見出し画像

紫本2―7 孤独のメッセージ

 ここまで、今までマイナスと捉えられがちであったネガティヴな感情やストレスについて考えてきました。それらもじつは私たちの前進につながるものだったことがわかると思います。では、「孤独」はどうでしょうか?

人はもともと群れたがる生き物です。

大勢集まれば、必ず派閥が生じますし、学校などでも、いつも行動を共にするグループが自然発生します。

「世界はひとつ」「人類は皆兄弟」と人類愛を説く高僧や聖職者の方々も、無差別に機関銃を乱射する過激な人たちと一緒に生活しているわけではありません。無意識のうちに「私」と「私以外」を分けてしまうように、「私たち」と「私たち以外」を分けてしまいます。

 我が国は同調圧力が特に強く、共通性、同一性が希薄な人を排除する傾向があります。「内輪」「外野」「外人」「赤の他人」「ハーフ」「村八分→(転じて)ハブにされる」などの言葉も、「私たち」と「私たち以外」を区別した意識の表れでしょう。

 ひとりで行動している人は周囲から「友達のいない人」「協調性に欠ける人」とのレッテルを貼られたり、グループに属さないがゆえの不利を被ったりします。


いわゆる「いじめ」の本質も、「異質者の排除、攻撃の正当化」ですから、排除されるのが怖くてグループに属さざるを得ない、という場合もあるでしょう。




 そんな中、近年、孤独の在り方が変化しています。

 「ぼっちめし」「ひとりキャンプ」「ひとり旅」などのコンセプトが受け入れられ、「ひとり専用」が人気を博すようになりました。

 それらは長らく「外食やキャンプ、テーマパーク、コンサートなどは家族やグループで行くもの」という固定概念に覆われていた空気へのカウンターにもなっています。

 IT革命以降、情報やデバイスが個人に行きわたり、集団やグループでなくともできることが増えたこともあり、個人の在り様も大きく変化しているように思います。

 人は社会的動物であるがゆえに、人と接する時に「自分自身そのもの」ではなく、「その人と対する自分」「その場に適した自分」を前面に出してしまいます。

 親の前の自分、おっかない先輩の前の自分、初対面の人の前の自分、憧れの人の前の自分、苦手な取引先の部長の前の自分、高校同期と集まった時の自分……。

 どれも自分ではあっても、それぞれ違った面が出てくる。与えられている役割を演じてしまう。場に即した自分を全うしようとする。そういう中で本来の自分を型に押し込める、あるいは、はみ出てしまう部分を抑圧してしまう側面があるのです。

 孤独な時間は、これらの役割を演じる必要がありません。

自分の全体像を把握したり、社会的に振る舞おうとする自分から離れてみたり、外的刺激を遮断してゆっくり自分を見つめたりする時間になります。

 カナダのマギル大学の神経学者ダニロ・ブズドク氏らの研究チームは、2020年12月に「Nature Communications」で3万8701人の脳MRI画像と、孤独との関連性を調査しました。

 孤独を感じるかどうかの質問に対し、「孤独を感じる」と答えた人たちは、そうでない人たちよりもデフォルトモードネットワークの脳領域における灰白質(神経細胞核が集まっている部分)の量が多く、新しい記憶の貯蔵装置である「海馬」からデフォルトモードネットワークの脳領域に信号を運ぶ神経線維の束である脳弓(fornix)の構造がより緊密な状態であることがわかったのです。

デフォルト・モード・ネットワーク時のfMRI

 デフォルトモードネットワークとは、活動的な思考をしていない時(たとえば、ぼんやりとしているとき、お風呂に入って何も考えていないとき、休憩してリラックスしているとき、無目的に散歩しているときなどの非集中状態)に潜在意識下で活性化する神経回路のことで、内省、想像、シミュレーションなどの創造的思考に関わることがわかっています。

 この研究結果によれば「孤独を感じる人たち」はそうでない人たちに比べて、より創造的であると考えられるわけです。

 もちろん「だから孤独がいい」という話ではありません。孤独には孤独の意味があり、交流には交流の意味がある、ということです。

 そして孤独(あるいは排除)を怖れてばかりいると、孤独ゆえに得られる強さが手に入らない。それはやはり機会損失でありましょう。


「才能は孤独の中で培われ、人格は世に揉まれて磨かれる。」

ドイツの文豪・ゲーテの言葉ですが、孤独の必要性、他者との交流の必要性を極めて端的に表しています。

 そして「孤独な時間をつくる」あるいは「自分だけで完結する聖域をもつ」などの積極的な他者からの分離は、脳の防衛手段でもあります。


たとえば「大好きな音楽をヘッドフォンでじっくり聴いていれば、幸せを感じられる」とか、「ひとりで長編小説に集中している時は雑念から切り離される」とか、「ひとりでスポーツの練習や運動、トレーニングに時間を忘れて没頭できる」などの行為は、他者の存在に頼ることなく、「自分で自分をいい気分にさせる」ことができます。

 スマホにはひっきりなしに通知が来る。SNSを開けば誰かが何かを発信している。AIが選んだ情報が勝手に目に飛び込んでくる。いつも何かに反応させられ、他者に反応している間に1日が終わってしまう。

そんな情報氾濫の時代。孤独を「自分自身でいられる時間」あるいは「創造的になる時間」と考えてみてはいかがでしょうか?(強さの磨き方 ~弱さの見つけ方~より)

無料公開中


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?