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書き換える希望

最近、アマゾンで、一つ星でレビューを書かれているのを目にした。

そのレビューは、著者である僕が「何を言いたいのかよくわからなかった」ということだった。

僕がキミに言いたいことはただひとつ。

「僕の書は、匿名の評論家にはわからないように書いてあるんだ。だからキミのレビューは、読者の範囲がキミである限りにおいて正解だと思う」

とまあ、それはそれとして。

何かを世に問えば、それに対してネガティヴな意見やコメントをもらうのは当然だ。僕なんかは「何をやっても文句さえも書かれない」という完全無視の時期も経験しているので、リアクションがあることは、何も無いよりマシかな、と思えるけれど。

それでも匿名レビューには酷いのがたくさんあって、中には「これ、作者の心が折れるんじゃないか?」と懸念されるものもあるから、匿名で書きたい放題、というのは、どうかと思うなぁ。

僕の場合、「それは残念だなぁ」と感じた場合は、一般化して、多くの人たちが手に取りやすい形に書き換えることがある。

たとえば・・・僕は今回のレビューを受けて、このような言葉を綴ってみた。

この文章が完成したとき、ホッとしたというか、ざわざわから離れられたというか、なんとなく折り合いがついたような気がした。小さな創造ができた、それが喜びにつながったのだと思う。

このような連鎖も嬉しいことで。また思考が深まる気がする。(個人に反撃の投稿をしてるだけでは、この流れは生まれなかっただろう)

何かをやっていれば、「えーーー、マジかよ」ってことはどうしても起きるけれど、

マイナスの刺激を、創造の資源として、前進のエネルギーとして、飛躍の浮力として、もっと上手に利用できるようになったら、きっと心軽く過ごせるんじゃないか?

僕には、そんな書き換える希望がある。
僕らがみんなもっている書き換える自由と共に。

PS. 書けば、書き換えられる。パフォーマンスは変えられる。









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