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僕が自然と五感を大切にする理由(後編)焚き火とサウナ

「今こそ、まきをくべる時だ。どんどんくべれば、“おき”がしっかりたまり、長時間いい火を保つことができるだろう」

吹く風のとらえ方、小枝の見つけ方、火の中心をしっかり作ること、あわてないこと、まきをくべるタイミング…。火を起こすプロセスの中には、「幸せを手に入れるための方法」が、何重にもちりばめられている。火を囲むということは、幸せを囲んでいるということ。インディアンに、こうして僕は教わってきた。
松木 正『自分を信じて生きる インディアンの法則』より

この本の中で、著者でインディアンの儀式を取り入れた環境教育プログラム「マザーアース・エデュケーション」を主宰している松木さんは、インディアンが「火」の話をしているときには「幸福や愛」についてを語っている、と書いている。

僕はまだ、この「火を通して人々の『幸福』を見る」ことはできていないが、それでも火を前にしている時に、心が安らぎ幸せを感じ、じっくりとその時間を味わい過ごすことはできる。それは決して”1/fゆらぎ”と言われる不規則なゆらぎによるリラックス効果だけの話ではない気がする。なんだか人間が火を焚くということの意味がそこにはありそうな、そんな感覚だ。

焚き火の達人と言われる寒川 一さんは、著書「焚き火の作法」の中で、僕ら人間が焚き火をする理由についてこう書いている。

僕ら人間が焚き火をする理由。随分と長い時間このことについて考えている。今のところの僕の見解はこうだ。地球が循環していくようにセットされた中で、火を焚くのは人の役割ではないだろうかということだ。
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火を焚くという行為は、燃料として木材を燃やす。植物である木は、主に炭素を蓄えた固形物であり、そのままでは大気中に排出できない。燃やすという行為を経てその炭素は外に解き放たれ、再び植物に取り込まれて酸素が作られる。地球上に絶対必要な酸素と炭素の製造システムに、木材の燃焼という行為が組み込まれて回り続けるものになる。補完の関係だ。この役割を人間に与えたのだ。
寒川 一『焚き火の作法』より

まさに、自然が持つ循環という神秘に、焚き火をするという自分もその一部として含まれている感覚。
焚き火をしながら、心が安らぎ幸せを感じたりどこか懐かしい感覚を覚えたりするのは、そんな自分や人間が真ん中ではない、大きなものの一部であるということを、感覚を通して思い出させてくれるからなのかもしれない。


そして、焚き火と同じくサウナもまた、全てとつながっていることを感じ思い出させてくれる、僕にとっての大切なものである。

サウナの温冷交代浴による心と身体への効能については様々なところで書かれているので割愛するが、僕自身も、日々サウナに行くたびに、心が落ち着き、五感が研ぎ澄まされ、思考が広がる。
そんなサウナ体験は、自然の中でこそさらに深い体験となる。

アウトドアでのサウナには特に、木・火・石・水・風といった自然の要素が詰まっている。
丸太の木で造られ仄暗く燻された香りのサウナ小屋などで、薪を焚べて火を熾し、石を熱して室温を上げる。熱した石にゆっくりと音を味わいながら水をかけ、蒸気を身体全体で浴び、湿度を保ち体感温度を上げる。
十分に身体を温めたのち、外に出て冷たい川の水や湖、海などの水に浸かり漂う。そして水からあがり身体全体がリラックスできる体制でゆっくりと休む。
五感が開いていき、木々が風で揺れる音や、普段だと感じないような繊細な風までを皮膚や産毛で優しくうけて感じる。
まさに、サウナを体験することで自然と触れ合い、自然と身体を交流させる。

ととのうという言葉が流行っていて、心や身体へのはたらきから「整う」と書かれることが多いが、僕の中ではどちらかというと、「調う」という感覚が近い。

水の中の氷が少しずつ溶けて水に戻っていくように、自然の中にいる自分の境界面が溶け出し混ざり合っていく、全てのものがひとつである感覚、自分は自然と地球と全てのものとひとつなんだ、ということを思い出していく、そんな「調い」に僕は感じている。



焚き火もサウナも、全てとつながっていてひとつであることを思い出させてくれる。心と身体が本来の場所へと戻り、自然体で自分自身や他者、全てのものや事象にひらいてゆく。

だから僕は、自然と五感を大切に、焚き火やサウナを使った体験プログラムを創り、届けている。

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