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21歳で死ぬつもりだったのだが

僕はわりと自分と仲がいい。

兄弟もいないし、友達も少なかったので、小さい頃から自分自身と向き合う時間が長かった。

よくよく考えこむ子どもだった。

そしてここんとこ「長生きしてんなぁ俺」という感想を抱く。

高校生の頃は21歳で死ぬつもりだった。

シドが死んだ歳で死んだらカッコいい!という理由だけだった。

南京錠をつけて学校に行く。
そんなイタイ高校生だった僕は、たいして聴いたこともないピストルズフリークをやたら主張していた。

親や先生は「そんな貴様もなんだかんだ言って大人になるのだ」と僕に言い続けた。

「いや、俺は何としてでも21歳で死ぬ。だから大人にはなれない」という理屈だった。口からでまかせだった。

5年後なんてすぐには来ないと思っていた。だって16歳からすると21歳は未来すぎたし、充分すぎるほど大人だったから。

そしてシドと同じ位置で死ねば、ギリギリ大人にならずに済むと思った。


とにかく人生の先輩たちの「抵抗しても無駄だぞ」という言葉に反発しまくっていた。
これは未だに変わらないが、「抵抗しても無駄」と言われたら何としてでも抵抗したくなる。アリのひと噛みをナメるなよと食ってかかりたくなる。


今思えばだが、僕は「大人になる」=ダサイと思い込んでいた了見の狭いガキだったのだ。親や先生の言っていた「いずれ大人になる」という言葉を「いずれダサくなる」と聞き間違えていた。

だけど21歳はやってきた。思っていたよりも早かった。

シドと同い年になった僕は何も残せていなかった。

そして一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月・・・。とシドよりどんどん年上になった。それでもまだこの世に残り続けた。

「このままじゃ終われない」が強かったし、シドにはなれなかった。

でも僕はまったく大人になっていなかった。22歳になっても23歳になっても24歳になっても25歳になっても、全然大人に近づかなかった。

だけど16歳のときに感じたあの焦燥感は今も続いている。そして、ここまで繋がってしまった。結局まだ同じように音楽を書いている。

21歳からのロスタイムがやけに長い。笛はまだ鳴らない。

今もまったく大人になっていない。

あれからあんなに経つのに、大人になれていないのだ。


望んだカタチにも思えるが、大人になれなかったせいで発症する「必要のない苦痛」がたくさんある。

「おかしくないか」ということは口に出してしまうし、全部書いたらPTAに総叩きにあうんじゃないかっていうような生き方も止まらない。

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