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ちびっこキャンプで盛大に漏らした話

今の僕を形成した環境とか出来事は何だろうとたまに考えるが、やはり行き着くのは小学校1年生の夏休みの「ちびっこキャンプ」で盛大にうんこを漏らしたことだ。

人の性格は小学校高学年くらいの時点で決まる、というのは本当だと思う。テレビっ子でジャニーズが好きだった姉が熱心に観ていたドラマを、僕は何の気なしに眺めていることが多かったのだが、その一つ一つがどういうわけか今も胸に残っている。おそらく「ドラマとはこういうものだ」という、初めてもらう教科書のような役割を「ランチの女王」が、「愛犬ロシナンテの災難」が、「ウォーターボーイズ」がしてくれたのだと思う。

野球もそうだ。僕が父からもらった野球の「教科書」には、表紙にどでかく虎の絵が描かれていた。どのページをめくっても阪神のことしか書いておらず、中休みのコラムには「巨人がいかに悪か」という教えがあった。こんな環境で育った人間が阪神ファンにならないわけがないし、この先ファンを辞めることも確実にない。

ミステリー小説が好きなのも母の影響だろう。思い返せば家の各所に文庫本があった。
このように、ドラマ映画、阪神、ミステリー小説、という今の僕を作っている三要素は小学生の時点ですでに全部揃っていたのだ。そしてようやく話はうんこに戻るかと思いきや、まだだ。もう少し待ってほしい。

根暗な僕だが、超社交的な人間にもなりうるポテンシャルは秘めていると自己評価している。僕は「明日仕事で〇〇に会ったらあの会話せなあかんな」などと会話の妄想をするのが好きなのだが、その妄想に出てくる自分はむちゃくちゃ明るいのだ。
先日、同じ工場で働くフィリピンの青年に「怪獣8号」という漫画をおすすめされた。ジャンププラスを使えば無料で読めるのでその日のうちに読み進めた。これがおもしろい。ページをスワイプする指が止まらず、この感動は彼に絶対に共有しなければならないと誓ったのであった。

(以下、妄想の僕。日本語訳)
「マジでやばかったわ! 俺漫画ってワンピースと20世紀少年が不動やと思ってたけど、この漫画はそれに肩並べるかもな! ありえんわ。この漫画にもっと早く出会いたかった。もっと言えば君に早く出会いたかったわ。俺は日本語読めるからジャンププラスで無料で読めたけど、英語話者は大変やな。本のお金も高いし。え、このアプリ? 海賊版ちゃうよ! 合法的に無料で読めんねん。公式や。ただし最初の一回だけやけどな」

(以下、実際の僕。日本語訳)
「おもろかった。止まらんかった。来年アニメ化なるらしいな」
以上。

不思議だがこうなってしまうのだ。もちろん実際問題として英語力というのはある。しかし日本人が相手でも基本的にこうだ。シミュレーションしていた自分とは明らかに乖離した、本当の自分が気づけばそこにいる。

あの時うんこを漏らしていなかったら、と考えてみる。もしその世界線があればもっと明るい自分になれていたかもしれない。
2000年の夏休み、小学校1年生だった僕は夢前町が主催するちびっこキャンプに参加したのだった。そのキャンプには町中の小学生が集まり、学年ごとにバランスが良くなるようにランダムに班分けされ、親元を離れてテントで一晩を過ごす。なんてことはない。普通のキャンプである。そのキャンプがまさか人生を狂わすとはもちろん思ってもみなかった。

テントで眠りにつき、その翌朝からの記憶は断片的だ。糞で汚れた下着をどうにかして処理しようとした記憶はある。真夏のテントの中に異臭が漂っていた記憶はある。同じ班の上級生がなぜか「うんこ漏らしてるやつがおるぞ!」と周りの子どもたちを呼び集めた記憶もある(ちなみに同テントで同じ小学校の同級生だった徹くんとは後に仲良くなり、大人になった今でも交流がある。彼曰く、その時僕がポケットティッシュでちまちまと身体についていた糞を拭き取っていた姿が忘れられないそうだ)。

小学1年にして「うんこを漏らした」という事実が、後の人間形成に与える影響は大きい、はずだ。もちろん何をするにしても自信がなくなる。勉強もスポーツも、たとえ良い結果が出たとしても「いや、俺うんこ漏らしてもうたしな」が最後に来る。そして社会に期待しなくなる。今となって思うのは、そのキャンプを取り仕切っていた大人たちは何をしていたんだということである。助けろよ。テント周りに人だかりができていただろうが。

そういった事実を踏まえてもう一度振り返ってほしい。
「おもろかった。止まらんかった。来年アニメ化なるらしいな」
仕方ないと思わないだろうか。
うんこを漏らし、その一部始終を家族以外の他人に見られるという経験は、言うまでもなく自尊心の破壊に繋がる。

この一件で唯一の救いは小学校の行事でなく、町主催の参加自由のキャンプだったという点である。そう、僕はわざわざお金を払って自分の意思で参加し、大量のうんこをぶちまけたということだ。自由参加なので、同じ小学校の人間はそこまで多くなかったと記憶している。現に、親が裏で動いてくれたこともあってか、また、夏休み期間中ということもあってか、その件に関していじられるということはあまりなかった。ただ「松本拓郎は1年の時にキャンプでうんこを漏らした」という話は都市伝説のように校内に伝達され、たまに釘を刺すようにそういうことを言ってくるやつはいた。ただ、そう言ってくる本人も現場を見ていないものだからあまり強くは言ってこない。あの時代にスマホがあったら、あれが学校の行事だったら、大変だったろうな。次の日から不登校になりかねない。

もちろん良かったこともある。それ以降、人に少しだけ優しくなれた気がする。小学生あるあるだと思うが、学校のトイレでうんこしているやつをドアの向こうから茶化すみたいないじりがうちの小学校でもあった。僕はその一員には決して属さなかったし、中に誰かいることが分かっても知らんふりをした。「ゆっくりしーや」と心でつぶやく。どうだ、おませな子どもだろう。中学生以降はついにその件をネタに昇華することに成功した。

今となってはうんこを漏らしてしまった程度では動じない。むしろそれくらいのハプニングが起こってほしいとさえ思う。自分に子どもができた時、その子に同じ経験をしてほしいとはもちろん思わないけれど、それくらいの傷は負っておいた方がいいと思う。失敗は取り返せる。勝つまでやったほうがいい。僕のミスは翌年からのちびっこキャンプに参加しなかったことだ。もしリベンジできていれば(うんこ漏らさずに寝るだけ)、また違った人生になっただろうと思う。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。