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まづろわぬ

「まづろわぬ」という言葉をご存じだろうか?

僕はずっと知らなかった。でも数年前にこの言葉を知り、「まづろわぬ」に込められた「歴史の重さ」と「想いの強さ」を知ることになった。

「まづろわぬ」とは、「屈服しない」という意味。

今でこそ、日本は、琉球民族、そしてアイヌ民族を除いては、「単一民族国家」の体を成していて、無知だった僕もそのように捉えていたのだが、大和民族が日本を平定する前の古代日本には、たくさんの少数民族がいたそうだ。

当然、争い、殺し合う。統治とは、そういうことだ。

そんな中、大和民族に屈服せず、隷属を拒んだ人たちは「まづろわぬ民」と呼ばれたそうだ。でもその人たちは歴史の表舞台から葬り去られ、「いなかったこと」になっている。力でもって誰かを滅ぼすということは、「命」だけではなく「生きた証」まで消滅させるということだ。私を含めて、人間とはつくづく怖ろしい生き物だと思う。

そんな歴史にも全く無知だった僕が「まづろわぬ」という言葉を知ったきっかけこそ、東北が生んだ歌姫、白崎映美さんのご活動だった。

東日本大震災で大切な人たちを失った方々、生まれ故郷に住めなくなった方々、トラウマを抱え苦しむ方々は少なくない。そんな現状に対し「なんとかしたい」の強い想いが、白崎さんを衝き動かし、東北発信の文化を、全国に、そして世界に伝え続けている。(白崎さんのMCによれば、イスラエルでは、現地の皆さんと東北民謡を大合唱したそうだ!)

でも、決して押し付けがましい形ではなく、朗読を、ダンスを、音楽を、歌を、ステージを、世界観を楽しむ中で、自然にメッセージを感じられるようになっている。人の気持ちに寄り添い、時に心をもちあげるエンターテイメントとして。

もし白崎さんの歌に、音楽に触れていなければ・・・僕は今現在の東北のリアルな現状も、まづろわぬ民たちの葛藤も存在も、記憶から抹消される虚しさも、想像することさえなかっただろう。そういう意味でも、意志をもった言葉と歌のチカラってホント凄い。

パンデミック、経済危機、戦争、いじめ、誹謗中傷・・・

今、僕たちはいろんな問題に直面している。

でも、たとえどんなことがあっても、ネガティヴな感情に心を屈服させられることなく「まづろわぬ民」の誇りをもっていこうと思う。そして時代の激流をサバイヴする全ての人たちに「まづろわぬ」という言葉の力強さを僕なりに共有してみたい。



























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