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大学時代に教わったアイディア考

アイディアはじーっと考えても降りてこない、と思っている。コーヒー飲んだりして、適当にのんびりするくらいがちょうどよい。

とはいえ、インプットもそれなりにしている。基本的には、普段作業している場所から離れる。あと、参考になりそうな事柄(イベント、場所etc.)を見に行く。でも最近は、適当にネットサーフィンする比重が増えている気がしている。あまりよくない傾向かもしれない。

そんな習慣に及ぶ原体験は、当時お世話になっていた大学の先生から、ある話を聞いたことによる。当時、ロクなアイディアを持ってこない学生に対して、その先生は以下のような趣旨のことを話した。

アイディアは「働きかけ」によって生まれる。常にまわりの人や物を観察して問題意識を持ち、それを友達に話したり、いつもと少し違う行動をする、そうすることでたまに出てくるアイディアを盗むことが大事。自分の頭の中から生まれるというのが間違い。

https://takobaaa.tumblr.com/post/168428569161/ 

「なるほどな」と思い、徐々にいろいろ活動してみることにした。

その当時はまだまだ利用者もそんなに多くなかったTwitterを通して、地元のコミュニティに出向くようになった。講演会とかに出向いてみたりするようにもなった。...まあ、結局スマートなアイディアが出せたか、と言われると、そう簡単にうまくはいかないのだが。

その後、これも大学時代だったはずだが、以下の書籍を読んでいた時に先程の言葉がリフレインするような気持ちになった。

 どうも「考え」というのは、まず最初は「内側」で生まれて、次にそれをことばにのせて「外に」伝えるものだと思われがちのようだ。そして、ことばにのせないでとどめておかれると「内に秘めた考え」とか言われる。
 でも、ぜんぜんそういうものじゃないとぼくは思う。

(中略)

 問題を抱えて頭の中にひきこもるんじゃなくて、問題のまなざしで自分を外に開いていくこと、そして観察や手作業や、あれこれ試してみること。あれこれあるのは、頭の中じゃない。頭の外に、「ヘウレーカ」の呼び声を待つあれやこれやがある。そうしてぼくらは、頭の外で、考える。

野矢茂樹著「はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内」

結局は「"対話経験"を増やすことが大事だ」と解釈している。観察も、人との対話も、すべては"情報との対話経験"だ。一般的な言い方をすると、"引き出し"と言ったりする。

なので、ぼくは今日もいろんな観察をする。いろんな観察をして、いろいろ思い浮かべる。いろいろ思い浮かべた結果をいろんな人と話す。

...とは思っているけど、たまにできてないことがあるので、気をつけます。

このエントリは Schoo Advent Calendar 2017 の11日目です。

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ご覧いただきありがとうございます。サポートの使い道は特に決まっていませんが、筆者の食事代になり、新たな「おいしいやつ」が紹介されるやもしれません。