受けて白兵戦に巻き込まれました。アンドレイ公爵は、そのとき赤毛の砲兵がフランス兵と激しく格闘していたのを目撃しましたが、その直後に激しい打撃を感じて地面に倒れこみました。

「『これは何だ? 俺は倒れるのか? 足がたたないぞ』そう思いながら彼はあおむけに倒れた。フランス軍と砲兵部隊の戦いはどうなったのか、あの赤毛の砲兵は死んだのかどうか、大砲は奪われたのか守られたのか――それを確かめようとして目を開けた。しかし彼にはそのどれも見えなかった。彼の上にはもはや何もなく、ただそれがあるだけだった――高い空、晴れてこそいないが計り知れぬほど高い空と、その空を静かに流れていく灰色の雲が」

(同上、212頁)

もはや地面に横たわり、身動きがとれなくなったアンドレイ公爵にとって、アウステルリッツの戦いは終わりました。彼は味方の窮地を救うことはできませんでしたが、むしろ動けない彼はすがすがしい気持ちを感じていました。「どうして俺はこれまでこの高い空を見たことがなかったんだろう?」と場違いな疑問を持ち、「何という幸せだろう、ようやくこの空を知ることができたのは」と思いを巡らせたりします(同上、213頁)。作品でアンドレイ公爵は優れた戦術能力を有する青年将校として描かれていますが、アウステルリッツの敗北は彼にとってどうすることもできない出来事でした。

アンドレイ公爵の物語はこの後も続きますが、ロシア軍はオーストリア軍と共に壊滅的な損害を被ることになりました。その詳細については立ち入りませんが、トルストイは戦場全体の状況に目配りしつつも、基本的に読者に最前線に立つ兵士に特有の視野の狭さを見せることに注意を払っており、彼らが戦争全体の中でいかに小さな存在であるかを表現することに力を入れています。

個人的にはアンドレイ公爵が「アプシェロン連隊を止めなくてはなりません」と叫んで戦局を一変させるような手を打ち出してくるかと読者に期待を持たせた直後に敵弾で大混乱に陥る場面は、実にトルストイらしい戦闘の描写ではないかと思います。

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