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ぼくらが「まちあるき」をする理由――「東北の春」に向けて(13)

山形市をフィールドに地方都市の消費社会を研究している社会学者・貞包英之さんとの遭遇と交流を通じて、筆者は2014年あたりより「地方都市(ヤマガタ)を考える」という問題系を少しずつおのれの内に宿すようになった。その延長線上で、昨年からは「まちあるき」を始めた。「不登校」や「ひきこもり」など、孤立する子ども・若者たちの〈居場所づくり〉にとりくんできた人が、なぜ「まちあるき」を始めたの? と訝しがる方もおられるだろう。今回はその理路を少しだけ言語化してみたい。

筆者の運営する若者支援NPO「ぷらっとほーむ」が拠点をおき、活動を行うフィールドとなっているのは、地方都市・山形市とその周辺市町村である。この地方都市という「地」を背景に、「図」としての「不登校」や「ひきこもり」というものを眺めてみると、そこには〈居場所づくり〉がもつある独自の意味合いが浮かびあがってくる。若い世代の「ひきこもり」が社会問題化した2000年代とは、貧困・格差が拡大した時代であり、それと連動した「ローカル志向」が各地に波及していった時代でもある。

「ローカル志向」とは、家計の経済力が落ちたために、高等教育に進学希望の人びとが「上京」を断念せざるをえなくなり、ローカル・トラックに参入するようになった事態をポジティヴに表現したもの。要は、貧しくなったために、これまで外部へのパスを購入できていた層の人びとがそうできなくなり、地元に居残るようになったわけだ。「地元には何もない、だから都会へ」というのがその根本動機である以上、ローカル・トラックは彼(女)らにとって大いなるストレスとなる。

ではなぜ、地元(地方・田舎)はストレスフルなのか。「ひきこもり」を研究する社会学者・石川良子さんの議論によれば、若者たちをひきこもらせるのは「あの人いま●●じゃないんだって」「あらやだ」的な世間の排除的なまなざしである。地方や田舎とは、そうした世間がいきいきと脈動する世界である。「ひきこもり」という形で、そうしたいやらしい視線を遮断してくれる私的領域に撤退するわけだ。ということは、かようなまなざしを中和してくれる社会空間さえあれば、人はひきこもらずにすむということになる。

この、排除・差別的なまなざしを遮断・中和してくれる社会空間の別名が〈居場所〉である。もともとそれは、ほぼすべての子どもたちが学校という共同性の空間に囲いこまれるようになった1980年代、世間のまなざしによってあぶり出され、排除・差別されるようになった「不登校」の子どもとその家族とがアジール(避難所)やつながりを手に入れようと使いはじめた概念である。その後、似たようなまなざしを向けられるようになった人びとによってさまざまな領域において転用され、拡大していったものだ。

そこは、「普通なら●●であるべき」「世間の常識は●●」「みんなと同じ●●が望ましい」といった共同体のコードを相対化し、それぞれのありようを個性として承認し、受け容れてくれるような包摂的なまなざしが贈られる場所である。ハンナ・アーレントが「公共空間」と呼んだ複数性の空間。もちろんそれは、故郷のムラを出た人びとがあちこちから集まってできた「都市」という場にこそ宿りやすい。言うなれば、「都市」とは〈居場所〉の象徴であり、それらが多様かつ潤沢に供給されている場所のことである。

しかし、いまや「都会へ」という方法は困難となってしまった。となれば、地方や田舎に居ながらにして「都市」のごとき複数性にアクセスできる機会や回路を創出していくしかない。「地方都市」=「地方×都市」とは、そうした可能性の呼び名でもある。遡ってみれば、筆者自身がかつてはそうした「ローカル・トラックに〈居場所〉がない若者」の一人であり、そうしたニーズにとりくむ当事者運動が「ぷらっとほーむ」だった。これが、地方都市における〈居場所づくり〉の意味である。

冒頭の問いに戻ろう。若者の〈居場所づくり〉がなぜ「まちあるき」とつながるのか。「まちあるき」とは、普段は単なる移動手段として通過・看過してしまっている場所を、徒歩でゆっくり歩きながら観ていくことで、そこに(実は)存在していた意味や価値、文脈などを発見・構築していく営みである。それは、かつて排除・差別的なまなざしのもとで構成されてきた空間が抑圧してきたもの、とりこぼしてきた価値などにあらためて光をあてていく作業であり、「まち」の各所に〈居場所〉を見出していくことである。かくして私たちは、ゆっくりと「まち」を奪い返していくのだ。

(『みちのく春秋』2017年夏号 所収)

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