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「教員」と「教師」

前回は

 前回の記事で自分の記述には「教員」と、文科省の記事には「教師」と使い分けました。私は意識して教育職員の事を「教員」という言葉を使っていますが、多くの人は両者を一体のものとして、自然に「教師」と使っていると思います。

 私は、教員養成の問題をテーマに研究していた事もあって、「教師」という言葉には戦前の師範教育のイメージが付き纏ってしまい、どうしても「教員」という言葉を選びがちです。

 一般的に、「教師」が抵抗なく受け入れられている原因の一つに、「日教組」などの教職員組合が、過去に「教員」という教育職員としての面をを強調しすぎ、教育現場を混乱させた負の影響もあるのだと思います。

 私にとって「教師」に抵抗があるのは、戦前の師範教育での「教師」が求めていた、他の「師」業である医師などの医療職や伝道師などの宗教職と同様に、高度な技術や高潔さ、自己犠牲などを求められる可能性が高いからです。

 教員の休職・退職者が過去最多となり、心身を病む教員が増加している報道が近年なされています。(参照:産経新聞 2020.12.22 17:32 ライフ 教育  公立校教員の精神疾患休職が過去最多 業務の増加、複雑化が一因か) これも、「教師」に過度な努力を求める意味合いを込めるが故に、頑張りすぎる「教師」を生み出しているからではないでしょうか?

 同じ「師」業の医師も、現代では看護師や医療技師などの他の医療職との分業で成り立っています。同じ教育の現場でも、高等教育の現場では大学を中心に分業化が進んでいます。小学校・中学校・高校の現場でも以前よりは分業化が進んでいるのではないかと思いますが、まだ「教師」の「師」の部分が色濃く、個々の教員の抱える部分に頼っている事が多い事もあるのでしょう。

 noteの記事でも休職・退職した教員の記事が多く見られ、心を痛めています。教員に求める事を分業化して、個々の教員が多くを抱え込むのではなく、グループとしての教員集団が教育に携わる体制を、早く整備する必要があるのではないでしょうか?

 教員以外の教育職(スクールカウンセラー、特別支援に特化した職員、教育業務に特化した事務職等)の整備、連携が今後必要になってくる課題であると思います。

 分業が進むことによって、個々の教員が多くの事を抱える事が少なくなり、教員が人として生きやすい世の中になる事を祈りつつ、私自身が「教員」に拘ることなく、気軽に「教師」という言葉を使える様な教育現場になる日が来る事を望んでいます。



 


 



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