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海。山。踏切。

すっかり冷えたカイロを握りしめて、充電の切れたイヤフォンを耳からはずし、残り10%のiPhoneにかじかんだ指をあてて打つ言葉。

海。山。踏切。
去年の夏ぶりに塩屋の街へきた。⁡

グッゲンハイム邸で行われるLIVEアリオト。演奏、マヒトゥ・ザ・ピーポーと寺尾紗穂。

はあ………余韻。余韻。余韻。
このiPhoneの充電がこと切れる前に残しておきたいきもちとかうんたらかんたら。

前の座席の人の頭で姿が見えなくても、彼らはそこにいる。鳥がとび、魚がおよぐのとおなじように、人はうたう。「うたをうたうヒトはみんなトリだよ」ってうたう曲があったなあ。


⁡LIVE中、カーテンにうつる大きな木の葉がゆらゆらゆれる影をただじっと見ていた。ぼう、ぼう、と点滅する裸電球。光が差すと明るくなる室内。雲が動くと暗くなる室内。

目を閉じると音が身体に染み渡って震えた。たゆたゆ、きらきら、音に全身を預けると水中のなかにいるよう。

たっぷりの余白のなかで、赤ちゃんの泣き声がときおり響く。子どもはひとりで生きていけない。わたしたちはひとりで生きていけるのか。


…と、まあ、ここで充電はこと切れたようで。
あまりにも昂揚して持て余したきもちを帰り道になぐり書いて落ち着かせていた。行く前からいいに決まってるとおもっていたけど、やはりとってもよかったです。全身の細胞が奮い立って、水中のなかでしゅわしゅわとはじけるようでした。

神戸で朝粥、食べられなくて残念だったな。それはまた今度。

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