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ヒマになるとうつになる

火曜に発表事で、本日が日曜。曜日感覚がバグりっぱなし。

そしてとにかく暑い。

ひたすら外出していたので、28度の炎天下に脳髄まで焼かれていた。寒さに弱いけど、漏れなく暑さにも弱い。鍛えてはいるのだが虚弱。

夜は平井音楽教室からの制作。

なんだか急に稼動し続けている。この記事がアップされた22時で作業終わりだ。持ち帰りはあるけども。

あしたは菅さんともろもろ資産系を処分しにいく。


ここんとこ「やりたいこと」だけで日々が構築されている。びっくりだ。思いつかないぐらい「やりたくないこと」に触れていない。

細かく言うと、このnoteだって、インスタだってそうだ。完璧にやりたくてやっている。

こういうふうに書くと「じゃあQOOLANDはやりたくなかったんかい!」というエグめの意見が飛んでくる。意見というか性質を持った何かだ。

「Aが好き」と答えると、相対的にBの「好き」が減るという理屈はどうかと思うが、気持ちはわからんでもない。

正直、QOOLANDは「やりたい」とか「やりたくない」とかを超越していたので、僕自身にも何とも分からない。そういうことってないだろうか。

ライフワークというか使命感というか、そういうスピリッツがあまりにも強い物事は「したい」「したくない」のレベルを超えてしまう。



あなたがそんなことに身を置いた経験がゼロならば、ぜひおすすめする。「命を賭けてる」と言えるぐらいのキャリアは、生きる上で何よりの支えになる。


具体的にも精神的にもだ。進路は安定するし、心は強くなる。

それぐらい大事なものだったのだから当たり前だが、解散してから少しずつ寂しくなった。3日経ったぐらいの段階がひどかった。いつもやってきたこと、過去のことばかりを考えていた。熱まで出た。



たぶんあの声のせいだ。僕をそこまで懐古のクラックに、ぶちこんだエピソードがある。



ラストライブの最後の瞬間だ。ステージを去るとき、僕は左を向いてバックステージにつま先を向けた。すべてが終わって、38曲も歌って心身ともにキツかった。意識ももうろうとしていた。


すると3時間半もの爆音で、馬鹿になった右耳にフロアから「ありがとう!」という声が飛んできた。


身が震えた。

「嗚呼、最後に見ず知らずの人に礼を言われるぐらいのことはしてきたんだな」ということを心で理解した。


肌の上を感動が走って、すぐに血管に転移した。



その日の疲れと、それまで何年ものあいだ担いできた、しんどかったすべてがさらさらと流れていった。乾いた心が沁みるように、温かく潤っていったのがわかった。

あの「ありがとう!」は僕のキツかった様々なあれこれを一気に成仏させた。



楽屋の椅子に座る。


希望を少しずつちぎって捨てるような小さなため息をついた。すべてが終わった音が、自分の中でちゃんと鳴った。


そんなことばかり考えていた。考えるたびに寂しくなった。

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