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モチベーションの悪魔

出さなくてもいい成果を出して生まれるのはドーパミンだけ。

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「成果を出す人が評価される時代がやってきた。」とか言うのは、無かった価値を生む仕事をしている人だろう。起業、企画、創作や営業などか。

世の中には、さほど結果を求められてる訳じゃない場合もある。結果もクソもなく、作業さえすればいい状況のことだ。作業の結果は達成に決まっており、足し算をするようなものだ。

結果を出すことが神聖視されるが、それは別に偶然起こったことじゃあるまいし、適切な数を足したかどうかじゃないのか。もちろん、クリエイティブな場での成功は、圧倒的に足さなきゃならぬ数が大きいことはあるだろう。あと、ハイスペックな人が言うには、掛け算をするらしい。

そういう圧倒的足し算や掛け算は、誰にでもできるわけじゃないから、なにやらすごい人がやればいい。

新しいことを作る人は概ね競走の中にいるから、圧倒的な労力の投資が必要だし、だからこそ良いものが世の中に増えていく。だが、そういう場ですら、必要なハイスペック人の人数はそんなに多くないだろう。少なくとも掛け算をしなきゃならない人はごく1部だ。あとはめちゃくちゃ足し算する人間がいればいい。

よく思うのは、かけ算することに憧れる極上足し算野郎の謎である。彼らはドーパミン好きすぎる。すごい。それはそれでいい。どんどん充実感を味わって欲しい。

問題なのは、極上足し算野郎を見て「自分もそうでなくてはならない。」と思う人だ。可愛そうでならない。すぐに潰れるわけだが、人生についてそこで悩み、肩の力を入れなくていいことに気づきながらも、選択を変えられない。

自分の人生を何に投資するかの判断をドーパミンに任せる人がやたら多い。ドーパミンドリブンの人はつまり、向上心ドリブンな訳で、ドーパミンは向上しないと出なくなってしまうからループにハマらざるを得ないのだ。

今日は批判的な事を書いているつもりだが、何が言いたいかと言うと、啓蒙家はやる気出させようとして、それに対してどっちつかずの者が掻き立てられ、入信する。これによって丁度よく世間のモチベーションが保たれる。

しかし、おそらく世の中にモチベーションは余り、溢れている。なぜ必死にモチベーションの総量を増やそうとするのか。そうしなければやがて世間のモチベーションは尽きるとでも言うのか。

モチベ高い人の「こんな事がしたい。」は本当なのかと問いたい。何かに言わされているんじゃないか。

仕事に情熱を注ぐ人はすごいと思う。しかし僕としては、仕事をする時は責任感だけでいいと思っている。さらに、給料以外に自分の利益を得ようとしても良いとすら思っている。まあ、この「利益」が成功だったり安定だったりする訳だからみんな好きにすればいいんだが。ただ、啓蒙は時に地獄を作る。無知な者に、無知なうちに吹き込む。しかもそれが正義だと思っていたり、もしくはただのマルチレベルマーケティングだったりする。「おかげで人生変わりました!」っていう人は当然いるが、一方で後悔する人もいる。

こういう感じの、「まとめて囲って淘汰して選別する。」スタイルから淘汰される人を取り除いて元の場所に戻してやって欲しい。

こんなことが起こる業界ってのは、まあお察しの通りだろう。僕は、啓蒙が起こる分野は学問であればいいと思っている。学問は、焦らずとも成果を出せる。最も堅実な投資だ。そして、残るし、ずっと応用し続けられる。やる気の啓蒙など、人を消費する場を作るし、それに従うのは博打のようなものだ。

以上、本日の謎の憤りでした。

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