宇宙と心は無限大
見出しを最初見た時に思ったのは・・・
見えるのは遠く、何万光年も先の星の灯りと、近くには所々に小惑星の岩があるだけ。
当然音の無いその空間を明らかに場違いな金属の物体がただ独り、何かに導かれているのか、
それともただ流されているのか、
孤独に宇宙空間を旅していた―――
みたいな人工衛星が発見されたのかと思ったけど、
実際は地球の衛星軌道上で行方不明になった人工衛星が見つかったとのこと。
地球の衛星軌道上には何万という人工衛星があって、その中でコントロールが効かなくなり、見失ってしまったやつは発見するのが難しいらしい。
要は、他に誰もいない無人島の漂流者が見つかったのではなく、
人でごった返している休日のショッピングモールで迷子が見つかったという話だった。
そりゃそうか。完全に地球から離れてしまった物体が見つかるなんてよほどのことがないとありえないだろう。
それにしても、宇宙の話というのはいくつになってもワクワクさせてくれる。
どこまで広いか分からない宇宙には他にどんな星があるのか、そこに知的生命体はいるのか、いたとしたらどんな文明を築いているのか。
人は想像し、それを物語にする。
SFは物語の中での一大ジャンルだ。
今までいろいろなSF作品が、それこそ星の数ほど出ていると思うが、
そう考えると、人の想像力というのは宇宙レベルで広いのかもしれない。
過去、現在、未来、地球、宇宙、異世界。
どんな舞台でも、どんな種族でも、どんな設定でも物語を展開できる。
人の想像力は宇宙レベルに限りがない。
しかも、それを1人1人が持っているとなると、それぞれの人間の中にはそれぞれの宇宙があるということだ。
僕たちは宇宙レベルの広さの心を持っていると言っても過言ではないかもしれない。
あまりに大きすぎて、自分のことなのに把握できないレベルなのだ。
一瞬で過去にも未来にも飛び、ここではないどこかに難なく行ける。
これだけスゴイものを持っているのだから、使って遊ばなければ損というものだ。
でも、世の中には心のせいで苦しんでいる人も大勢いる。
本来、僕たちが使うべき心に、逆に使われているからだ。
あまり難しく考えても仕方ない。
僕たちは、たぶん一生掛かっても遊びきれない道具を1人1人が持って産まれてきているのだ。
もっと気楽に心で遊んでみようではないか。
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