マガジンのカバー画像

たからばこ

235
運営しているクリエイター

#コミュニティデザイン

つながること、問うこと、生きること。

場づくりについて学ぶオンラインスクール(『場づくりという冒険オンラインスクール』)を開催している。受講してくださっているみなさんとの対話が楽しい。その中で話したこと、考えたことなどをまとめておきたい。 ◯他者とどうつながればいいのか。 よく、ビジョンが大事だと言われる。そうだろうと思う。バラバラな個人をひとつにまとめるための北極星を描くこと。それは、クリエイティブな作業だと思う。けれども、それだけでは圧倒的に足りない。どうもぼくにはそう思われる。なぜなら、ぼくにとってビジョ

【後編】オルタナティブな未来〜一人ひとりが本領を発揮して生きていくためには〜

強い同調圧力の中で、しかし、分断が起こっていく。「自粛」と「粛清」のはざまで、ぼくたちのリアルな暮らしは揺れ動く。ひとりの人間としてできることは、それほど多くない。けれど、できる人間が自分の表現をしていかないといけないのではないか、とも思う。なぜなら、表現という行為は、いともたやすく他者や社会から圧殺されてしまうからだ。 自分の中の小さな「灯火」に誠実であること。これのみを大切にして生きていきたい。情報やデータはあくまでも使うものである。その主客が逆転してはいけない。 そ

愛着から安心へ

インターン生の山本和輝と言います。 インターン生と言っても、つい先日に誕生日を迎えた35歳(既婚・医療従事者・大学院生)です。僕は兵庫県丹波市出身です。丹波市は自然が豊かで、歴史やロマンあふれる街並みが今も残るいい感じの町です。転勤族だった両親が定住するために選んだ場所です。僕は、丹波市に4歳から21歳まで過ごしました。専門学校時代は、片道2時間半という時間をかけて丹波から大阪市内まで通いました。 今でも丹波には、親に子供の顔を見せるため月1回程のペースで帰省しています。

サブストーリーこそ、メインストーリーなんだよ

今回の「生き方見本市」の会場で、だれも知らなかったかもしれないことを共有したい。イベントの本旨とは少しズレるかもしれないけれど、ぼくにとってはとても価値があったと感じている、そんなこと。 たぶん、来た方全員は見ていないように思う。関西大学・梅田キャンパスの8階と4階。2つに分かれていた会場の「メインではない方(誤解のないように言っておくと、イベントにとってはもちろんとっても重要。関わってくださったみなさん、ありがとうございました。無料で参加できるよりライトなコンテンツ)」の

胸を張って「生きづらい」と叫ぶ権利は、ぼくにあるのでしょうか

「生きづらい」とか「助けて」って言うことは、勇気がいることだなと思います。それは、自分で自分を「弱い」と言ってしまうようなことだと思うから。だから、とてもこわいなって思うんです。 でも、どうして「弱い」と告白することがこわいんだろう、とも思うんです。弱いと、だれかに狙われるから? いや、それとも、「強くなければいけない」「自分の責任は自分で」という誰かのメッセージを自らのうちに内在化させてしまったから?そのある種の「正しさ」や「規範」から逸脱してしまうことを恐れているから

宗教から逆算するオンラインサロンのコミュニティ設計と運営戦略(おまけのみ有料)

オンラインサロンに入ってみて半年たったのでコミュニティ設計を考える、というnoteの続きです。 前回のnoteでは参加者目線でコミュニティを類型化してみたのですが、今回は主催者目線でコミュニティをどう設計するのがいいのか?というのを探ってみます。 コミュニティ=中小規模の連帯のある集団とした場合、これってビジネスの顧客集団やお店のファンや常連さんとの小さな輪っかでも同じですよね。 つまり、いわゆるコト消費とかストーリーを作れとかマーケ界隈で叫ばれているアレを、どう仕組み

有料
920

今すぐになんてやらなくてもいいよ

数年前、ぼくが活動をはじめてまだ間もない頃のこと。それでも小さなイベントはたくさんこなしていて、少ないながらに人は集まっていた。 人が集まるということは、いろいろな想いが集まるということでもある。でもぼくは、そうした想いをうまく受け止められていなかった。 いや、大きな失敗をした訳ではない。けれど、確かにこぼれ落ちていくなにかが、そこにあったように思う。 --- 少し寂(さび)れた、でも活気があった空気は確かに残る商業ビルの中につくった「amare(あまり)」という秘密