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2022年9月~10月10日 譲与と幸福

パパ活カップルに席を譲った夜 

 確か神保町駅のホームで、パパ活カップルに椅子を譲った夜があった。それは優先座席で席を譲る時のように「どうぞ」というたぐいのものではなく、彼らの接近を察知した私が咄嗟に席を立ち、何事もなかったかのように地下鉄を待つふりをしていた。なぜなら私が彼らを追い越しその場へ到達していたからなのだ。目に見える善意は時に照れくさく、最近はそれを隠してばかりなような気がする。もう遅い時間で、一人遊びをしきった帰り道だったから疲労もあったし座れるものなら座りたかった、なんならその席は4人は座れる座席でそのまま座っていてもいいのだ。しかしやはり、固く結ばれた関係と同席するというのはなんだか自分の孤独を浮き彫りにするような気がして悲しい。女性の方は私と同じくらいの年代で、スーツというよりはリクルートスーツに身を包んでいた。社会規範の中で生きようとするその身なりと裏腹に、左手にはブランドものの紙袋を持たされていた。男の髪の毛は禿げ上がっていた。救われているのはどうやら男の方らしかった。どちらなのだろう、本当に就活帰りなのか、それとも男のえらい性癖でリクルートスーツを着せられているのか。まあいい、どうであれ今の自分より満たされた気持ちではあるのだろう。幸せには幸せを重ねるべきで幸せは多くの場合他者によって与えられるものだ。見ず知らずのパパ活カップルに席を譲ることで満たされる心がひょっとするとあったかもしれなかった。先週また、今度は上野でパパ活カップルを見た。出張へ向かう上越新幹線へ乗る直前のことだった。まだ17時台で活発さを感じた。パパ活があるからと定時帰宅したり時差出勤したり外出を付ける姿を想像した。そこにある結果は「パパ活待ち合わせ」だが結果には必ず過程が存在する。その過程をあまりに考慮しすぎると、人間が抱えきれる思考の限界を突破してしまうのでこの辺でやめておきたいと思っている。

友人の舞台~作品語る語らない問題

 大学のゼミの友人が女優をしている。東京に来てくれるたびに飲んでいたけれど芝居を観たことがなく、今回東京では新宿、後述の京都音楽博覧会とタイミングが被ったので大阪の芝居も観ることができ一気に2回鑑賞した。新宿の方は吸血鬼にまつわるミステリな話。こういう、小劇場でありながら商業的にも成り立っている舞台というのは見たことがなかったがなるほどレベルが高い、脚本にも何一つ違和感を感じないし演者もオーディションで選ばれた人々。定期的にこういうのに足を運ぶべきだな。

 大阪でも舞台を見た。もともとゼミの同期と行く約束をしていたけれど別の同期も別口で来ていて、一本目の舞台のあとマクドナルドで少し話す。こういう時。私はできるだけ内容について語りたい。本当にこういうジレンマはよくあることだけれども、作品を鑑賞したあといったん「おもしろかったね」だけでいい人たちというのは一定数いる。彼らはさらに分岐する。①本当にそれだけ言って、別に帰ってから反芻することもない場合②その場はそれで収めつつ、帰ってからしっかり反芻する場合である。その双方が存在することを知って、私は「せっかく一緒に観たのに」と言えない体になった。前者ならいくらでも言ったけれども、後者はそれ相応に誠実な向き合い方だと思う。なんなら前者ですら、その場で反芻することはなくとも数年数十年先にその鑑賞行動が彼の人生に多大な影響を与えることもあるわけで、もう人の行動・反応にボケ・カスと突っ込むことはするべきではないな、と思う。一方で「語りたい」自分の気持ちを大事にしたいとも思う。もう一本、友人が出ていない舞台を見る。ヒロイン役の人の声が良かった。本は「銀河旋律」。劇団キャラメルボックスの有名な戯曲らしい。好きなシナリオだった。過去を改変されるカップルの話。ある世界線では別の人と婚約している――ビスケットブラザーズのキングオブコント決勝2本目や「初恋の悪魔」もそうだったが、平野啓一郎さんの分人主義的な表現というのはそこら中に転がっている。「君じゃなきゃダメみたい」という言説もまた、等しくそこら中に転がっているが、それは「君の分人じゃなきゃダメみたい」なのだろうか。まだまだ分かっていない。ということは「ドーン」を読了してから語るべきなのだろうか。そう私は語りたいのだ。2本目が終わった後に一緒に来ていた同期とたくさん作品について語った。たぶん、だから一緒に来ていたのだと思った。

