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新聞記者 Netflix

作品を観た。

皆さん素晴らしい役者さんが揃って素晴らしいスタッフに恵まれ、頑張った作品なんだろうと感じました。

個人的には内調の田中哲司さんの演技が印象に残りました。現実味を帯びている演技だなぁと思いました。検察の大倉孝二さんも味がありました。吉岡秀隆さんはいつも通りの人物像にあてられているんだなぁと。

ただひとつ、、ストーリーとしては、あの後の日本を書いて欲しかったと思います。

原作を読んでいないので、分かりませんが、社会倫理に基づいて問題提起をしている作品は無数に存在していますので、問題提起だけでは少々期待はずれでした。もしかしたらこの話に出ている様な現実社会を認識していない人間が増えているんでしょうか?その上で現実社会に目を向けて!と言う作品なんだったのでしょうか?

国家矛盾や組織圧力、権力を獲ろうとする人種や権力に屈する人種、そして組織に屈する人種、生活(現実)に屈する人種、多くの矛盾を抱えて生きている人間は、自己の善と悪を抱えてその両方を都合よく利用し各自のバランスの上で生きている。それと国の情報操作など日本には存在しないとでも思っているんでしょうか?政治家の悪は日常じゃないと思っているんでしょうか?マスコミと国の関係は独立したものだと思っているんでしょうか?

同時に自分達の生活を維持するために悪事に手を染める人間はダメと断じる人が多いと思っているんでしょうか?組織圧力で白を黒という人間は一部の人間だと思っているんでしょうか?こう言った現実問題に出てくる人間は、普通の人たちであり日常繰り返している人間の生業です。誰もが自分が可愛く、誰もが収入や名誉に囚われ、誰もが大なり小なり善と悪の間で揺れ動くのが人間社会。こう言った問題を今更提起する意味合いが個人的には???でした。こう言った問題に興味があるのであれば、ソクラテス時代の古代ローマ、ベネチアの歴史、三国志の背景、インドのカースト、大化の改新の背景、信長の死、秀吉の権力への執着、江戸時代の論者の説法、明治の開国論者のお話などなど無数にある有名なお話を読んでみてはいかがでしょうか?人間は何千年と同じ事を繰り返しているんですけどね。ですのでソクラテスを殺した様な社会矛盾問題は別に今更問題的しなくてもいいのでは?と思いました。イエスキリストを殺したような人間論理の矛盾性など今更何故?と思いました。

それより何故日本は日本たる所以なのか?

そこを明確に書いて欲しかったなぁと思います。

古今東西いつの時代の人間も同じ矛盾を抱えて生きています。そして各国ごとにその問題に向き合う姿勢が違っています。例えばアメリカは数は少ないが、大統領でさえ裁判で有罪になります。例えば中国韓国では権力者ですら国民に殺されます。欧州でも然りです。日本はそう言った事はほぼ皆無です。

日本は同じことの繰り返しをして、その都度涙し感動し盛り上がって終わるだけです。つまり日本は「現状という社会を変えない」と言う結論を社会は選択し現在まで存続しています。結局改善しても同じだよね、政治家が代わっても一緒だよね、文句を言っても一緒だよね、頑張って結果を残しても一緒だよね、加害者がダメと言うけど、被害者にも負があるよね、喧嘩両成敗だよね、どんな悪人でも死んだら神様だよね、差別はよくないけど、、いじめもよくないけど、、、村八分もよくないけど、、、部落問題もよくないけど、、、汚職もよくないけど、

全て「、、けど」なんですよね。法律も全て「但し書き」〇〇はよくない、但し云々と記載がある。だから解釈はいかようにもなる。だから結論づけられない。あちらを立てればこちらが立たず。結論出しを好まないんですよね。そして「仕方がないよね」「うまく処理してよ」という決まり文句が日常で氾濫します。

海外は白黒をはっきりさせます。日本は白黒をはっきりさせてはいけないんです。

そこが日本であり、日本たる所以なんですよね。

で、どうして日本はその文化を脈々と繋いでいるのか?そこを書いて欲しかったなぁと思います。

今回の新聞記者のストーリーに関しても、似たような現実は過去にも何度も何度も書かれています。現実問題国家や権力や暴力組織と争い戦っては敗れて殺された人間なんて星の数だけいます。脅しに震えて押し黙って生き延びた人間など、星の数だけいます。戦時中に悪事を働き金を儲けて戦後は善人面して、のうのうと生き延びた人間なんて星の数ほどいます。自分自身の善と悪の揺れに悩み苦しみ泣きながら生きている人間も、開き直って権力やお金に執着している人間も無数にいます。それでも日本は「白黒をはっきりさせる」事を好まない社会を構築し続けています。

それは何故か?

