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序 教養科目の思い出とその過去の変遷を書いている理由(自己紹介?)

私の自己紹介?です。

高等教育の歴史の世界

 高等教育がある意味で大変な変容を起こしてしまった令和に、昭和の話をするのも何だかなと思いながら、過去に目を向ける必要もあるのではないかとも考えています。これは私の研究歴とも関係しています。今回は私の研究歴を少し?述べさせてください。

高等教育研究の歴史的分析へ

 学部では東京学芸大学の中等教育教員養成課程にいましたが、専門は社会学、それも教育社会学寄りの研究をしていたので、教科としては政治経済・倫理社会がギリギリ教えられるかなといった、教員の卵としては劣等生でした。おまけに自分も含めて語学が苦手な学生が多い大学だったので、欧米の先進的な研究をトレースする事もできず、結局なにができるかを考えた時に、思い付いたのが歴史的分析です。

 卒論では国立大学の学部構成の歴史的変遷をまとめました。この作業のために、ほぼすべての国立大学の歴史的資料を読みあさりました。幸い東京学芸大学の図書館の教育に関する蔵書量はすばらしく充実していて、すべての国立大学の歴史に関する資料が公的なものから私的なものまで無尽蔵にありました。専門に進んだ3年の後期から1年以上、図書館の主のように籠もった生活が続きました。筑波大学の問題などは特に興味深く、いろいろな立場から書かれた書籍を読み、その複雑さに不気味さを感じたものです。案の定、その後の他の国立大学の現在の惨状は高等教育関係者の皆さまのご存じの通りです。

 卒論では、歴史から見た国立大学の政策的にしか変化しない硬直性や、自発的な変化を好まない保守性になどの問題について指摘しました。この論文を書いたのは、その後の激動の30年を目前とした1990年でした。

高等教育研究とそこからの離脱

 卒業後は研究者を目指して、当時日本で唯一高等教育の研究を専門とした専攻のあった、広島大学の大学院を受験しましたが、語学が出来ずにあえなく撃沈。東京学芸大学の任期職員を経験して、将来の高校教員への転換も考え、翌年早稲田大学の大学院に進みます。しかし、ここでも語学の壁は厚く、高度な語学が必須だったドクターへの進学は早くに諦めました。修士論文では教員養成教育の歴史的変動に特化した論文を纏め、将来の夢だけは繋ぎ、就職する事にしました。

高等教育の現場へ

 当時も高校教員は非常勤講師の仕事が多く不安定だったので、安定を求めて色々な公務員試験を受け、地方公務員などのいくつかの選択肢の中で、結果的に研究の経験が将来繋がりそうな某国立大学の職員に落ち着きました。元研究者として、大学の底辺?である職員の立場から見た高等教育の30年の変化は、教員の立場とは違った視点から観る事ができて、興味深いものはありました。その辺の話も今後できればと思います。

 まだ学会には所属していますがほとんど幽霊学会員で研究者としては三流以下ですが、高等教育の歴史の個人的な蓄積や経験が、現在の問題に関係して役に立つのならばと思いnoteを始めた次第です。

 結構長々となりましたが、自己の研究歴?を述べさせていただきました。

 東日本大震災や現在のパンデミックにおいても歴史的視点からのアプローチがなされ、一部で成果が出ている事から、高等教育も歴史的視点からもう一度現状を見直しても良いのではないでしょうか?


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