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今泉力哉『窓辺にて』

 初めて持ったiPhoneはiPhone4Sだった。中学三年生の冬のことだ。その次に買ったのが6Sで、その次が8。そして2年前から使用している12へと至るわけだが、その間わたしは一度も旧Phoneを下取りに出していない。きょーび、TwitterやInstagramのアカウントどころかLINEのトーク履歴さえ引き継げるし、写真だってGoogleフォト上に保存されるのだから、手放してその分のリターンをもらうのが賢いのだろうが、どこか口惜しい。そのくせ、4Sや6Sが今もなおわたしの手元にあるわけではない。手元に残っているのはせいぜいひとつまえのiPhone8までで、それ以前のものは、おそらく実家の棚の奥底に眠っている。いちど、口惜しさを感じたはずのものの在処が確かでないというのはなんとも矛盾した話である。

 人とのかかわりについても同様だ。元交際相手はもちろん、在学中明確に自分をいじめてきた先輩に対してでさえ、わたしはどこか執着に似た行動を取ってしまっていた。前者とはできる限りその後も友達でいられるようなそんな道を模索して、挙句「無理だと思う…」と言われ当時は理解に苦しんだ。後者は先輩たちの卒業式の寄せ書きを渡すときに「たくさんいじめられましたがそれもまあいい思い出でした」と言って同級生に「オイ…」と言わせその場の空気を凍りつかせた。これらはわたしなりにその関係に執着した結果、現れたものだと思う。前者はそれが明らかだが、後者についてもまた同じくである。「いじめも何もかも全部チャラにしてさわやかに見送る」のではなく「あんたらにされたことを抱えたまま生きていくよ」と宣言するということは明確に過去に縛られている。何も許していないのだ。それなのに今となっては、当時それなりに辛かったはずのことをこうして思い出しては笑って、エッセイにして書いている。それらの記憶がわたしの中から、手放された記憶になっている。つまり過去になっていて、だからようやく書ける、ということだろうか。

 『窓辺にて』は全編通して、執着することと手放すことについてのメタファーのような映画だった。いうなれば作中作品『ラ・フランス』の実写化ともいえよう。サッカー選手(であるとみられる)若葉竜也演じるマサが現役引退するかどうかの迷いを打ち明ける場面から始まる物語の軸は、稲垣吾郎演じる茂己が「妻の不倫に気づいていながらそのことに怒りが沸かない」ことに向き合い続けるというものだった。その考えの移ろいに大きな影響を与えるのが玉城ティナ演じる作中における芥川賞作家に相当する高校生作家の留亜なのであるが、彼女もまた父親の失踪を経験しており、執着からその思いを解放するまでの過程を強制的に体験させられた人間である。

「やめるもやめないも、結局は自分で決めるしかない」

『窓辺にて』

 今作に通底するトピックである。怒りが沸かないというのは冷静に見えるが、実は執着心が見え隠れしている。怒ればその関係は破綻するし、逆に穏やかにそのさまを眺めていれば彼女との関係を継続することができる。自分の思いに蓋をするという自制的な行為の裏に激情が存在しているという、人間のわからなさ。マサと藤沢なつは「焼肉まで」と言いながら結局交わりを続け、マサの妻はその不貞に気付きながらも自分の思いを優先する。その方法は表立ってその話をせず、「最終的には自分たちの元に帰ってくる」と信じて待ち続けることだった。彼女は「やめない」ことを選んだのであり、人それぞれ一様ではない、取捨選択のさまを劇中で眺めることになる。

 印象的な場面の一つに、茂己がビギナーズラックによりパチンコでバカ勝ちするカットがある。留亜に急遽呼び出された茂己は、積みあがったパチンコ玉を全て、隣に座っていた若い女性へ譲ろうとするのだが(やはり無償で)、その女性はそれを許さず、たとえありったけの20000円であろうが、茂己に対価を支払うのである。「ダメです」と。なにが「ダメ」だったのか。お金に無頓着な茂己の姿以上に思わされるのは「なかったことにしてはいけない」ということだ。ほんとうの気持ちに向き合えない茂己は、「怒りが沸かない」という思いのことさえ「許せないから別れよう」という嘘を並べて有耶無耶にしようとしてしまうほど、とにかく自分の中から湧いてくる意志を融解させようとしてしまう。そんな彼が握らされた2万円、そのあとラブホテルで、失恋してわんわん泣く留亜の姿をみたこと。そして翌朝、「書いたら過去になってしまった」と言う荒川円に、茂己は留亜の叔父からもらった石を譲るわけである。茂己はようやく「手放す」わけであるが、これで茂己もまた妻との日々をようやく過去のものとして、もう一度筆をとったのだろうか。物語はそんな明確な答えを示すわけでもなく、散々悩んだことを「エッチで…」と断じられ、彼は二つ頼んだパフェをやっぱり一つにして、それで終わる。窓辺から差し込む光の当たり方ひとつで、その見え方は変わるのである。


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