3年ぶりの京都音楽博覧会

 オフライン開催は3年ぶりとなる京都音楽博覧会である。京都市北区出身、結成も立命館大の音楽サークル、正真正銘京都のバンド、くるり主催の音楽イベントである。くるりのアクセントは「る」に置かれる(少なくとも岸田繫さんはそこに置いている)。それになんだか京都っぽい。みなさんもそうしましょう。くる↑り。

 通称「音博」。このイベントの特徴は大きく二つ。「地域とのシナジー」と「わけわからんビッグアーティストのブッキング」である。前者に関してはリユース食器の徹底であったり、小川珈琲や壱銭洋食など、毎年京都の名だたる名店が出店に参加しており驚異的なフェス飯が出たりと他と一線を画す。梅小路公園というド街中でやる都市型野外フェスということ、岸田さんがそもそも京都の人ということもあって、とにかく京都市へのリターンを最優先に作りこまれたイベントなのだ。

 後者についても音博に足を運ぶ理由になり得る。最初のころは小田和正さんが出ていたしMr. Childrenが出た年もあった。布施明さんを呼んだこともある。そして今年は槇原敬之さん——さすがに1曲目「遠く遠く」はブチ上がる。2曲目は「どんなときも。」。ヤバい。しかしだんだん乗り切れなくなったのはなぜか。まるで彼自身が、ラブソングは人を救わないのだと決定づけるような経歴を経てきてしまっているからなのか。悲しい。楽曲の色褪せ方は様々なのか。舐達磨にあって槇原敬之にない説得力というのを感じてしまったが極上の歌声はけた違いであった。

 とか思っていたらくるりの前に又吉直樹さんが出てきて、書下ろしのくるりにまつわるエッセイを朗読された。又吉さんは今や私にとって、清水依与吏・星野源両氏に並ぶロールモデルでありその私的レジェンドが眼前で朗読、そして大好きなくるりが演奏を始めるのだ。それだけですでに満たされきっていた。

 ところで京都音楽博覧会は2017年から毎年参加していたイベントだ。母親と参加するのが恒例であり、くるりはもともと母親が好きだったバンドだ。「限界」だった2009年ごろに「ジュビリー」で知り、がん治療直後の2016年の「アンテナ」リバイバルツアー(かの「琥珀色の街、上海蟹の朝」が初解禁されたライブだ)で初めてライブに行った。まだ治療直後でなかなか立てなかった姿をまだ覚えている。その翌年の音博ではもう立ち見ができるようになっていて確か布施明さんの「君は薔薇より美しい」でやっば、となっていたのだ。それから3年間、秋といえば「宿はなし」で締める定番、がやはりコロナ禍で奪われた習慣の一つで。

 「ブレーメン」は母が大好きな曲で、音博でしょっちゅう披露される。そして今回も披露されてイントロで思わず母を見やった、涙がこみ上げてくる。不意に、である。最近自分はめっきり涙を流せなくなった。映画は批評的に見てしまうし感情移入なんてもってのほか。自分に多少辛いことがあっても見過ごしてしまう。けれども、人の最良の瞬間に立ち会ったときというのはいつも涙が出てしまうのだ。「四月の永い夢」が好きな最大の理由も初海の笑顔なのだろう。私は人の笑顔で涙を流す生き物らしい。人の幸せに立ち会ったときもっとも感動するようなのだ。ならばそこに最も近づくことができれば、人生もっと、いい方向に進むのではなかろうか。その涙の理由が自分の創作にあったならなお良い。最良の人生とは?「宿はなし」がなお続く雨とともに私たちに降り注いだ。

20時まで鴨川、23時には東京

 新幹線、すごすぎる。20時まで鴨川にいたら京都の実家に帰っても21時になるというのに。無限に金があったら週1で京都に帰っている。8年目の友人、会いたいタイミングにちゃんと会えて相変わらずおじさんが好きだった。はじめて彼女と話したビルがあった、多分もうその店はもう無くなっている。街もすごいじゃないですか。「街の上で」で青くんが言うてたな。いつだって思い出す気配がたくさんある。京都は気配の街だ。その思い出はいつも誰かと一緒である。人は誰しも最後は一人。そう思うのはさんざん、他者と過ごした時間が降り積もっているからなのだ。とか打っていたら品川に到着した。


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