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あのこえ

藁部さんの英語の発音はとてもきれいだ。というかきれいに発音することに迷いがない。ぼくだって実は藁部さんほどではないにしてもほんとうはもう少しきれいに英語を話すことはできる。だけどそうしないのはきれいに発音しすぎると周りから笑われるからだ。特にクラスのカースト上位にいる塩野義さんは、ことあるごとに藁部さんの英語の発音についての話題をもちだす。藁部さんの英語って流暢ですごいよね、と褒めているようで皮肉る。そんなに英語ができるのにこんな底辺の高校にいるだなんてなにか特別なもんだいがあるに違いないと決めつける。英語ができることをみせつけ、わたしたちに劣等感をあたえている、そのうえで自身は優越感をえているんだと的はずれなことばかりをいう。それなのに、特別授業でやってきたマイク先生の英語については、なんの皮肉もなしに、マイク先生の英語って本当に凄い、かっこいい、わたしもあんなふうに英語を話してみたいという。結局は同じ日本人なのに藁部さんだけが特別にマイク先生みたく話せるのが気にいらないのだ。ほんとうは素直に藁部さんのことをみとめて尊敬したいのに、そうしてしまうことができない心の小ささにさえ気づかないのだ。その点ではぼくは塩野義さんとはちがっている。ぼくは素直に藁部さんを尊敬している。藁部さんのきれいな英語の発音をこのんでいる。だからぼくはきょうもこっそりと藁部さんのこえをろくおんする。そしてかえりみちでもくるみちでも、家のじぶんのへやにいるときでも、ずっと藁部さんのこえをきいている。藁部さんのこえをききながらぼくは何度もぜっちょうを迎える。藁部さんのこえにそれだけの魅力があることに気づきもしない塩野義さんたちは本当にどうかしていると思う。気づいてくれるなよ、とも思う。藁部さんのこえの魅力を知っているのはこの世でぼくだけでいい。

今日は10年ぶりの同窓会だ。

10年まったのだからぼくだけには言う権利がある。

だからぼくは藁部さんに直接言ったんだ。

「藁部さんの英語、録音させてくれるよね」

藁部さんがあのときなんであんな表情になったのか、それだけはぼくにも理解できなかった。

それは少し残念なことだったけれど、全ての願いが叶うわけないってのは知っているからだいじょうぶ。藁部さんのこえだけはいまもここにたくさんあるからだいじょうぶ。

テレビもパソコンも光もない一室にぼくと藁部さんのこえだけがそんざいしている。

だからだいじょうぶ


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