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麗しの4姉妹「細雪」

ここ数日ずっとこの小説に付きっ切りでした。
今をときめく漫画原作とかに比べればなんてことない話であるはずなのに、そこに根付く文化や人の息を汲み取ってからはもうこの小説のことを考えずにはいられませんでした。
この人は本当に人間を生かすのが上手ですね。

概要

第二次世界大戦が直前に迫る緊張下において、芦屋を舞台にしたお嬢様4姉妹の浮世離れした生活を綴った作品

長女:鶴子 既婚
次女:幸子 既婚
三女:雪子 未婚
四女:妙子 未婚

作品性

この作品は名家に生まれた4姉妹の日常を綴ったものですが、その主題は間違いなく雪子の見合いの是非にあります。
第二次世界大戦が始まる直前のきな臭い時代にありながら、よくもまあここまで浮世離れした婚活物語を書けるものだと感心してしまいます。

これに関してはおそらく作者の谷崎潤一郎という人と、芦屋のお嬢様というこれまた浮世離れした存在とが好相性だったのでしょう。
戦時中でありしかも軍報道部から連載の中止を命じられたにもかかわらず疎開先で細雪を執筆してしまう谷崎と、不況の時勢にも変わらぬ姉妹生活を送ることができるお嬢様姉妹とが劇的な化学反応を起こすことによってこの小説は成り立っています。

この作品に関しては時代時節柄も相まって谷崎本来のどエロ文章は陰を潜めているのですが、それでも戦時中の殺伐とした空気に抗うようにしてこんな優しい小説を生み出したということには価値があると思います。

それで言うと今もだいぶきな臭いので、自分が寝食も忘れるほど没頭して読みきったのにはそういう作用があったかもしれないです。

妙子の立ち位置

主人公を誰か1人挙げるとするなら、この人視点で話が進むことからということで次女の幸子、もしくはこの話の主題を担う三女の雪子、このどちらかになりますが、鍵を握る人物は誰かと言われれば間違いなく四女の妙子になります。

4姉妹の末っ子であり、なおかつ愛情を注がれる間もないまま父親と死別したことから、人一倍愛情に飢えていると言ってもよいこの女性は、言うならば浮世離れした姉妹と世間とを繋ぐ間口の役割を担っています。
他の姉妹に比べ近代的である彼女は、その時代の流行を吹き込む良い側面がありながら、気ままに生きることによって生じる汚名も同時に引き込んでしまいます。

そしてそれを比喩していたのが洪水に関する描写だったのではないかと個人的には思います。

そもそもこの小説は4姉妹のすったもんだを描くことが目的であるはずなのに、洪水に関する描写だけが他の外的要因を描いたものに比べてだいぶ肉厚に書かれています。
であればそれに何かしらの意図があると取って然るべきで、それを比喩表現として考えるのなら「これから妙子さんを間口にして4姉妹に世間的という濁流を流しますよ」という作者の意図があったと捉えてもいいのではないでしょうか。
現にそこから起こる事件の大半は妙子によるもので、幸子夫婦はその後の対応に躍起になる描写が多くありました。

他人事としてなら面白くて仕方ないですが、ここまで問題を起こす人間が名家の名を冠していると思えば気が気ではないでしょう。
もっともそれは妙子の望んだことではないですし、逆に言えばお利口過ぎる雪子のせいで悪目立ちしているとも取れますが、少なくともこの小説を面白くしてくれているのは妙子で間違いないです。ありがとうございます。

谷崎文章

話は変わって文章表現について。

谷崎潤一郎はノーベル文学賞の最終候補に選ばれていることから世界的に評価を得ている作家でもあります。
もちろんそれは詩的であり簡潔的でもある文章に要因があるのでしょうが、今回この本を読んでいて別の魅力に思い当たったのでそれを言語化してみます。

