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「しあわせ」はどこへ行ってしまったのか?

幸せとはなんだろうか? 幸福とはなんだろうか? 誰もが人生で一度ならず考えたことがあるのではないだろうか。たしかに幸せは感じられる。幸せはある。でも、それをとらえるのは難しい。それはなぜだろうか。

それは気持ちだから。感情だからだと人は言うかもしれない。それであれば、悲しみなんかも気持ちであり、感情である。幸せに比べると、悲しみはとてもとらえやすいのではないだろうか。怒りとかもきっとそうだし、そういう意味では喜びなんかもとらえやすい気がする。とらえやすいというのをどう定義していいか微妙なところであるが、それがそれであることを認識しやすい、それとわかりやすい、というのはどうだろうか。

「しあわせ」の語源についてネットで調べてみると、いろいろな説が出てくる。これがなかなか興味深い。

例えば、中島みゆきの『糸』を例にとって、「しあわせ」=「仕合わせ」=「めぐり合わせ」と表現している人もいる。そして、それもまた「し合わす」という「何か2つの動作が合うことが『仕合せ』だ」だから、それはめぐり合わせのような意味合いがあるので、「しあわせ」は「めぐり合わせ」なのだと。

大辞林で「しあわせ」と調べると
しあわせ【仕合わせ・幸せ・仕合せ・倖せ】
①めぐりあわせがよい・こと(さま)。幸運。幸福。
②めぐりあわせ。運命

とあるとのことで、この考え方はわりと一般に浸透していると考えてもよいだろう。大辞林ではすでに、「めぐりあわせがよい」とまで書かれているので、ポジティブな意味合いがすでに含まれていることにも注目したい。

しかし、どうしてそれが「幸」という字を使うようになったのだろうか。
「幸」という字の語源は、もともと手枷の形、「両手にはめる刑罰の道具である手枷の形である」とも言われている。一体なぜそんなネガティブな字をあてたのだろうか?

調べてみると、白川静という人が下記のようなことを言っているらしい。

「象形。手枷の形。古い字形からいえば、両手にはめる刑罰の道具である手枷の形である。・・・幸はおそらく倖(さいわい)の意味であろう。手枷だけの刑罰ですむのは、僥倖(思いがけない幸せ)であり、重い刑罰を免れるというので幸というのであろう。」(白川静「常用字解」)

明治時代に「happiness」の訳語に「幸福」をあてたあたりから「幸せ」と書くようになったようだ、ということで、僥倖、つまりは「思いがけない幸せ」。「幸福」つまりは、「Lucky」かつ「Happy」であることと考えると、なぜ「幸」という字をあてたのか、その考え方も面白なと思うのである。

あとは、「仕合せ」とは、さらに語源を辿れば「為し合わす」だったという説もあるらしい。
「為す」とは動詞「する」で、何か2つの動作などを「合わせる」こと、それが「しあわせ」だという意味だそうで、つまりは、「複数人で何か行動を一緒にする」こと自体が「しあわせ」ということであり、元々は動詞であったことから、「しあわせ」とは状態ではなく「しあわせる」という行動そのものだったのではないかと。

この考え方もなるほどな、という感じはする。というのも、感情というものは動くものなので、それは行動という動きとも関連している。幸せは状態だとも言えるが、そこには、行動そのものと考えることもできるのではないかと。また、人は一人では生きられない、みたいなことを考えるとまた、この説も面白い。

それから、玄侑宗久の『しあわせる力』という本には下記のことが書かれていると。

為合わせ(奈良時代)
私がすることと、誰かのすることが合わさる。
当初の誰か(相手)とは、天。

仕合わせ(室町時代)
相手が天ではなく、人間に変わった。
人と人との関係がうまくいこくことを「しあわせ」と呼んだ。
※「試合」もかつては「仕合」と書いていた。

さいわい
語源は「さきわい」。にぎやかにいろいろな花が咲いている状態。

「幸」を「幸い(さいわい)」と使ったりすることも考えると、この辺の意味の混ざり合いの考え方もとても面白いなと思いました。

で、ここまでいろいろとざっと「しあわせ」について、ネットで語源を調べましたが、結果、わかるようでよくわからない! 曖昧! ということがわかりました。

でも、だからこそ、「しあわせ」というのはとらえにくいものではないかと思うのです。語源もはっきりしておらず、解釈もいろいろある。でも、昔から人はたしかに「しあわせ」というものを感じていたことはたしかだった。きっと「しあわせ」の秘儀(本質)は実はそんなところにあるのではないかと思うのです。

人によって解釈や感じ方が微妙に異なるものをひとつの形にしようとすることに無理がある。結局、「しあわせ」は人それぞれという当たり前のところにかえってくるのですが、でも、多くの人たちはこれが「しあわせ」というもの、形があるような気がしてしまう。そんなところに「不幸」がある。それはうまくめぐりあっていないことなのか、手枷から逃れらないことなのか、誰かと何かをしあわせられないことなのか、それはわからないですが、何かそういうものがある。不幸もまたその原因はわかるようでよくわからない。そうなるとこれもまた回避するのが難しい。

ああ、僕たちはいつになったら「しあわせ」をとらえることができるのでしょうか?
でも、実はきっとその問い自体がすでに間違っていて、「しあわせ」は、とらえるもの、つかむもの、手に入れるものではないのではないかと。

じゃあ、どこにあるのか。それは、自分の心の内にあるもの。ということは、そもそも「しあわせ」は、すでにある。そして、「ある」ものは「在る」のであり、「無い」ではない。「無い」ものというのは「無い」ので、必ず「しあわせ」は在る。

さて、自分の心の内にあって、無くならないはずの「しあわせ」はどこに行ってしまったのか。

参考・引用元

心のとびら
https://www.seiwajoshi.ed.jp/door_of_heart/3440#:~:text=%E3%81%93%E3%81%AE%E3%80%8C%E4%BB%95%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%80%81,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E8%BF%91%E3%81%84%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

漢字文化資料館
https://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0416/

茶堂
https://www.chadeau.com/17061301

漢字に込められた「しあわせ」の本当の意味は?(荒川和久)
https://comemo.nikkei.com/n/n19af9e7ab4e9

さくらノート
https://sakuranote.net/%E3%80%8C%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E4%BB%95%E5%90%88%E3%81%9B%E3%80%8D/

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https://pixy10.org/archives/26261434.html

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