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もう一つの民俗学論考、一冊に――赤坂憲雄『民俗知は可能か』(春秋社、2020年)評

かつて山形という場から「東北学」を宣言し、東日本大震災後は東京を拠点に、東北/東京の構造そのものを撃つ言説実践にとりくむ思想家・赤坂憲雄(学習院大学教授)。本書は、そんな彼がこれまでさまざまな媒体で綴ってきた民俗学――人びとの生活のなかの知恵や思想を明らかにしていく営み――をめぐる論考を一冊にまとめた論集である。

この本で主に論じられているのは、「日本民俗学」の創始者たる柳田國男(1875‐1962年)やその弟子の世代にあたる「歩く民俗学者」宮本常一(1907‐1981年)など、「民俗学」の偉大な先人たちとその歩みについてである。だが、同じ観点からとりあげられている対象は、そうした「民俗学者」の範疇に留まらない。

そこでは、水俣の人びとを描いた『苦界浄土』の作家・石牟礼道子(1927-2018年)や日本列島の古層をモチーフに数々のユニークな作品をうみだした前衛芸術家・岡本太郎(1911-1996年)、列島の山野河海を舞台に生きてきた人びとの歴史=社会史を構想した中世史家・網野善彦(1928-2004年)などがとりあげられ、その軌跡が「もうひとつの民俗学」=「民俗知」として論じられていく。

それぞれ活躍した分野や領域は異なれど、彼(女)らが見つめ、明らかにしようとしていた対象は同じものと言える。ならば、それらを同じ俎上にのせ、共通の方法やまなざしでとらえていくことはできないか。これが本書を貫く問題意識であり、そうやって構築していこうとする文脈に、著者は「民俗知」という名づけを行う。いわば本書は、そうした新たな言上げのマニフェストである。

そしてそのことは、本書の表紙挿画にも明らかである。手がけたのは、東北芸術工科大学(山形市)で学んだ作家・久松知子(1991年生まれ)。「日本の美術を埋葬する」(2014年)で「日本美術史」の対象化=脱構築を試みた彼女が、同じ手法で「日本民俗学」脱構築の風景を可視化する。ここにも分野を超えた共鳴がある。「ひとつの芸術作品」として、本書を堪能してほしい。(了)

※『山形新聞』2021年05月26日 掲載

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