谷崎の文章はとにかく終わらないです。
一文の中で区切る場所をあえて区切らず、通常であればニ、三文くらい要するところを一つにまとめてしまっているので、その一文の長さだけでページのほとんどを埋めてしまうほどの分量もあったりしました。
おそらくこの分量が絶妙な長さに調整されていることから、我々読者は無理矢理にでも谷崎の呼吸に合わさざるをえなくなっているのだと思います。

もう少し具体的に言うと、人は短文であればあるほど頭に残りやすく、逆に長文になれば集中力を欠いてしまうものです。
しかし谷崎の文章はその集中力を欠く長さからもう一回り長い文章で状況説明をするので、否応なくその呼吸に乗せられて、それに慣れてからはかえって普通の文章が読みにくくなってしまうほどです。
かと思えば作中に美しい短歌をしたためたりするので、その呼吸の揺さぶられ方で無理矢理に引き込まれることになるのだと思います。

このバランスがまた絶妙な感覚を保っているので、まあそれが天才たる所以なのでしょう。

小説の締め方について

終わり方は最低です。

下手なネタバレにもならないのではっきりと言いますが、最後は雪子の下痢が治らないという締め方で終わります。
正直意味が分からなかったです。

そもそも下痢というと、作中で妙子が同じような症状に苦しんだことがあるので、それを暗に意味しているのかと深読みしてみました。
その線もあながち間違いではなさそうで、雪子自身のストレスによるものかもしれないと深読みは出来るのですが、それにしてもこの美しい小説の最後を下痢で締める作者の変態性にはついていけません。

ただこの描写は案外深く取ることができて、この小説では最後の最後で4姉妹の世間体を守ることが出来たね、という終わり方になるのですが、4姉妹それぞれの感情を優先させてみるとどう考えてもハッピーエンドではありません。

名家の娘としては世間体を守れてハッピーエンド、しかしその先に待ち受ける生活がそれぞれにとって良いものであるかはまた別問題です。

これは個人的な推量でしかないですが、雪子自身にとって一番の望みは姉妹が離れ離れにならないことだったのではないでしょうか。
要するに、雪子は始めから結婚する気なんてさらさらなかったということです。
しかし名家の娘として縁を作らないのはあり得ないということで渋々結婚に応じたが、それがストレスとなって下痢が止まらない、と考えれば割に深く受け止めることが出来ます。

まあだとしてもそれを最後に持ってくる必要はないですけどね。谷崎変態すぎ。

感想

最後の最後で作者の性癖に度肝を抜かされましたが、だとしてもこの作品の素晴らしさに疑いはないです。
美しい作品というのはそれだけで優に言葉を超えますから、変態の作者にも美しさを憂う一面があると思うことが出来ますし、その二面性がより登場人物を引き立てる要因になるのでしょう。
二面性を持つことでこんな小説を書けるようにるなら、自分ももっと変態に寄っても良いのではないかと考えてしまいます。もちろんそれだけではないのでしょうが。
あとこの小説は長編ながらに見逃せない点がいくつもあります。
4姉妹の日常を綴る小説なので当然なのですが、姉妹が関わり合うたびにその姉妹ごとの関係性があるので楽しみ方も一興です。
また京都へ花見に行く際の描写は圧巻で、僕自身も問答無用で今度京都へ行くことにしました。
美しい描写はその美しさを確かめてみたいとも思えるので、小説と観光という組み合わせは案外ベストマッチなのかもしれません。
ひとことでまとめてしまえば朝ドラ的な小説なので、こういうものはまた年を取ってから一層面白く思えるのだと思います。
あとはまあ、みんないい人ですね。
それぞれに欠点があって、そのせいで誰かが損害を被ることもあるにはあるが、姉妹を思う気持ちに嘘がないのは文章から滲み出ています。
4姉妹の立ち振る舞いにむっと来ることもありますが、結局は姉妹思いな4人を憂いながら読むのがこの本の一番の楽しみ方ではないでしょうか。

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