そこが一番これから大事になるテーマだといつも思います。

日本という現実を曝け出し、それを良いだ悪いだと評する段階はもう不要と思います。現実を曝け出し、良し悪しの世界ではない一歩踏み込んだ世界を問題提起して欲しかったと思います。恐らくですが、多くの方々の結論が行き着くところは「やっぱ仕方がないよね」だと思うんです。そこは善悪世界を通り過ぎた世界です。その上で日本社会の結論は「仕方がないよね」だと思うんです。

そして、それはなぜか????

そこを踏み込んで問題提起することで、日本人たるアイデンティティーを取り戻せると思いますし、そこが今後最も大事なテーマであると思います。世界と比較してどうだとか、他人と比較してどうだとか、もうその域は卒業させた方が良いと思うんです。

このブログで何度も書いていますが、日本は日本と言う事でしか生きていけないと思います。時代時代で日本は良いよねと評される時代もあれば、日本はおかしいよねと評される時代もある。それは個人の人生も同様。周囲に認められる時代もあれば嫌われる時代もあるんです。その勝手な周囲の評価に右往左往するではなく、それでも日本はこうだ、それでも自分はこうなんだと思える様にならないと社会に何らの変化は生まれないと思います。他人の評価を恐る、孤独へと押し出される事を怖がる、生活レベルを落とす事を怖がる、役職を落とすことを怖がる、一度手にしたものを失くすのを恐れる、そう言った現実が何故なのか?本当に自分はその恐怖を恐れているのか?そう言った事がわかるためには、自分は何者だ?と言う問いにしっかりと立ち向かわないといけないと思います。

考えるべき、立ち向かうべき相手は自分であり、日本という文化社会です。

なぜ日本は昔から変わらぬ日本社会を維持しているのか?今回の作品で取り上げられた現実は、別に今になって起きている事じゃないですよ!!何千年も繰り返している問題のなんですよ。何度も繰り返しますが日本社会の結論は「仕方がないよね」で今の今まで継続されています。そしてその良し悪しを評するのではなく、なぜ日本は「仕方がないよね」を結論として導き出して且つそれを何千年と引き継いでいるのか?そこが最も大事なテーマだと思います。

マクロで言えば古今東西人間という動物は押し並べて同じような生き物ですが、ミクロで述べれば「仕方がないよね」を嫌う民族も国も存在します。「仕方がない」けど放置はできないよねと抗う民族も国も存在します。その中で日本、日本民族は「仕方がないよね」を結論として生きているんです。

そこが書かれているのかな?と多少期待していたので、個人的には少々ガッカリしました。まぁ作品をどちらの基軸で押し出すかにもよりますよね。商業面を基軸とするのか、そうじゃないのか?はたまたその両面なのか?そこのスタンスで書かれるべきスクリプトは変わってきますからね。

身勝手な個人的感想としては、あの後裁判でも個人は負けて、社会は事件を忘れて、当事者だけが過去を背負い、多くは何事もなかった様に生きている社会。そこを徹底して浮き彫りしにして且つそう言った人間を善悪で評するのではなく、なぜ日本は「仕方がない」と言う結論で生き延びているのかを書いて欲しかったなと思います。そこには日本の美や善という世界が待っています。人が死んだり汚職したり、騙したり、黙秘で逃げたりと醜い現実が転がってはいるんですが、その背景には日本らしい美、善、と言う倫理、文化がしっかりと存在しています。

人間社会の矛盾や問題の多くは、過去人間が良かれと築き上げた結果であり、同時に目の前の矛盾を整理しようとすれば、新たな矛盾が生まれある意味同じことの繰り返しになる現実があります。過去を否定したり、反対側の意見や視点を否定する中には其処は見えてきません。

何故善は悪を呼ぶのか?何故公平性は不公平を呼ぶのか?何故正義は狂気を呼ぶのか?そして本当にそれらの矛盾は切り分ける事ができるのか?結論は光ある処に影があるなのです。逆を言えば影があると言うことは、そこに光も存在するってことなのです。人は強さを求める弱き動物。人は善を求めながら悪に生きる動物。人は利己主義を忌み嫌うが利己主義で生き延びる。人は愛を持って他人を殺す。人は常に矛盾を選択し生き延びているんです。それでもその矛盾に立ち向かう者たちもいれば、矛盾を受け入れる者たちもいれば、様々な文化がその国の社会に生まれ構築されています。

日本は日本のやり方でしかできないんです。

日本は日本文化を放棄する事も廃棄することもできません。

多くの方々が今回の作品を観て、いつも通りに憤りを感じたり、希望を胸にしたり、重い現実に心が晒されたりとするでしょう。きっと様々な感想や意見が飛び交う事でしょう。そしていつも通りなんです。それが日本と言う文化社会なんですね。




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