見出し画像

かる読み『源氏物語』 【若菜下】 三人の六条御息所から考える彼女の姿

どうも、流-ながる-です。『源氏物語』をもう一度しっかり読んでみようとチャレンジしています。今回は【若菜下】を読み、再び登場した六条御息所ろくじょうのみやすどころと源氏をめぐる女性たちの救済について考えてみたいと思います。

読んだのは、岩波文庫 黄15-14『源氏物語』五 若菜下わかなになります。【若菜下】だけ読んだ感想と思って頂ければと思います。専門家でもなく古文を読む力もないので、雰囲気読みですね。

六条御息所は三人いた

六条御息所は源氏の妻であった葵の上に取り憑いて殺してしまった過去があり、その後も死霊になっていたということが今回の【若菜下】でも示されています。そのことから、六条御息所は”源氏に生霊、死霊になってもまとわりついた執念深い女性”と紹介されることが多いです。自分もあまり深く考えたことがなく、「そうまでなるほどに源氏を想い、執着し、恨みに思っていたのか」という感じでした。

しかし、ここにきて彼女についていろいろと考えるチャンスがきたと感じました。三人目の彼女のインパクトによってハッとさせられたのです。そこで、まずは三人の六条御息所の印象について整理してみました。

六条御息所(本来の姿)
後に生霊、死霊になったイメージからどうしても激しい気性なのかとも考えてしまいがちですが、まったくそんなことはなく、むしろ繊細で優しい人であったように思えます。高貴な生まれゆえの矜持を守るためにピンと糸を張り詰めていながらも、心根はとてもデリケートで柔らかく、傷つきやすい人であったという感じです。

元々あった肩書きは前東宮の妃で、大臣の姫であることからして、源氏に会うまではとても大切に育てられた高貴な姫君であったと思われます。しかし、大切にしてくれた人たちと別れて心には空虚があったのではないでしょうか。亡き夫の忘れ形見である姫(今の秋好中宮)だけが残されているという状態です。

それを前提に考えると、六条御息所にとって源氏の心が離れてしまうということは再び大きな空虚に襲われることになることかと思います。その六条御息所の重い過去は若い源氏に受け止められるものではなかったということなのでしょう。

六条御息所(生霊の姿)
生霊として六条御息所が姿を見せたのは、葵の上への恨みからでした。葵祭の車争いの一件で六条御息所は、自身と葵の上の格差を感じ傷つき、葵の上を憎むことになったのです。元々彼女も葵の上のように大切にされていた姫であったことを考えると痛ましいです。

六条御息所は本来繊細な人で人を恨むことはダメだという認識があったと思われます。もし感情のままに恨みを表に出せていれば、生霊になるはずがないと考えました。必死に抑えようとした結果、生霊になるという感じですね。本来の姿のまま心を発散できるならば、こんなことにはならなかったと思います。
葵の上が亡くなったことは、六条御息所にとって恨みを晴らしたよりも、罪を背負ったという絶望感をもたらしたと考えました。

六条御息所(死霊の姿)
【若菜下】でついに彼女は紫の上に取り憑く死霊へと成り果てたのでした。紫の上を葵の上のように恨んだわけではありません。恨みの対象は源氏であり、源氏は守りが強く、取り憑けないから取り憑いたと死霊になった彼女は話しました。今回のメインはこの死霊です。

六条御息所の死霊が紫の上に取り憑いたのは必然だった?

六条御息所が死霊になったわけ

彼女は非常に真面目で繊細な人だったと思います。生前に恨みをうまく昇華できないまま生霊となり葵の上に取り憑き殺してしまったことは、大きな悔恨となり、強い罪の意識を持ったことと思います。そうして自分がなぜ生霊にまでなってしまい、正しくない行いをするに至ったかを考えた時、元凶が源氏であるという答えに行き着いてしまった、ゆえに源氏を恨む死霊となったと考えました。

さらにもうひとつ、彼女は成仏できないことに苦しんでいる。それは生前に仏の教えから離れてしまったことが関係しているともとれました。彼女はあの【葵】の帖での生霊の件の直後から、伊勢へ向かいました。娘が斎宮として神に仕える立場となり、それに伴って伊勢へ移った彼女が仏教に帰依し、出家できたのは死の間際になります。それも心残りで、葵の上に取り憑いたことに対する罪の意識があるのに、仏にすがる期間が短いことがまた強い悔恨を生み出しているという連鎖が起こっている。そうしてその大元は源氏との恋であるとなると、源氏に執着したというのも頷けます。

そうして死霊となった彼女は願うのです。自分が成仏できるように供養してほしいと。こんな悲痛の叫びを見せられては、こちらも心が締め付けられます。彼女は自分が招いたことだと無論悔いていたことでしょうが、苦しみすぎて、源氏に恨みをぶつけるしかなくなっていたように思えてきます。
死ぬ間際に娘の斎宮(秋好中宮)が女性であることから自分と同じような道を歩んでほしくない、と強く願ったことも思い起こされます。斎宮として神に仕えたことから、仏教に帰依することも願っていたということからも、自身も本当は仏教に帰依してきちんと自身の罪と向き合いたかったのではないのかと思います。

同じく神に仕えた朝顔の斎院も、源氏からのアプローチをきっぱりと断り、その後、仏道に勤しむ様子が描かれています。六条御息所の本来の理想はこうだったのではないかと感じました。

紫の上をあるいは救済できた存在

六条御息所がなぜ紫の上に取り憑いてしまったのか、というひとつの疑問もすっきりとしてきたのかという感じです。紫の上が出家を望んだからです。

紫の上に取り憑いたというよりは取り憑いてしまった。紫の上の出家を望むその意志に共鳴して吸い寄せられるように六条御息所はやってきたのではと考えました。少し容態がましになると、紫の上は出家の願いを叶えてほしいと懇願していました。そうして結果的に紫の上は五戒を受けたのです。

六条御息所にとって源氏は呪縛のような存在です。源氏を恨んでいます。出家をしたいと願う紫の上を源氏から解放することは、恨みを晴らすというよりも、紫の上を救いたい気持ちがあるようにも見えてきます。

もしこの時、紫の上の出家を源氏が許していれば、六条御息所の死霊は紫の上を身体的には苦しめたけども、精神的には救う存在になったのかもしれないと考えました。

紫の上はひどく苦しんでいました。穏やかな余生を送るはずが、女三の宮の登場で、この世のしがらみから逃れられないことも感じたとも考えられます。苦しみ、悩み、傷心し、自身の心が醜くなる前に現世から我が身を切り離そうとしたのかもしれません。紫の上の出家したいという願いや気持ちを理解できたのが六条御息所だったかもなんて思いました。

六条御息所は源氏に執着していた面がどうしても目立ちますが、【若菜下】で死霊として出てきたことで、それだけではなく、ひとりの人間として人生における自身の罪について向き合い、後悔し苦しみ続けていたということが見えてきました。本当は誰も妬みたくなかった、恨みたくなかったという気持ちが伝わってきます。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

参考文献
岩波文庫 黄15-14『源氏物語』(五)梅枝ー若菜下 

続き。今回の帖で大問題を起こした柏木について考えました。

この記事が参加している募集

読書感想文

古典がすき

いただきましたサポートは、大切に資料費などに使わせていただきます。